シンの声が聞こえた。
 そう思って窓の方へとアスランは近づいていく。
「何だ? シンはまた向こうで朝飯を食うつもりかのか?」
 そんな彼の耳に、苦笑混じりのハイネの声が届いた。
「許可は出しましたわ」
 その後に続いたのは、ラクスによく似た声だ。それが誰のものであるかアスランは忌々しいがよく知っている。
「ドクターからもいわれていますよ。シンがいるとあの子が安定するって」
 だから、貸し出し許可したんです……とミーアがさらに言葉を続けた。
「一番不安定な時期は乗り越えたそうですけどね。それでも、精神的に安定している方がいいという話ですし」
 自分のことは、ハイネが守ってくれるだろう、と彼女は付け加える。
「レイが一緒なのは、どうしてですか、ミーア」
 自分には許可が出なかったのに……とアスランは心の中ではき出しながら問いかけた。
「シンの暴走防止と、彼等を観察するためだとか……議長の指示ですって」
 だから、それに関しては自分だけの意志ではない。ミーアはそう告げる。
「そう……議長の」
 気に入らない、とは思う。しかし、デュランダルの指示では自分が異を唱えることはできないだろう。
「それに、見ていて微笑ましいんですよね」
 なんていうか本当に……とミーアが微笑む。
「あぁ、それはわかります」
 即座にハイネが同意をした。
「あの二人は、本当に微笑ましいんですよね」
 特にステラの方が……といえば、
「ハイネもそう思われます?」
「でなければ、とっくに邪魔させて頂いています」
 仕事と言えば、シンもレイも文句を言えませんからね……とハイネは唇の端を持ち上げた。
「特に、貴方がらみのものと言えば、です」
 名目上は貴方の護衛ですから……という言葉はもっともなものだろう。
「……シン、ここ!」
 そして、彼等の言葉の意味も目の前の状況を見ていれば納得できた。
 小さな子供が大好きな相手のために一生懸命あれこれしてあげている。そういうのが一番近い状況なのではないか。
 そして、あのシンが穏やかな表情でそんな彼女を見つめている。
 いや、彼だけではない。あのレイまでもが口元に微笑みを浮かべながら二人を見つめているのだ。ルナマリアがこの場にいたら、どれだけの騒ぎになっていることだろう、とも思う。
「ステラ」
 その時だ。
 キラの声が耳に届く。その瞬間、アスランは自分の心臓が跳ね上がったような感覚に襲われた。
「ごめん、ちょっと手伝って」
 手がふさがっているから……と苦笑混じりに言葉が続けられる。
「うん!」
 言葉と共にステラが立ち上がった。そして、キラの方に駆け寄ってくる。
「こらこら。ちゃんと前を見てないと、お盆の中身をひっくり返すぞ」
 そうしたら、朝飯抜きになるな……といいながら、フラガもキラの後から姿を現した。その瞬間、アスランの心の中に複雑な感情が浮かび上がる。
 幸せそうなキラの表情を見られたのは嬉しい。
 しかし、その隣にフラガの姿があるのが気に入らない、とアスランは心の中ではき出す。
 いや、百歩譲ってフラガがその場にいるのは我慢しよう。
 どうして、キラの隣にいるのが自分ではないのか。
 そして、その視線の先に自分の母やキラの両親がいないのだろう。
 無意識に心の中でそう付け加える。
 次の瞬間、アスランは自分の思考に驚愕を感じてしまった。
 何故、ここで彼等のことを思い出すのだろうか。
 それとも、それが自分の願望だったのか。
 考えてみれば、自分の幸せは全て月で暮らしていた頃の思い出と結びついている。
 母とキラ、それに彼の両親がその思い出の中にはかならず存在していた。その中でも、いつでも一緒にいたのはキラだ。
 だから、キラは自分にとっての《幸せ》の象徴だといっていい。
 それはキラも同じだ、とアスランは信じていたのだ。
 だが、現実は違っていた。
 確かに、あのころのキラは記憶を奪われていたから仕方がなかったのかもしれない。思い出したくても思い出せなかったのだ。
 だから、あの《キラ》は《フラガ》を《幸せ》の象徴だと考えたのだろう。それについても、今なら仕方がないと考えられるようになった。
 しかし、記憶を取り戻したキラが、それでもまだフラガの側にいたのはどうしてなのか。それがわからない。
 誰もが、自分の《幸せ》とキラのそれは違うのだ、とアスランに言ってきた。それが作られた意識ではないのか、とアスランは考える。だから間違っていたのだ、と。
 しかし、目の前の光景を見ていれば、自分の考えが正しいのかどうかわからなくなってしまう。
 目の前のキラ達は、あのころの自分たちに勝るとも劣らないくらい幸せそうに見えたのだ。本来であれば敵同士であったあった者達も含めて、だ。
 それは間違いなく、彼等がそうなるべく努力してきたからか。
 あるいは、今の《キラ》をそのまま受け入れることができたからなのかもしれない。
「……それでも、俺は……」
 あのころのキラの微笑みが欲しかったのだ。
 しかし、それはどうしてなのだろう。
 いくら考えても答えは出ない。
「おい、アスラン!」
 そんな彼の背中に向かってハイネが言葉を投げつけてきた。だが、その声もアスランの耳には届かない。
 彼の意識は、目の前にある幸せそうな《家族》の光景にだけ向けられていた。