目の前の存在に、キラは信じられないというように目を丸くしている。
 それは無理もないことだ、とフラガは思う。キラは自分が生きていたと知らなかったのだから。だが、そんなキラの表情に、フラガは自分の考えが正しかったのだ、と思う。
 今でもキラの心の中にいるのは自分だけだ、という考えが。
 そして、それは満足感と余裕をフラガに与えてくれた。
「だって……貴方は、死んだって……」
 みんなが……とキラは呟く。だが、彼の瞳は、自分はそれを信じていなかったのだ……と告げている。
 それがキラの本心なのだろう。
「死にかけたのは、事実だな」
 だから、ことさら優しい微笑みを浮かべてフラガは言葉をつづる。
「助けてもらったんだが、病院から出られなかったんだよ……迎えに来るのが遅れて悪かった」
 もっと早く、連絡を入れたかったんだが……居場所を調べるのに時間がかかったんだ……と付け加えながら、以前のように両手を広げてみせた。
 それは、あのころ、キラを抱きしめたいときによくやっていた仕草。
 キラもそれを覚えていたのだろう。どこかおずおずとフラガに歩み寄ってくる。
 ゆっくりなのは、きっと、まだフラガが生きている、という事実を信じられないからだろう。あるいは、触れれば消えてしまうとでも思っているのかもしれない。
 その気持ちもわからなくはない。
 だが、そんなにゆっくりしている時間はないのだ。
 マードックが戻ってきたら、少々厄介なことになるな……と思いながら、フラガはゆっくりとキラに歩み寄る。そして、その指先を自分に触れさせた。
「……消えない……」
 夢じゃない……とキラは呟く。
 ようやく安心したのだろうか。
 次の瞬間、体ごとぶつかるようにキラが抱きついてくる。それをフラガはしっかりと抱き留めた。
「良かった……僕……」
 キラはそのままフラガの胸に顔を埋めると小さくしゃくり上げている。
「悪かったって」
 本当に、このオコサマが泣くのだけは耐えられない。同時に、どうして今までこのぬくもりに触れずにいられたのだろうか、とも思う。いや、一度触れてしまったら手放せなくなる、とわかっていたから、あえて我慢していた、と言うべきか。
 これから自分が何をしようとしているのか。
 それを知ったなら、このオコサマは自分の腕からすり抜けて行ってしまうかもしれない。
 その事実もフラガにはわかっていた。
 だが、そんなことをさせるわけにはいかない――たとえ《キラ》がどれだけいやがったとしても、だ。
 それに、と思う。
 次に目覚めるときにはきっと、キラは……こう考えたところで、フラガは自嘲の笑みを浮かべる。
「ムウ、さん?」
 その気配を感じ取ったのだろう。キラが顔を上げた。その頬はまだ涙に濡れている。
「何でもない。とりあえずは、な」
 そっとそれを指先でぬぐってやりながらもう一度微笑んでみせれば、キラもほっとしたような笑みを浮かべる。
「もう、どこにも行きません?」
 そして、小さな子供が親に置いて行かれまいとするような口調でこう問いかけてきた。
 そう、小さな子供。
 キラの今の心はそれに近いのかもしれない。もっとも、それは自分相手に限定してのことだろう。そう考えれば、フラガはぞくぞくとしたものが背筋を駆け抜けていくのを感じた。
 それは間違いなく《快感》であろう。
 しかし、それを表情に出すことはしない。
「ずっと側にいてやるって」
 だから安心しろ……と囁くと、キラの頭をぽんぽんとたたく。そのまま、彼の顔をそうっと上げさせた。
「だから、キラも俺だけを見ていてくれ」
 この言葉とともに、ゆっくりとフラガは顔を寄せていく。その意図がわかったのだろう。キラはゆっくりと瞳を閉じた。
「イイコだ」
 唇を重ねる。久々の感触に、すぐに口づけは深いものになった。
 キラはうっとりとした表情でフラガに体を預けている。
 フラガはその様子を冷静に観察していた。
 本音を言えば、キスに酔いたいのは自分も同じ。だが、ここで流されては、厄介なことになるのは目に見えていた。だから、必死に劣情を耐える。
「んっ」
 角度を変えるためにかすかに唇を離せば、キラは甘い声を漏らす。
 これならば大丈夫だろうか。
 再び唇を重ねる前に、フラガは舌先で器用に奥歯の影に隠しておいたカプセルを引っ張り出す。そして、それを歯でかみ割った。
「……んん?」
 そのまま中身をキラの口の中に流し込む。
 その味がいやだったのか。
 それとも、別の理由からか。
 再会してから初めて、キラはフラガにあらがう。だが、フラガはそれを強引に嚥下させた。
「……ムウ、さん?」
 唇を離してやれば、キラは今までとは違った意味で驚愕に染まった瞳でフラガを見上げてくる。
「すまん、キラ……俺には、これ以外にお前を守ってやれる方法を見つけられなかったんだ……」
 恨み言なら、後でいくらでも聞いてやる……とフラガはキラの頬にキスを落とす。それが引き金になったわけではないだろう。キラの全身から力が抜けた。
 その体をフラガは宝物を扱うように慎重な手つきで抱き上げる。
「……ネオ」
 いったいいつの間に背後に近づいていたのだろうか。アウルが声をかけてきた。
「今、スティングとステラが足止めしているけど……そろそろまずい」
 そして、彼はこう報告をしてくる。
「そうか」
 もっとも、キラは既に自分の手の中だ。後は、この場から立ち去るだけ。その方法はあの男が既に手配してくれている。
「なら、合図を送れ」
 適当なところで切り上げてこい、とな……と言い残すと、フラガは歩き出す。
「了解」
 どこか楽しげな口調でアウルは言葉を返してくる。しかし、彼はすぐに行動を起こそうとはしない。
「でも、本当に綺麗だよな、そいつ……」
 その代わりというように、手を伸ばすとキラの頬に触れようとしてきた。フラガはその行動を、さりげなく体の向きを変えることで阻止をする。
「何だよ……」
「後でもできるだろう。それよりも、このままだとまずいんじゃないのか?」
 キラを取り戻されるぞ……と付け加えれば、渋々ながら納得したらしい。アウルはフラガから離れていく。
 そちらの方向へ視線を向ければ、ステラとスティングの後ろ姿が確認できた。その先にマードックがいるのだろう。
「すまんな、マードック」
 今までキラを守ってもらっていたのに、それに対する礼も言えずに姿を消すことになって……と見えない相手に向かってフラガは呟く。そして、彼らはキラが消えたことで大騒ぎをするだろう。
 あるいは、探そうと全力を傾けるかもしれない。
 それがわかっていても、自分はキラを手に入れたかったのだ。
 こう思いながら、フラガはゆっくりと歩き出した。