「キラ……いい加減眠らないと……」
 モニターに向かって作業を続けているキラの背中に向かって、アスランはこう声をかける。
「でも、もう少しだから……」
 ここだけでも終わらせてしまわないと、後でわからなくなる……とキラはどこかうつろな口調で言い返してきた。それはきっと、目の前の作業に集中しているからだろう。
「キ〜ラ」
 その気持ちはわかるが、既に徹夜二日目だ。いくら元々が丈夫なコーディネイターでも限界に近いのではないか。
 確かに今回の件でキラが徹夜をするのは二日目だが、その前の仕事でもせっぱ詰まっているわけではないのに徹夜をしている。
 そして、キラが引き受けている仕事の量は他の者達の比ではないのだ。
 一つの仕事が終わってもすぐ次の仕事が舞い込んでくる。
 そして、キラ自身、忙しさで何かを忘れようとしているらしい様子が見受けられるのだ。アスラン達が強引に仕事を取りあげて眠らせなければ眠りたがらない。その事実をみんなが心配しているとわかっていても、だ。
「今日はここまでだ!」
 アスランは厳しい口調でこう告げると、脇からキーボードに手を伸ばした。
「アスラン!」
 キラが即座に抗議の声を上げる。
「明日はラクスが来るんだぞ。心配をかける気か?」
 彼女のことだ。絶対に連れ帰ると言い出すぞ……とアスランは付け加えた。
 この言葉を耳にした瞬間、キラはかすかに眉を寄せる。どうやら、十分にあり得ると判断したらしい。小さなため息がキラの唇からこぼれ落ちた。
 そして、アスランの作業を邪魔することなく静かに見つめている。
「……お前は……眠るのを怖がっているように思える……」
 パソコンがシャットダウンされたのを確認しながら、アスランはこう呟く。
「夢を、見るから……」
 それにキラはこう言葉を返してきた。
「キラ?」
 夢なんて、誰でも見るものではないか、とアスランは思う。だが、キラにはそれは特別な意味を持っているらしい。だから、眠ろうとしないのだろうか、とかすかに眉を寄せた。
「どんな夢?」
 それでも、できるだけさりげない口調でこう問いかける。それがわかれば、あるいはキラを眠らせることができるかもしれない、と思ったのだ。
「ムウさんを、探しているんだけど……ムウさんが、いないんだ……声は聞こえるのに」
 どこにもいない、とキラは呟くように付け加える。せめて、夢の中だけでもいいから、彼の存在を確認したいのに、と。
「キラ……あの人は……」
「死んだんだよね……でも、夢の中ぐらい、ムウさんに側にいて欲しいって思っても許してもらえると思っていたんだ……」
 でも、それも許してもらえないらしい……とキラは悲しげに微笑む。
「ムウさんに嫌われているのかと思ったら……夢を見るのが怖くなったんだ……」
 だから、夢を見ないくらい疲れてしまえばいいのか、と思ったのだ、とキラは口にした。しかし、それでも夢を見てしまうのだ、と。
 それがいやだから、ますます眠らないようにしていたのだ、とキラは素直に言葉をつづった。
 ある意味、それはアスランが望んだ結果だ。
 だが、実際にそれを耳にすれば、忌々しいとしか言いようがない。
 キラの心の中から、彼の面影がまだ消えていないと如実に見せつけられたのだ。
 もっとも、それでもいいとは思っていた。それでも、自分を選んでくれるのであれば、彼の存在も妥協できるとアスランは考えていたのだ。
 しかし、キラの心の中に焼き付いた《ムウ・ラ・フラガ》の存在は、アスランが考えていたよりも強いものだったらしい。
 これだけの時間が経ったというのに、彼の心の中の面影は薄れるどころか、ますます強くなっているのではないだろうか。
 いや、違う。
 少なくとも、一時的には薄れていたらしい。実際、時折寝言でその名前を呟くことはあっても、こんな風に夢を見ることを怖がるような態度は見せなかったのだ。
 では、いつからキラはこうなったのだろう。
 アスランはそれを思い出そうと考える。だが、考えるよりも先に答えは見つかった。
 あの日、キラが『誰かに呼ばれた』といいながら、周囲を見回していた。あの日から、キラはその口で――間違いなく無意識だろうが――フラガの名を呼ぶことが多くなった。
 同時に、彼は眠ることを怖がるようになったのではないか。
 あの日、自分が気づかないところで何があったのだろう。
 それに気づかなかった、という事実に、アスランは唇をかむ。
「……キラ、あの人を忘れろとは言わないし……言えないことはわかっている」
 だが、今はその原因を探すよりもキラを何とかしなければいけない。少なくとも、定期的に睡眠を取らせるようにしなければ……と思いながら、アスランは無理矢理口を開いた。
「でも、このままじゃキラまでいなくなってしまうじゃないか……」
 自分の前から……とアスランは呟きながら、そうっと彼の体を抱きしめる。
「俺にとって……キラだけが、この手の中に残された唯一絶対なのに……」
 それまでなくしたら、どうしたらいいのかわからない……とアスランは付け加えた。そうすれば、腕の中のキラは体をこわばらせる。
「アスラン……僕は……」
 そんなつもりはなかったのだ、とキラは呟くように口にした。その声には思い切り後悔の念がにじんでいる。
 それに気づいて、アスランは自分が嫌になってしまった。
 こう言えば、キラがそう考えることはわかっていたのだ。
 それでも、キラを手放すことはできない。
 自分の側に縛り付けておくためなら何でもできる。
 それが、キラの望まないことでもだ。
「わかっているよ、キラ」
 だが、まだ最後の衝動は抑えることができる。
 それをしてしまえば、間違いなく彼を失うことになるとアスランは知っているからだ。だから、キラ自身が望まないうちは、これだけは……と、必死に自分を戒めている。
 しかし、それもいつまで続くだろう。
 今ですら、この腕の中から伝わってくるぬくもりに理性が食い破られそうだ、というのに。
「だから、今日は眠ってくれ。何なら、添い寝をしてやろうか?」
「いい!」
 くすりと笑いながら付け加えた言葉に、キラは即座にこう言い返す。
「じゃ、一人で眠るんだな。うなされていたら、起こしてやるから」
 安心していい。
 この言葉にキラは小さくうなずいてみせる。そして、そのままアスランの腕の中から抜け出す。
 離れていくぬくもりに、アスランは心の中に鈍い痛みを感じていた。