抱きしめてくれる腕がうれしい。
 こうして彼の胸に体を預けたまま目覚めることがまたできるとは思わなかった。
 だから、まだ夢ではないのか、とキラは思ってしまう。体中に彼に愛された痕跡が残っている、というのに、だ。
 それなのに、どうしてこんなに違和感があるのだろうか。
 心の中でそう呟いたときだ。
「どうした、キラ?」
 不意に頭の上から声がふってくる。その声を耳にした瞬間、キラの中から《現状》に関する《違和感》が綺麗に消え去った。その代わりに感じたのは、言いようがない《安堵》だった。
「……まだ、夢を見ているみたいで……」
 この言葉とともに、キラはフラガの胸に頬をすり寄せる。
「こらこら。くすぐったいぞ」
 その仕草に、フラガは苦笑とともにこう告げた。そして、そのままキラの体を移動させる。
「俺はここにいるだろう? もっとも、ここも、お前にとってはいい場所だ、とはいえないが……」
 かすかに彼は眉を寄せるとこう口にした。
「ムウさんがいるなら……僕は、ここがどこでもかまわないです……」
 キラはそんな彼の表情を見ていたくなくて、思わずこう告げる。
「キラ?」
 そんなキラの態度に、フラガは一瞬驚いたように目を丸くした。だが、すぐにうれしそうに微笑む。
「その言葉、後悔するなよ?」
 こう言いながら、彼は体を起こす。もちろん、彼に抱きしめられたままのキラも同様だ。
「……ムウさん?」
「飯を食ったら、全部説明してやる。だが……その前にシャワーだな、お互い」
 くすり、と笑いながらフラガはお互いの体を見つめる。つられたように自分の体に視線を向けて、キラは羞恥に襲われてしまった。
「久々だからな。俺も抑えが効かなかったしさ」
 キラもそうだろう、と言われれば否定できない。ますます赤くなるキラを笑いながら抱きかかえると、フラガは軽い足取りでバスルームへと足を向けた。

 ここは地球軍の施設なのだという。
 そして、かつてキラがいた《施設》で行われていた研究を引き継いだ場所なのだと。フラガの口からその言葉が出た瞬間、キラは言いようのない恐怖に襲われた。
「お前を……ブルーコスモスのテロから守るには……ここに連れてくるしかなかったんだ」
 ここなら、キラを自分の庇護下に置くことも可能なのだ、とフラガはそっとキラの体を抱き寄せながら告げる。
 もっとも、最初はちゃんと選択権をキラに与えるつもりだったのだ、と彼は付け加えた。
 あの時、キラがショックで倒れなければ、と。
 そう言われて、キラは困ってしまう。
「だって、ムウさんがいきなり……」
 自分の目の前に現れたから……とキラは口にする。そうすれば、フラガは苦笑を浮かべた。そのまま、妙な形の仮面をかぶる。
「そう言うことで、ここでの俺は《ネオ・ロマノーク》という人間だ。普段はそう呼んでくれ」
 二人きりの時は今まで通りでかまわないから……と言われて、キラは素直にうなずく。
 アークエンジェル以外の地球軍のものとはほとんど接触のなかった自分と違って、フラガは有名人なのだ。そう考えれば、目の前の――ある意味愉快とも言える――仮面姿も、そして偽名も納得できる。
「普段は……ネオさん、でいいのですか?」
 呼び慣れない名前を舌に乗せた。違和感が残るが、それもいずれなれるのだろうか。キラは小首をかしげつつこんなことを考える。
「ネオ、でもいいぞ。他のオコサマ連中はそう呼んでいるからな」
 この言葉に、キラは不安を感じてしまう。フラガが気にかけているのが自分だけではない。そう気づいてしまったからだ。
「な〜に、くだらないことを考えているんだ、お前は」
 それに気が付いたのだろう。言葉とともに、フラガの指がキラの頬をつねる。
「俺の仕事が、そのオコサマ達の監視、なんだよ。お前とはまったく意味が違う」
 ベッドの中でかわいがっているのは坊主だけだって……と低い声で囁かれて、キラは頬を染めた。
「ムウさん!」
 なんと言うことを、とキラは焦る。
「だから、まったく別次元なんだって……だから、そんな不安そうな表情をしないでくれ」
 な、と言われて、キラは小さくうなずく。
「イイコだ」
 そうすれば、フラガは触れるだけのキスを頬にくれる。その一瞬のぬくもりだけで不安がかき消されてしまうのはどうしてなのだろうか。
「それにな。みんな、お前らに興味津々なんだぞ」
 すまん、関係がばれている……とフラガは苦笑とともに告げられて、キラはどうしていいのかわからなくなってしまう。
「あいつらに関しては、お前の手も借りなきゃないかもしれないからな」
 だから、隠し事はなしだ、とフラガは笑った。
「……ムウ……いや、ネオさんがそうおっしゃるなら……」
 きっと仲良くできるだろう。キラは心の中でこう呟く。
「イイコだ、キラ」
 何よりも、この手をもう二度と失いたくないのだから。キラは心の中でこう呟いていた。

「……仕上がりは上々ですね」
 モニターを消させると、男はこううなずく。
「ですが……本当によろしかったのですか?」
 彼に向かって、脇からこう問いかけてくる声があった。
「何が、ですか?」
 それに不快そうに男は聞き返す。
「ご指示通り、あの男に依存するように処置をしましたが……あなた様にではなく良かったのでしょうか。万が一、という可能性も……」
「大丈夫ですよ。どのみち、監視は続けていくのです。それに、お互いがお互いにとって枷になるはずです」
 キラはあそこからは出られない。
 そして、フラガはキラを失えない――逆もまたしかり、だろう――そうである以上、二人とも自分に従うしかないのだ、と男は笑う。
「強要するだけではないのですよ。人を従わせる方法は」
 その二つを使いこなせなければ、人の上に立つ資格はないのだ……と男は相手を見つめる。
「僭越なことを申し上げて、申し訳ありません」
「かまいませんよ。疑問はその場で聞いてもらった方がいいですからね。もっとも、答える価値があるものだけ、ですが」
 くだらない質問には答えない……と男は付け加える。その陰に隠された言葉の意味を果たして理解できたかどうか。それはこれからわかることだろう。
「あちらの建造も急いでくださいね。あれは……隔離しておきましょう」
 他の者に手を出されないように……と男は口にする。
「後は……あのシステムを組み込むだけですので……近日中には」
「そうですか。あれも、自分のためのシステムを組んでいたとは考えていないでしょう」
 本当に役に立つ《人形》だ。そう言う男に、周囲の者達は皆、大きくうなずいて見せた。