「……オーブが?」 信じられない、というようにキラが呟く。 「残念だが、本当だ」 そんな彼を落ち着かせようというのか。フラガはキラの体を軽々と自分の膝の上に抱き上げた。 「まぁ……あいつらはカガリが俺達とともに宇宙にいた時から《ブルーコスモス》の都合がいいように動いていたらしいからな」 ある意味、こうなることは目に見えていたのだ。今までこうならなかったのは、単に運がよかっただけなのだろう。あるいは、そんな隙を見せなかったか、だ。 しかし、今回は違っていた。 カガリ達の方で何か事情が変わったのかもしれない。あるいは《故意》という可能性もあるな……とフラガは口の中で付け加える。 「……カガリ、は?」 気にかかるのだろう。ためらいを色濃くにじませた声で、キラが問いかけて来た。 セイランによって利用されているのか。それとも、もっと悪い状況に置かれているのか……と言いたいのだろう。 その気持ちはわかる。 自分にしても、それは同じ気持ちだから、だ。同時に、彼女の存在が今後の自分達に大きな影響を与えるだろうと思えるからだ。 「セイランの馬鹿息子と結婚させられそうになったそうだ。もっとも、結婚式の式場から謎のMSに連れ去られたそうだがな」 その後で、アークエンジェルらしき艦影も確認されている。 フラガの耳に入っていた情報では、カガリのそばにいたアスランだけではなくバルトフェルド達もあの国にいたらしいのだ。だから、どれだけ追っ手をかけられても逃げ切れるだろう。 もっとも、自分達が出て行けば話は別だろうが。しかし、そうした場合、自分が《キラ》を失う事になるかもしれないとわかっている以上、命令をされても引き受けることはないが。 「バルトフェルド隊長が手筈を整えたらしいからな。セイランも下手に手を出せないはずだ」 それに、と心の中で付け加える。 セイランであれば、これを好機だ、ととらえるはずだ。それが自分達の首を絞める結果になる、と彼らは気づかないだろうが。 それはそれで自業自得だろう。 自分にしても、いつ足元を掬われるかわかったものではない。それはすなわち、キラを失うということと同意語だ。そうされないためにも、他の人間の事などかまっていられない……というのが本音だ。 「……そういえば……そろそろウチのオコサマ達が起きてくるころか?」 不意にフラガは話題を変える。 「そう、ですね」 すぐには意識の切り替えができないのだろう。どこか釈然としない口調で言葉を返してきた。 「お前があのお嬢ちゃんの事を心配するのは当然のことだ」 でもな、とフラガは言葉を続ける。 「お嬢ちゃんには信頼できる人間が何人も付いているが、ウチのオコサマ達には俺達しか守ってやれる人間はいないだろう?」 それもわかってくれ、と言えばキラはようやく納得したようだ。今度は小さいがしっかりと頷いて見せる。 「いいこだ」 ご褒美、というようにフラガはキラの頬にキスをした。 「……ムウさん……」 それに目を細めながらも、キラは甘えるようにフラガの名を口にする。 「どうした?」 今度は目許にキスをしてやりながら、フラガは聞き返す。 「……その……」 それに促されるかのようにキラは口を開きかける。だが、まだ躊躇いがあるのか――それとも羞恥なのか――すぐに口をつぐんでしまう。 「ん?」 言ってみろ、と囁きながらそっと背中を叩いてやった。 それに安心したのだろうか。 「……もっと……しっかりと、してください……」 キスを……と最後の言葉は本当に蚊が鳴くような声だった。しかし、フラガの耳はしっかりとそれを捕らえる。 「そういうことは、もっと堂々とねだってくれていいんだけどな」 こう告げるとともにキラのあごを指先で持ち上げる。そのまま遠慮なく唇を重ねた。 「ん」 まだたどたどしさが残る仕草でキラはフラガの動きに堪えている。何年経ってもそういう仕草を見せるキラが可愛いと思うのはいつものことだが、こういう時はさらに強く感じられた。 できればこのまま二人だけでいたい、と思う気持ちもないわけではない。だが、そうすることが出来ないこともわかっていた。 「ここまでだな」 名残惜しいが……とフラガは呟きながらキラの唇を解放する。 「オシゴトをしないわけにはいかないからな」 自分達だけではなくあの三人の命も長らえさせるためには……とフラガは付け加えた。 「そう考えるように仕向けられた、とも言えなくはないだろう。もっとも、連中にしても最初からそうなるとは考えていなかったのかもしれない。それでも、一度懐にいれてしまった存在を見捨てられない自分達の性格は連中が利用するには都合がいいものなのだろう。 「……あの子達に、死んで欲しくありませんからね」 その言葉にキラも頷いて見せる。 「もちろん、お前もだぞ?」 というよりも、キラの存在が失われてしまえば、自分が生きている意味もない。 そして、キラを一人でこの世界に残していくつもりもなかった。 ただ、少しでも長くこの時間を味わいたい。そう考えていることもまた事実だ。 「ムウさんも……無理をしないでください」 出来ることなら手伝いますから、とけなげな口調でこう言ってくる。 「それなら、あいつらの事を任せていいな?」 宇宙にいた時と違って、あの三人の性格や精神の不安定さを理解しているものだけがいるわけではない。むしろ、乗り降りが簡単であるためにそうでない者の方が多いはずだ。 そんな中であの三人が何を引き起こしてくれるかわかったものではない。 だが、キラがそばにいればかなり抑えられるはずだ。 自分が他の者達との話し合い――という名の根回し――に専念をするためにはそれが必要なのだ。後顧の憂いがなければ前だけを見ていられるのだし。 「お前がいてくれれば、俺は安心していられるしな」 それが重要だ、と告げれば、キラはわかったというように頷いて見せる。 「必要な施設はいつでも使えるようにしておいてやる」 適当に遊んでやってくれ……という言葉の裏に隠した意味にキラは気づいたようだ。 「わかりました」 ふわりと微笑みながらキラはこう言った。 「だから……」 「わかっている。あいつらに関する情報は集めておいてやるさ」 それによっては厄介な状況に追い込まれるかもしれないが。この言葉を口にする変わりに、フラガはキラの頬にまたキスを落とした。 自分がプラントに行っている間に、随分とややこしい事態になっているな。アスランはミネルバの通路をブリッジに向かいながら心の中でこう呟く。 もっとも、自分も周囲のことは言えないだろうが。 まさか自分が《ザフト》に復隊することになるとは思わなかった、というのが本音だ。 しかも、そんな自分にデュランダル議長が用意してくれた地位は《FAITH》である。その事実にミネルバの乗組員達が驚愕を覚えていたとしても当然だろう。 シンにいたっては『アンタは何をしているんだよ』と怒鳴りつけてきたほどだ。 「何と言われても、目的は変わらないがな」 すべては《キラ》を取り戻すための行動でしかない。 オーブではそれが出来ないとわかったから、デュランダルの誘いに乗ったのだ。そうでなければ、イザークやディアッカの言葉があったとしても、自分は《アレックス・ディノ》のままでオーブに戻っただろう。 だが、オーブの政治の中枢は既にブルーコスモスに乗っ取られていると言っていい。確実にカガリの味方、と言えるのはモルゲンレーテだけかもしれないのだ。 だから、自由に動けないことも事実。 いずれは、キラを探すどころか自分たちの命を守るだけで精一杯……という状況に追い込まれることになったかもしれないのだ。 だが、完全に孤立無援だったわけでもない。 軍人達はカガリに絶大な信頼を寄せている。だから、陰ながら手を差し伸べてもらえるのではないか、と 考えられる。 それでも、完全に当てには出来ないのだ。 彼らが軍人である以上、上の命令には従わなければならない。そのことをアスランはよく知っていた。 もし、個人の意志を上からの命令よりも優先できていたならば、ヘリオポリスでのG強奪作戦の後、自分はキラと戦わなくてすんだはずだ。それが出来ないのが《軍人》という存在なのだ、とシン達もいつか気づくのだろうか。 「カガリが行方不明になった以上、セイランが好き勝手するに決まっているからな」 そうなれば、オーブは地球連合に組み込まれる事は目に見えている。 それでなくとも、カガリに与えられていた権限は小さかったのだ。すべてのしがらみを捨て去った今の方が、彼女本来の能力を発揮するのではないか、とアスランには思えた。 「……しばらくの間だけ、夢を見させてやればいい」 いずれ、カガリは再びオーブに戻るだろう。 その時、自分が彼女の隣にいるかどうかはわからない。 だが、間違いなく《キラ》は自分の隣にいてくれるはずだ。 そうなるために自分たちは新たな道を選択したのだし、とアスランは心の中で付け加える。 「俺のことなら、何を言われてもかまわないさ」 他人の評価など自分には関係が無い。本当に大切な存在を手にいれることが出来るのであれば、名誉も何も必要がない、ということも先の戦争で学んだことだ。 それでも、無能者に協力をしてくれる人間などいないこともまた事実。 力を惜しんで失敗するよりは、全力を出して味方を増やすべきだろう。 まず、ここでの自分の地位を確実にしよう、とアスランは心の中で呟いた。 「俺の場合は、特にな」 シンのあの言葉が多くの乗組員たちの本音なのだろう。 それでも、自分には経験がある。それだけは他の者達には負けない。それを使って、自軍を有利に導いて行けば、きっと彼らの信頼を得ることができる。 その先にはきっと《キラ》へと続く道があるはずだ。 「アスラン・ザラです」 執務室にいるであろうタリアに向かって入室の許可を求める。 次の瞬間、目の前のドアが開く。 それが、アスランの新たな道の始まりだった。 |