自分という存在は、この世界にいていいのだろうか。
 クルーゼによって《自分自身》が何者であるのかを教えられたあの日からずっとキラの脳裏にこびりついて離れない疑問だ。
 いや、それ以前から自分の中に巣くっている疑問がある。
 しかし、それを言葉にすることはできない。
 そうしてしまえば、自分の中で息を殺している《何か》に形を与えてしまうことになる。そうなったとき、自分が何をしでかしてしまうか、それが恐い。
 だから、とキラは心の中で呟く。
 自分は、何も見ないし、何も考えない。
 自分が下手に行動を起こせば、ただ、混乱を招くだけだ。
 あの時だって、自分が仲間達を助けようとしたこと――これに関しては後悔はしていないが――から全てが始まってしまったような気がする。まだ何も知らなかったのにだ。
 それでも、時々考えてしまう。
 あの時、彼女を追いかけていかなかったら、状況は変わっていたのだろうか。
 自分は真実に向き合うことなく、二人の元でただの《人間》として暮らしていられたのだろうか。
 いつかは真実と向き合わなければいけない。きっと、あの二人にしても、自分が受け止められると判断したときには、本当の両親について話をしてくれたのではないか。
 でも、それは《家族》の言葉だからだろう。
 いくら血がつながっていたとはいえ、それまで言葉を交わす程度の《知人》から、告げられたくはなかった。いくら、相手が混乱をしていたから、と言っても、だ。
 それでも、彼女を恨みたくはない。
 だから、とキラがゆっくりと体の位置を変えようとしたときだ。
「キラ!」
 聞き慣れた声が耳に届く。
 しかし、今は彼女の声を聞きたくなかった。
 そう思ってしまうのは、自分のワガママなのか。こう考えながら、キラはゆっくりと視線を声がした方向へと移動させる。そうすれば、普段モニターで見ているような代表首長としての服ではなく、バナディーヤにいたころのようなラフな服装をしていた。
「飯だそうだ。行こう」
 ラクスが頑張ったそうだからな。食べてやらないと後が恐いぞ……と彼女は笑う。そして、そのままキラの腕を引っ張り上げた。
 カガリのそんな行動が自分のことを心配してくれてのことだ、と言うことはわかっている。
 それでも、時々煩わしいと感じてしまう。そう。たとえば今日のように思考のループに陥っているときには、だ。
 できれば、今はまだ一人にしていて欲しい。
 しかし、そんなことを言えば、彼女たちにまた心配をかけてしまう。
 それもできない。
 だから、キラは小さなため息をつくと、のろのろと立ち上がった。

 そんな自分の姿を見つめている存在がいるとは、微塵も考えてはいなかった。

「……あれが……」
 自分が殺したいと思っていた相手なのか。
 もちろん、今はそんな気はない。それでも、自分がそうしたかったと思えるよな存在であって欲しかったのだ。
 だが、とすぐに思い直す。
 マルキオの話であれば、彼はごく普通の生活を送ってきたのだという。両親の教育なのか、他人を傷つけることにものすごく罪悪感を抱いていたらしい。
 何も知らずに過ごし、心構えを持つ前に戦場に放り込まれればどうなるか。
 彼のようにパイロットとしてではないが、同じような状況に放り込まれた研究者であれば何人か見たことがある。そして、その結末も、だ。
 まして、彼は実際にスロットルを握り相手の命を奪う立場にあったパイロットだ。そんな彼が感じるプレッシャーとストレスはどれほどのものだったのだろうか。
 それでも生き残るだけではなく、終戦へと導く原動力となった……と考えれば、やはり彼は自分と同じ存在なのだろう。
 だからといって、今はもう、自分を『失敗作』とは思わない。
 自分にできて彼にできないこともある。それがわかったからだ。
「ともかく……マルキオの依頼を遂行するには、あれを連れ出さなければいけないわけだな」
 それも、できれば人知れずに、だ。
 いや、知られてはいけないのは二人だけかもしれない。
 アスラン・ザラとカガリ・ユラ・アスハ。
 ある意味、キラに近い位置にいるあの二人が、彼にとってはストレスの原因になっているように思える。そして、一番厄介なのは、そんな二人が自分たちを『正しい』と思っていることだろうか。
 いい方は悪いが、 彼等の思考はブルーコスモスや地球軍の上層部のそれに近いように思えてならない。
 独善的で、かつ、他人の判断基準を認めようとはしないというそれだ。あるいは、自分よりも優秀な存在を、と言うべきなのか。しかも、それを自分たちが認識していないと言うことも事実。
「好意の押しつけが相手にとって迷惑だと考えていないのだろうな」
 確かに、今のキラは何もする気力がないように見える。しかし、それは今までその身に降りかかってきたあれこれを自分自身の中で整理しきれないからだ。同時に、彼が持つ力をコントロールするための方法を見つけられないからかもしれない。
 カナードからしてみればそれは『甘い』と思えることだ。
 しかし、今まで積み重ねてきた環境が違う以上、それはしかたはないことなのだろう。そう思えるようにもなっていた。それは、きっと、自分が知り合った者達のおかげなのだろう。
「あいつの力が必要だ、と言うことは否定できない事実だし、な」
 それと同じくらい、あの二人からキラを引き離したい、とも考える。
 そうすれば、彼は彼本来の輝きを取り戻すのではないか。
 自分は、それを間近でみたい。殺すのではなく、この目で確かめる。それでいい、と最近は思えるようになった。
 それは、きっと、自分と彼のどちらが《失敗作》でどちらが《完成作》なのかと言うことをこだわらなかった存在に出逢えたからだろう。この腕の中で失われた命が、己の死と引き替えに自分の中から《ユーレン・ヒビキ》の呪縛を打ち砕いてくれたのかもしれない。
 そして、その彼がキラと真っ直ぐに向き合うようにと言ったのだ。
「……ともかく、あの中で誰かを味方に付けるのが一番手っ取り早いか」
 マルキオもいるが、後一人、キラに近づいても不審に思われないような存在がこちらに付いてくれるとありがたい。
「適任なのは、やはりあれだろうがな」
 もっとも、その分、ガードも堅いが。それでも、この場で一番影響力を持っているのはあの存在だろう。
「……急ぎだが、期限を切られているわけではないから、な」
 今しばらく様子を見よう。
 何事も、準備段階で失敗をしてしまえば意味がない。
 カナードはそう呟くと、体から力を抜く。そして、その瞳を閉じた。