今日は、自分の講義がないから。
 それが苦しいいいわけだと言うことはわかっている。それでも、キラの側にいる理由にはなるはずだ。
「……本当にいいんですか?」
 自分の勉強もあるのではないか、とキラは言外に問いかけてくる。
「かまわん。図書室に行かなくても資料は見られるしな」
 むしろ、デュランダルの研究室であればあれこれ声をかけてくる者はいないだろう。そう言って笑い返す。
「むしろ、その方が集中できる」
 この言葉に、キラは首をかしげている。
「イザークさんが、それでいいなら……」
 自分は何も言う権利はないけれど、と彼はそのまま口を開いた。
「でも、そのせいで迷惑がかかっているなら、やめてね?」
 勉強を優先して欲しい。それは、彼が自分の希望を途中で諦めなければいけなかったからだろうか。それが彼を守るためだったとしても、失敗だったのではないかと思う。
 キラのためには別の方法を考えた方がよかったのかもしれない。
 だが、それが許されない状況だったのではないか、と言うこともわかっていた。
「大丈夫だ。しばらくは座学を続けなければいけないからな」
 実際にフィールドワークに出るには、別の許可を得なければいけない。しかし、それがまだ出ていないのだ。イザークは苦笑と共にこう告げる。
「モルゲンレーテでのあれこれが終わるまでは我慢して欲しい、と言われたしな」
 だから、気にするな。そう言えば、キラは困ったような笑みを浮かべた。
「それよりも、いかなくていいのか」
 自分としては、こうして話をしているだけでもいいのだが……とイザークは問いかける。
「……そうだった……」
 キラはキラで、慌てたように荷物を持ち上げた。
「流石に、今日の実験はパスできない……」
 この前人工授精した受精卵が着床しているかどうかを確認しないと……とキラは呟く。
「何を育てるんだ?」
「……んっと……リスザルの仲間。今のところ、八割の確率で成功しているから」
 やっと、許可が下りたから……と付け加える。もう少し成功率が上がれば、もっと人間に近い種での実験出来る……と彼は続けた。
「そうか」
 それならば、俺も見てみたいな……と付け加えたのは社交辞令ではない。
「……次に生まれるのは……いつだろう。経過がよければ、そろそろ人工子宮から出してもいい子もいるんだけど」
 そう言いながらキラは歩き出す。しかし、話しに夢中になっていたせいか足元の注意がおろそかになっていたらしい。ちょっとした段差に、しっかりと躓いてくれる。
「キラ!」
 慌ててその体を支えた。その瞬間、腕に伝わってきた重みは、以前感じた時よりも軽くなったような気がするのは錯覚ではないだろう。
「夢中になるのはいいが、足元には気をつけないとダメだろうが」
 だが、それを指摘すればキラがまた遠慮してしまうのではないか。そう判断をして、これだけを口にする。
「まぁ、俺が側にいるときは構わないがな」
 小さな笑い声とともにこう続けた。
「イザークさん……」
「お前のフォローをするぐらいはどうと言うことはないからな」
 だから、安心しろ……と笑う。
「……でも、申し訳ないよ……」
 迷惑をかけてしまうのは、とキラは告げる。
「気にするな。俺が楽しんでいるのだから」
 ディアッカ相手ならば死んでもごめんだが、キラ相手であれば逆に楽しい。
「それに、お前はわざと迷惑をかけるような人間ではないからな」
 もっとも、甘える意味でわざと迷惑をかけてくれるのは構わないぞ……と遠回しに自分の好意を伝えておく。ただ、それを彼が受け止めてくれるかどうかは別問題だろう。それでも構わないと考えている。
「……イザークさん」
「と言うことで、もう大丈夫だな?」
 手を放すぞ、と 告げると同時に、キラの体を解放した。
「ありがとうございます」
 こう言って、キラは微笑みを向けてくる。
「どういたしまして」
 今度は足元に気をつけろよ……とイザークは笑い返す。
「大丈夫だと思います……多分……」
 自信がないけど、とキラは恥ずかしそうに続けた。その所作も可愛いと思ってしまう自分は、末期症状なのだろうか。
 それでも、そんな自分が嫌いになれないことも事実。
「まぁ、転びそうになったら、また、支えてやろう」
 だから、隣にいろ。そう言えば、キラは小さく頷いてみせる。
 それでも不安だったから、イザークはさりげなくキラの腕を取った。その仕草に、キラはくそうを浮かべるものの振り払うようなことはしてこない。
 その事実が嬉しかった。