ゆっくりと意識が浮上してくる。
 その途中で、何かが手のひらからこぼれ落ちたような気がしたのは錯覚だろうか。
 体を起こして周囲を見回したとき、足首に見慣れないものが巻き付いていることにステラは気づいた。
「……これ、何?」
 そう言いながらそれに触れる。その瞬間、何かが心の中をざわめかせた。
 だが、これは戦いには必要ないもの。
 だから、不要なものだ。
 ステラの脳裏でそう判断を下す声がある。そして、彼女はそれにしたがった。
 アスク日からハンカチを外すと放り投げる。
 ふわりと一瞬広がったそれが面白い、と思う。だが、それだけだ。
「……あっ……」
 しかし、ハンカチがマットの上に落ちた瞬間、柔らかな声がステラの耳朶を叩く。
「キラ?」
 無意識のうちに微笑みが口元に浮かぶ。
 同時に、ある可能性がステラの脳裏に浮かんだ。
「これ、キラの?」
 もしそうなら『不必要なもの』と判断してはいけないもの。キラのものなら、どんなつまらないものでも素敵なものなのだから、とステラは慌てる。
 何よりも、そんな風にものを扱ったら、目の前のあの人が悲しむだろう、とそう思えるのだ。
「……違うけど……預かりものだよ」
 そう言いながら、キラはそれに手を伸ばす。だが、縁から距離があるせいでなかなか手が届かないようだ。
「待ってて」
 こう言いながら、ステラはそれ拾い上げた。
『守るよ』
 ハンカチの、柔らかな布地が指に触れた瞬間、誰かの声が脳裏を横切っていく。それは、自分が知っている誰のものでもない。それでいて、心の中がふわりと暖かくなるのをステラは感じていた。
 それはどうしてなのだろう。
 いくら考えても、答えは出ない。
「ステラ」
 その代わりに、キラの声がふわりと降りそそいでくる。
「大切なことはね、忘れたと思っていても、心の引き出しの中に残っているものなんだよ」
 その声がステラの中にふわりと着地した。
「うん」
 キラは嘘を言わない。だから、これも本当のことなのだろう。そう思いながら、彼の側まで歩み寄っていく。
「キラ」
 はいっと手にしていたハンカチを彼に渡した。
「ありがとう」
 それを受け取る瞬間、彼がどこか悲しげな表情を作ったのはどうしてなのだろうか。このハンカチに、何か悲しい思い出でもあるのかとステラは不安になる。
「ネオさん達が待っているよ。ブリーフィング・ルームに一緒に行こうね」
 しかし、それもキラがこう言って手を差し伸べてくれた瞬間、霧散してしまう。
「うん!」
 キラの手をしっかりと握りしめると、ステラは頷く。そのまま彼の腕に抱きつくようにして《ゆりかご》から降りた。

「……何を考えているんだろうな、あいつらは……」
 回されてきた報告書を読んで、カガリは表情をこわばらせる。
「鬼の居ぬ間の何とやら……と言うところなのではありませんか?」
 こう言ってきた相手を、カガリは思わずにらみ付けてしまう。
 しかし、それもまったく功を奏しない。
「ちなみに《アスハ代表》は、現在、心労のために長期療養中だそうですがね」
 もっとも、それを信じていないものも多いのだ、と彼は付け加える。特に、軍部の者達にはその傾向が顕著に表れている、とも。
「彼等にしてみれば、戦いをゲームとしか思っていない誰かさんよりは、共に視線をくぐってくれた貴方の方が信頼できる……と言うところでしょうけどね」
 おかげで、内情がよくわかる……という言葉に、カガリは頭痛すら覚えてしまう。
「……現在は、敵対関係にあるだろうに……」
 認めたくはないが、オーブとプラントは、だ。
「それは否定しませんがね……それでも、貴方に期待をしているものも多い、と言うことです」
 だからこそ、そんな軍規違反とも言えることをするものもいるのだ、と。
「まぁ、俺が連中と顔見知りで……ついでに、貴方を引っさらった人間だ、と彼等が知っているからでしょうがね」
 あの時に、こっそりと協力を求めたのだし……と笑う男の胸についている印を、アスランも付けていたな……とカガリは不意に思い出す。それが、ザフトではどのような意味を持っているかも、先日聞かされたばかりだ。
「ともかく……情報を収集してきてくれることはありがたいが……いいのか?」
「かまいません。そのための《FAITH》ですしね。議長からの許可はいただいてあります」
 第一、と彼は笑う。
「議長以上に頭が上がらない方が二人とも『そうしろ』と言ってくださいますのでね」
 俺としてはおとなしく言うことを聞かざるを得ないんですよ……と付け加える口調は、軽いとしか言いようがない。それでも、間違いなくそれが彼の本心なのだろう。
「おやおや。俺はそんなにお前をこき使った覚えはないんだがな」
 二人の耳に、からかいを含んだ声が届く。
「バルトフェルド隊長!」
 カガリが視線を向けると同時に、
「失礼しました」
 彼が即座にバルトフェルドに向かって敬礼をする。
「俺はもう、ザフトの隊長じゃないんだがな」
 表向きは……だろうと、カガリは心の中で呟く。実際の所はどうなのか、と言うことを、彼女も知っていた。
「第一、お前はもう、隊長クラスの人間よりも偉いんじゃなかったか?」
 ハイネ、と名指しされた相手は苦笑を返す。
「それでも、経験から言えば隊長の方が上、ですからね」
 敬意を表していい相手塗装ではない相手の区別は付けているつもりだ、とハイネは口にする。
「そう言うことにしておこう」
 バルトフェルドはハイネの言葉をあっさりと受け流す。
「それよりも……厄介な事態になりそうだ。ついてこい、カガリ」
 不意に口調を変えてこう呼びかけてくる。
「わかった」
 その言葉に頷くと、カガリは立ち上がった。