「……どうやら、本気で廃業を考えないとだめなようだねぇ」
 データーを整理しながら、バルトフェルドは小さく呟く。
 もちろん、それに関して不満があるわけではない。
 元々、この仕事を始めたのはあの子供のためだった。だから、あの子供を取り戻すためなら手放してしまってもかまわないだろう、と思う。
「本当に、厄介な連中に目をつけられたものだ、あの少年は」
 そして、その呪縛が未だに続いているとは……と彼はため息をつく。
「彼等には、知られるわけにはいかないねぇ」
 この情報についてだけは……と呟いた。それだけ、衝撃的な内容だ、と言っていい。
「せめてもの救いは……フラガ氏がいる、と言うことだな」
 彼のことだ。どのようなマインドコントロールを受けていようと、キラを守ろうとするに決まっている。いや、あるいはその強迫観念を植え付けられてキラを自分たちの手元から連れ去ったのではないだろうか。
「だから、少年の命だけは保証されるだろうね」
 そうだろう、と写真の中のアイシャに呼びかける。
「それが彼にとって幸せなのかどうかは……まったく別問題だろうがね」
 いや、あるいは《今》は《幸せ》と思いこませられているのではないだろうか。フラガの存在がそれを増長しているだろう。
 だからこそ、怖いのだ、とバルトフェルドは考えるのだ。
 依存する対象を失ったとき、キラの精神がどうなるかが。
 あるいは、それをねらっているのかもしれない。
 キラが《心》を手放し、ただの《パーツ》になる日を。
「どんなに苦しかろうと現実は現実だ……少年にもそれを見つめてもらわないとね」
 そして、彼にも、とバルトフェルドは心の中で呟く。
「僕は欲張りだからね。君も取り戻そうと思うんだよ《戦友》殿」
 さて、そのために地盤を整えようか。こう口にすると彼は傍らに置いてあった杖へ手を伸ばした。

「……エリカ主任……」
 カガリとともに資料を調べていたアスランが、不意に口を開く。
「何かしら?」
 言葉を返しながら、彼女はアスランへと視線を向けてくる。
「これを、どう考えられます?」
 そんな彼女にモニターが見えるように体の位置をずらしながら、アスランは問いかけた。最初は何気ないそぶりでモニターに映されたものを見ていた彼女だが、その表情は次第に曇っていく。
「失礼!」
 そして、とうとうアスランを押しのけるようにしてモニターをにらみつけた。
「……これは……モルゲンレーテの発注データーよね?」
「そうでしょうね。俺は、モルゲンレーテのホストから、これを見つけ出しましたから」
 だが、とアスランは心の中で付け加える。これは、自分たちが知っているものとは微妙に違う。彼女もそれを言いたいのだろう、と言うことはわかっていた。
「これらを隠して……何を作っていた、というの?」
 それも、自分たちに気づかれないように……と彼女は唇をかむ。
「……ともかく、誰が発注をかけたものか、そして、どこからの依頼か……大至急調べさせるわ」
 それが《キラ》につながっているとは限らない。
 だが、少しでも可能性があるのであれば、と誰もが思うのだ。
 あの戦いを、ともに戦った者達は皆、キラを心配している。だから、彼を捜し出すために力を惜しむことなく協力してくれていた。
「……キラ……」
 お前は皆に愛されていたんだぞ……とアスランは口の中だけで小さく呟く。
 それなのに、キラはただ一人の手を求めて自分たちから離れていってしまった。それが彼の中に強烈なほど強く焼き付けられた面影にはあらがえなかった、と言うことなのだろうか。
 もっとも、アスランだってその気持ちはわからないわけではない。
 自分にだって、そういえる《存在》はいるのだ。ただし、その相手は自分を選んではくれなかったが。
 それについて今、どうこう言っている場合ではない。
 まずは手元に取り戻すことが何よりも重要なのだから。
 たとえ、誰が邪魔をしたとしても、だ。
「貴方を憎いとまで思ったのは、初めてですよ」
 キラを自分たちから奪っていった相手。その相手の面影に向かって、アスランはこう呟いていた。

「……綺麗……」
「あんた、本当に男?」
「恋人の趣味だけはいいよな、ネオは」
 こう言いながら、オコサマ達はキラのことを珍しい生き物のようになで回している。そんな彼等の行動をどう受け止めればいいのかわからない、とキラは不安そうにフラガを見つめていた。
「お前ら。そこまでにしておけ」
 さすがに、これ以上はまずいか、とキラの表情から判断をする。そして、言葉とともに彼等の手からキラの体を取り上げた。
「ずるい……」
 そうすれば、珍しくもステラが抗議の声を上げる。どうやら、本気でキラが気に入ったらしい。フラガに依存するように調整されている彼女にしては珍しい反応だ、と思う。
 それとも、これは同じ立場にある《キラ》との共鳴なのだろうか。
 どちらにしても、悪いことではないだろう、と心の中で呟きながらも、フラガはキラを自分の膝の上に座らせた。
「ずるいも何も、キラは俺のだからな」
 だから、俺に権利があるのだ……と笑えば、三人が三人とも頬をふくらませる。
「少しぐらい、いいじゃん」
 これから一緒にいるんだし……とアウルが唇をとがらせた。
「別段、ネオと同じことをしたいって言っている訳じゃないんだしさ」
「そんなことをしたら、お仕置きじゃすまないがな」
 冗談だとはわかっているが、一応釘を刺しておく。
「ネオさん」
 キラがそんな彼の言葉に驚いたというような視線を向けてきた。
「もっとも、キラがそんなことを許すはずがない、とはわかっているけどな」
 くすりっとフラガが表情を和らげれば、キラはほっとしたというように微笑みを浮かべる。そうすればまた、三人の視線を集めることになるのだ、と本人は気づいているだろうか。
「声をかけて、キラがいやがらない程度に触れることは許可してやるよ」
 キラのことで、お前らに頼まなければならないこともあるしな……とフラガは口にする。
「……ネオさん?」
 その言葉の裏に潜んでいる《意味》に気が付いたのだろうか。不安そうに彼の名を呼ぶ。そんな彼に、フラガは心配いらないというように微笑んでやった。
「何? 何?」
「俺らにできること?」
 子供達の方は、自分たちに仕事が与えられることがうれしいのか。瞳を輝かしている。
「俺がいないときに、キラの側にいてくれればいい。当分はな」
 怖い奴が、キラを奪いに来るかもしれないからな、とフラガはちゃかすように付け加える。だが、心の中では真剣だった。
 彼が、このまま自分たちを見逃すはずがない。
 間違いなく、いつかはここにたどり着くだろう。
 それまでに、自分がどこまで力をつけていられるか。それが、キラを守りきれるかどうかの境目になるだろう。
「わかった」
「……そうする」
「任せておけって」
 オコサマ達は無邪気にこう言っている。そんな彼等に笑みを返しながらも、フラガはキラを抱きしめる腕に力をこめた。
「……ムウさん……」
 そんな彼の胸に、キラが甘えるように頬をすりつけてくる。
「もう、離さないって」
 だから安心しろと、とフラガはキラだけではなく自分にも言い聞かせるように呟いた。

 時代は再び闇の中へと進んでいく。
 その先に何が待ち受けているのか、誰も知らない。