別れ際、キラは静かに泣いていた。
 むしろ、大声で泣きわめいてくれた方が安心できるのだ……とイザークはその時始めて知った。
「大丈夫だ、キラ。すぐにまた会える」
 取りあえず、少しでも早く泣き止んで欲しい。その思いでイザークは彼女に言葉をかける。
「それまでの間、これを預かっていてくれ」
 言葉とともにそうっと彼女の手にビロード張りの小さな小箱を差し出す。
「イ、ザーク……」
 キラが頬を涙で濡らしたまま視線を向けてくる。
「俺が生まれたときに貰ったものだ。だから、預かっていてくれ」
 次に会うときまで……と口にしながら、イザークは何とか微笑みを浮かべた。でなければ、キラが安心してくれないだろう。そう思ったのだ。
「……そん、な……大切なもの……」
 預かれない、とキラは小さく首を横に振る。そうすれば、まつげに絡んでいた涙が周囲に飛び散った。その光景が、とても綺麗だとは思う。
 でも、それ以上にキラの笑顔の方が綺麗だよな……とイザークは心の中で呟く。
「大切だからこそ、お前に持っていて欲しいんだ」
 これは、持っているものを守ってくれると言うから……と付け加える。
「次に会うときまで、お前には無事でいて欲しい。そんな風に泣いているかと心配するのはいやだからな」
 だからお守りだ、と箱をキラの手の中に押しつけた。
「イザーク……」
「次に会うときは、お前だけのものを用意しておく。だから、そんなに泣くな」
 大丈夫。すぐにまた会える……とイザークはキラの頬にそっと手を伸ばす。そして、その頬を濡らしている涙をそうっと指先でぬぐってやった。
「だから、笑ってくれ」
 キラの微笑みが一番好きなんだ、とそうも付け加える。
「イザーク」
「それに、お前は一人じゃないだろう?」
 兄弟達がたくさんいるじゃないか、と言われて、ようやくキラは小さく頷いてみせた。
「だから、俺が向かえに来るまで待っていられるな?」
 彼女の瞳をのぞき込みながらこう問いかければ、今度はしっかりと頷いてみせる。
「待って、る」
 でも、早く来てね……と彼女は小さな声で付け加えた。
「わかっているよ、キラ」
 必ず向かえに来る。イザークのこの言葉にキラはようやく笑ってくれた。

 しかし、その約束を叶えることはできなかった。

 イザーク達がプラントに戻り、エザリアがその権力を全て使って準備を終えたときだ。
 まるでその瞬間を待っていたかのようにメンデルはテロに襲われた。
 表向きは研究所で作られたウィルスが流出してしまったから……と言うことになっている。だが、そうではないことをイザーク自身もよく知っていた。
 あの場所で研究されていたのはウィルスなのではない。
 詳しくは説明されていないが、第二世代以降が誕生しにくくなったコーディネイター達のために、未来をつなげていくための研究だった、とエザリアからは聞いていた。
「……何と言うことを……」
 同じ報告を受けたエザリアもまた絶句している。
「だから、ヴィアとユーレン達を少しでも早く保護して欲しい。そういっていたのに……」
 彼等がブルーコスモスの抹殺リストに載せられているとわかったあの日から、とエザリアははき出す。
「母上……」
 彼女のいっている言葉の意味はイザークにもわかる。しかし、その理由まではわからない。どうして、優しくて優秀だったあの人達がブルーコスモスに狙われなければいけないのか。
 それとも、その研究がいけなかったのか。
 だが、どうして……とイザークは思う。
 自分たちが未来を望んではいけないのか。そう考えるだけで怒りがわき上がってくるのだ。
「……大丈夫です、イザーク」
 しかし、エザリアはいつまでも悲しみに捕らわれているような女性ではない。
「私から大切なものを奪い、我々から未来を奪おうとするものを、許すものか」
 自分自身の持てる力の全てを使ってでも叩きつぶしてやる。こう告げながら彼女が握りしめている拳からは完全に血の気が失せていた。
「そして……ナチュラルだと言うだけで彼女たちを無視しようとした愚かな同胞達も、だ」
 殺しはしない。だが、後悔をさせてやろう……と彼女は微笑む。
 その表情はとても恐いが、同時に美しいと言っていいものだ。
「……母上……」
 でも、そんな彼女の表情は見ていたくない。そんな風にも思う。
「大丈夫ですよ、イザーク。母を怒らせたことを後悔させてやるだけです」
 しかし、今の彼女に何を言っても無駄だろう。いや、自分が彼女の立場であれば、同じように考えたのかもしれない。こうも考える。
「……俺がお前に渡したお守りは、何の意味も持たなかったのか」
 生まれて初めて『守りたい』と感じた相手。それを失うことがこんなにも辛いことだとは思わなかった。
 イザークは、初めて自分の無力さを認識する。同時に、それが彼を責めていた。

 それでも、完全に失われたわけではない。
 キラが『生きている』という連絡があったのは、あの日から一年近く経ってからのことだ。
 どこにいるかまでは伝えられない。
 誰が見ているかわからないから……と言う言葉にはもどかしさを感じる。それでも、間違いなく生きているとわかっただけでも今はいい。
「俺は……俺は強くなる」
 だから、という言葉はイザークの心の中だけで綴られた。