気に入らない……とキラは思う。
 そもそも、自分に《命令》できる人間がいるとするならば、それはただ一人だけだ。第一、自分は地球軍でももちろん《オーブ軍》でもないのだし。
「ロアノーク大佐のご命令があれば善処させてはいただきます」
 キラはただ一言言い返す。その裏には、彼の言葉がなければ何もする気はない、という意味を滲ませていた。
「そんなことを言っていいわけ? ボクは……」
「オーブ代表代行だ、とはお聞きしています。ですが、僕はあくまでもロアノーク大佐個人のスタッフです。軍に属しているわけではありません」
 それに、とキラは心の中で呟く。
 カガリの立場を危うくするようなことだけはしたくないし、できない……と思う。
 第一、今目の前が口にしたことは、地球軍――正確に言えば、その上層部であるブルーコスモス――ですら認めていない事柄なのだ。だから、決して頷くわけにはいかない。
「何よりも、僕は最低限以外、ここから出てはいけないのです。あの方からそう言われています」
 言外にあの男――ロード・ジプリールの存在を匂わせながらキラはこう告げる。
「そうは言ってもね……」
 だが、彼はあくまでも諦めるつもりはないらしい。
「いったいどうすれば納得してくれるのかなぁ」
 わざとらしいため息と共にユウナがキラをねめつけてくる。
「君のその顔を利用しない手はないんだよ。それだけで、オーブの軍人達は納得をする。それに……」
 自分の欲望も……と付け加えられた瞬間、キラの体を嫌悪感が支配した。
 何故、こんな男に自分が……とそう考えただけでも吐き気がしてくる。
「それこそお断りです!」
 彼でなければ、誰があんな事をさせるか。キラは嫌悪感を隠さずに相手をにらみ付けた。
「ふぅん……ただの綺麗なお人形さんか、と思えば、そんな表情もできたんだ」
 これはまたそそってくれるね……とユウナがキラに手を伸ばしてくる。そして、その指がキラの頬に触れようとした瞬間だった。
「こらこらこら。人の物に勝手に触らないでくれるかな?」
 口調はいつものように人を食ったものだが、明らかに怒りを滲ませたフラガの声が室内に響き渡る。その声に、キラはほっと安堵のため息をつく。
「ネオさん!」
 ユウナの腕をすり抜けると、キラはさっさと彼の元へと駆け寄る。そして、その背中に隠れるように移動した。
「そもそも、その話は既に却下されている、と記憶していましたが?」
 自分の気のせいだったか……とフラガはかすかに眉を寄せる。と言うことは、そう言うことなのだろうか。
「……それは、だね……」
 でも、とユウナはさらに言葉を重ねようとする。
「第一、キラを表に出せば……本物のアスハ代表だけではなく、もっと厄介な存在が出てきますよ?」
 それでもかまわないのか……とフラガは相手をにらみ付けた。仮面のせいでその眼差しを直見ることはないだろう。だが、彼の全身から伝わる雰囲気で十分なはずだ。
 だが、ユウナはまだぐずぐずとしている。
「スティング! セイラン代表代行をオーブ旗艦までお連れしろ!」
 それがさらにフラガの怒りを爆発させたのか。彼はドアの外にいるらしいスティングに向かってこう怒鳴った。
「……ネオさん……」
 そんなことをしていいのだろうか、とキラは一瞬考える。だが、彼がこの艦での指揮権を持っているのであればいいのか……とキラは思い直す。
「了解」
 いつもの、聞き分けのいい長男……という雰囲気ではなく、もっと剣呑なそれを身に纏ったスティングが即座に姿をあらわした。彼はまっすぐにユウナへと歩み寄っていく。
「お迎えも来ているらしいですよ、代表代行」
 最後の一言だけ少し大きな口調で告げたのは、彼なりのイヤミなのだろうか。それとも別の理由からなのか。そこまではキラにもわからない。だが、彼も怒っていると言うことだけは事実だろう。
「お前!」
「大佐のご命令ですから」
 ユウナをこの一言で黙らせると、スティングは引っ立てるように彼を部屋から連れ出す。
 二つの足音が完全に離れていった……と判断したところでフラガが動いた。
「……ムウさん……」
 離れていく彼を引き留めてはいけない。それはわかっているのに、キラは無意識のうちに彼の名を呼んでしまう。
「ドアをロックしてくるだけだ」
 安心しろ、という微笑みだけでキラの不安は解消した。
 そして、フラガは言葉どおり部屋をロックするとすぐにキラのもとへと戻ってくる。そして、その体を抱きしめてくれた。
「悪かったな、キラ」
「ムウさん?」
 いったい彼は何を謝っているのだろう。そう思って、キラはムウの腕の中から彼の顔を見上げる。
「あいつが来ているのは知っていたんだが……まさか、お前が目当てだとは思わなかったんだよ」
 てっきり、自分に何かを頼みに来たのだとばかり思っていたのだ、と彼は口にした。
「しかも、その内容がカガリの《影武者》だとはな。鈍いとは思っていたが、実は聡い奴だったのか?」
 それとも、何かを知っているのか。
 フラガは何かを考え込むような表情を作る。
「ムウさん……」
 そんな彼の表情に、キラは不安を隠せない。
「大丈夫だ。この戦いさえ終われば、あいつはオーブに帰るんだしな」
 もっとも、生きて帰れるとは限らないが……と付け加えられた言葉の意味を、キラは知っている。
 どれだけ熟練したパイロットであれ、百パーセント確実に帰還できるとは限らないのが戦場なのだ。
「キラ……俺は、今回は前線に出ないよ」
 本当は出たいのだが……と彼はため息をつく。
「オーブのお坊ちゃんが何をしでかしてくれるかわからないし……何よりも、あいつらの動きが恐い」
 明確には口にしない。
 だが、フラガが誰の――いや、どの艦の動きを懸念しているのかはキラにもわかってしまった。
「あの人達は……動くでしょうか……」
 問いかけなくても、答えはわかっている。それでも……とキラは心の中で呟く。彼等とはできれば戦いたくない。
 そう考えているのは自分だけではないだろう、とキラは思う。
「……アスランがザフトにいる。そして、あのお姫様がデュランダル議長と秘密会談を行っていた。それをふまえて考えれば、答えは一つしかないぞ」
 かならず、アークエンジェルは今回の戦いに介入してくる。
 それも、思いも寄らない場所から……とフラガは言い切った。
「おそらく……出てくるのはバルトフェルド氏だろうしな」
 手強いなどと言うものではない……と付け加えられる言葉に、キラは頷く。
「ムウさん」
「大丈夫だ……どんなことがあっても、俺はお前を手放すつもりはない」
 どのような結果が待っていても、だ。こう言い切る彼の腰に、キラはそっと腕を回す。
「……信じています……」
 だから、自分を手放さないで欲しい、と告げるキラの体をフラガはしっかりと抱き返してくれた。