飲み物の中にこっそりと混ぜておいた薬が効いたのだろうか。キラは取りあえず穏やかな寝息を立てている。
「……ラクス・クラインが言っていたのは、このことか?」
 それでも魘されるのか。時々苦しげな表情を見せた。それでも、そっと手を握ってやれば収まる。
「いくらこいつが、戦争とは無縁の生活をしてきたとはいえ……これは、異常だぞ」
 戦争を嫌悪しているだけならば、まだ普通と言える範疇だろう。戦争に荷担してしまった自分の存在についても同様だ。それこそ、まだ人類が地球上だけで暮らしていた時代からある症例だ、と言っていい。
 しかし、キラは違う。
 自分の存在そのものを消してしまいたいと思っているようだ。
 あるいは、自分が何か行動を起こすことを怖がっている、と言い直した方がいいのだろうか。
「……力の使い方を知らなかったせいで、もてあましている……と言うだけではなさそうだな」
 それであれば、日常の生活程度な何も悩むことはないだろう。
 しかし、キラは食事を取る、とか、眠ると言った普通の生活すらためらいを見せている。自分があれこれ言うことで、何とか行っているようなものだ。
 だからと言って、キラの思考能力が劣っているわけではない。
 むしろ、自分でも時々舌を巻きたくなるような考えを口にする。それは軍という枠にはめられていないからかもしれない。
 だが、それも、カナードが水を向けなければ出てこないのだ。
 日常的に、何かをすることを禁止されていたか、阻害されていたのではないか。
 夕食時に同席していたメリオルがそんな推測を口にしてくれた。彼女は、自分のフォローをするために、メンタル関係の知識も豊富に持っている。だから、その推測は当たっているのではないか。そう考えるのだ。
 キラの周囲の人間で、そのような行為をした可能性があるものは誰か。
 マルキオやラクスではないことはわかっている。キラの《両親》とやらも違うだろう。子供達も同様だ。
「なるほど。クラインがキラをあそこから引き離したい』と言っているわけだ」
 自分とキラは、以前、一度だけすれ違ったことがあった。その時と比べて、体調の方は格段に良さそうだ。しかし、精神面ではどうだろうか。
 あの時、キラの側にいたのは《アスラン・ザラ》だった。
 それはキラを気遣ってのことだろう。
 そんなことも考えてはいた。しかし、実は違ったのだろう。
 そうして、もう一人――現在はオーブのお飾り代表に祭り上げられているカガリ・ユラ・アスハ。
 この二人が、キラに考えることを邪魔していた可能性はある。親切は時によって他人をダメにするものだ。もっとも、それに本人達だけが気付いていないのだろうが。
 いや、それだからこそ問題だと言うべきかもしれない。
「好意の押しつけほど、手に負えないものはないからな」
 それがキラの輝きを消しているはと思っていないのだろうし、とそうも付け加える。
 あるいは、キラという存在を自分たちの手の中だけに納めておきたいのかもしれない。
「それが、こいつを縛り付けていると気が付いているのは、クラインだけか」
 それは間違いなく、彼女が《キラ》という存在を正しく理解しているからだろう。だからこそ、今回のことにも手を貸してくれたのではないか。
「彼女にしてみれば、今のキラは抜け殻のように思えていやなんだろうな」
 それは自分も同じだ。
 やはり、キラは輝いていてもらわなければいけない。
 それでなければ、自分が追いかけていた意味がないだろう……とそう思う。
「そのためには、あいつらという名の鎖から切り離してしまうしかないんだろうが」
 どうすればいいのか。
 はっきり言って、カナードにもそれはわからない。
 だが、キラの側にいれば、それが見つかるのではないか。あるいは、彼自身が見つけ出すかもしれない。それまで、一緒にいればいいだけだろう。
「……幸い、キラに手伝わせたい仕事はたくさんあるからな」
 今回のことだけではなく、他にも、だ。
「……ゃ……だめ」
 そんなことを呟いた瞬間、キラがまた魘され出す。どうやら、また前の戦いのことを思い出しているようだ。
「それはもう、終わったことだ。もう、誰も傷つく者はいない。だから、安心しろ」
 そう囁いてやる。それだけで、キラは悪夢から抜け出せたようだ。
 だが、カナードにしてみれば自分がこんな風に優しい声を出せることの方が驚きだと言っていい。
「……これも、お前の影響なのかもしれないな」
 自分に未来をくれて消えた存在。
 彼の面影に向かってカナードはそう呟く。
「大丈夫だ。もう、こいつを傷つけるようなことはない」
 むしろ守ってやりたいのかもしれない。それとも、と考えながら微かな笑みを口元に刻む。
「俺を本当の意味で理解できるのはこいつだけ。そして、こいつを理解できるのも俺だけだ」
 そんな存在がこの世界にいる。それだけでも十分かもしれない。
 少なくとも、自分は一人ではないと実感できるからだ。そう考えれば、彼を殺そうとしていたことで、自分は生きる理由を手にしていたとも言えるのではないだろうか。彼の代わりに存在すると言うことだけを支えにして、あの辛い経験を我慢できたのだ。
 そして、今は彼がいることで初めて対等な存在を手に入れることができるかもしれないという期待を抱くことができる。
 こう考えれば、自分の中で《キラ・ヤマト》という存在がどれだけ重要なのか。それを改めて認識させられているのかもしれない。
 同時に、別の不安も生まれてくる。
 こうしてともにいることで、自分が変わってくるのではないか。それが、自分にとってプラスになるとは言い切れない。何よりも変わってしまうことが恐いような気がする。
「俺が、こんな事を考えるとは、な」
 しかし、それがいやではない。それに、変わるのは自分だけではないはずだ。その結果、新しい何かが見えるかもしれない。
 こう呟くとカナードは笑う。
「大丈夫だ。ゆっくりと眠れ」
 その表情のまま、カナードはそっとキラの前髪を指先ではらってやる。
「俺がここにいる」
 そのまま、彼はキラの寝顔を見つめていた。