「……こんなものかな」
 こう言いながらキラはトランクの蓋を閉める。
 元々、自分の私物といえるものはそれほど多くはない。だから、トランク一つですんでいるのだろう。もっとも、あちらでもこれで足りるかどうかはわからないが。
「その時は、向こうで買いそろえればいいし」
 だから、と思いながら立ち上がる。そして周囲を見回した。
 実際にこの部屋にすんでいた時間は一年ほどかもしれない。それでも、間違いなく、ここが自分の《居場所》だった。
 しかし、これからはあちらに自分の《居場所》を作らなければいけないのだろう。
 だが、そこに《彼》は訪ねてきてくれるのだろうか。そう考えた瞬間だ。
「……ずいぶんと少ないな」
 不意にベランダの方から声が飛んでくる。
 それは聞き覚えがある声だ。
 しかし、この場では聞くことはないだろう。そう思っていたことも否定しない。
「カナード……」
 何かあったのだろうか。
 真っ先に思い浮かんだのはこの言葉だった。そうでなければ、彼がこんな風に訪ねてきてくれるはずがない。そうも考えてしまう。
「お前に会いに来たんだがな、キラ」
 キラの考えていることぐらいは、彼にはお見通しなのだろうか。いつもの皮肉そうな笑みを口元に浮かべると、彼はこういった。
「……だって、忙しいって……」
 そう聞いたのだ、とキラは何とか言い返す。
 だから、ここから離れることもメールでだけ連絡したのだし……とそうも付け加える。
「あれか。あれは、忙しかったというわけじゃない。依頼主が妙なことでごねてくれただけだ」
 面倒だから、さっさと終わらせたがな……と口にしながら、カナードはゆっくりとキラに歩み寄ってきた。そして、彼の手首を掴んで自分の方に引き寄せる。
「……カナード?」
 どうしたの? と問いかけるキラの掌の中に、彼は小さな端末のようなものを落とした。
「何?」
「俺への直通回線だ」
 スイッチを押せば、どこにいようともすぐに自分に連絡が入るようになっている。カナードは今度は優しい笑みを口元に浮かべながらそういった。
「カナード?」
「後は……いくつか書類にサインしてもらわないといけないがな」
 正式な話となれば、手続きが面倒だ……と言うのは最初からわかっていたことだ、と彼は口にする。しかし、キラには何がどうなっているのか、まったくわからないのだ。
「正式な話って、何?」
 自分がラクスとともにプラントに行くことだろうか。だが、それとカナードがどう関係しているのかがわからない。
「お前を優先するという契約だ。クラインから話を持ちかけられてな」
 そうすれば、プラントに入国するのも簡単だろう……とそういわれたのだ、とそう教えてくれる。
「……ラクス……」
 自分が知らないところで何をしているのか、とそう思う。
 もちろん、それがいやなのではない。ただ、自分よりも彼女の方が忙しいのだ。だから、そんな彼女の手助けをするためにという名目で、彼女の元へ向かおうと思ったのも事実。
 しかし、それだけが理由ではないことも事実だった。
 最近、昔以上に束縛をしてこようとする者達から、一時的にでも離れたい。そう考えていることも否定できない。そして、そんな自分の気持ちをラクスも察してくれたのだろう、とそう思っている。
「……それに、悪いが……俺は、お前が明日、無事にここを出発できると思っていないんでな」
 このままでは、と彼はさらに言葉を重ねた。
「何か……否定できないかも……」
 彼等ならばやりかねない。
 そんなことをキラも考えてしまう。
「だから、俺が来たんだよ」
 大丈夫。自分がきちんとラクスの所まで送って行ってやる、とカナードは笑った。
「それも、ラクスから?」
「いや、俺の判断だ」
 キラの問いかけに、カナードは即座にこう言葉を返してくる。
「もっとも、ちゃんと報酬を貰うがな」
 誰から、と問いかけるよりも早く、彼の唇がキラのそれを塞いだ。そして、そのまま軽々とキラの体を抱き上げる。
 ここまでされてしまえば、キラにしても彼の言う『報酬』が何であるのかわかってしまった。
 しかし、と思う。
 それで、明日、無事に出発できるのだろうか。
「心配するな。お前とお前の荷物を抱えても、ここから抜け出すのは苦ではない」
 あいつらが何をしてこようともな……と口にしながら、カナードはキラの体をベッドの上に下ろした。そのまま覆い被さってくる。
「相変わらず、自信満々だね」
 そういうところも大好きなのだが、とキラは心の中で呟く。きっと、自分が自分自身に自信を持てないからだろう。
「当たり前だろう?」
 それだけの努力をしてきている。何よりもキラの前だからな。この言葉とともにカナードの唇がまたキラのそれを塞いだ。同時に、彼の手が少し強引な仕草でキラの体から衣服をはぎ取っていく。
 そんな彼の背中に、キラはそっと手を回した。