しばらくして、ヴィアがお盆を手に戻ってくる。いや、彼女だけではなくキラも一緒だった。
「あら、いいの?」
 レノアのこの言葉に、ヴィアは頷き返す。
「一番上のお兄ちゃんが帰ってきたから任せてきたの。あの三人は、エザリアもあったことがあるはずだから」
 だから、イザーク君に紹介するのは、夕ご飯の時ね……と彼女は付け加える。
「なら、キラちゃんは?」
 どうしてここに連れてきてくれたの? とエザリアがキラに視線を向けた。その瞬間、キラは隠れるようにヴィアの影に移動してしまう。
「ここから出たことがないせいか、この子は人見知りが酷いの。だから、よ」
 一緒にいる時間が長ければそのうちなれるから、と口にしながらも、ヴィアが娘を見つめる視線は優しい。
「あぁ……ここは、小さな子供はほとんどいないものね。いずれはどこかの幼年学校に?」
「行かせたいとは思っているけど、現状では無理みたいだわ」
 こんな風にべったりだから、と付け加えながら、ヴィアはキラの背中に手を置く。そして、そうっと前の方に押し出した。
「……ママ……」
「お客様に失礼でしょう、キラ」
 不安そうな口調で母を見上げるキラに何か声をかけたい……とイザークは思う。
 しかし、人見知りが激しいのであれば、自分がそうすることは逆効果なのではないか。
「それに、彼女たちは貴方にもみんなにも、いたいことはしないわ」
 だから、何も心配はいらないの……とヴィアが口にした瞬間、エザリアが痛ましそうな表情を作る。それはどうしてなのだろうか。
「……母上……」
 聞けば教えてくれるのだろうか、と思ってそうっとエザリアに声をかける。
「貴方は知らなくていい事よ。少なくとも、今はね」
 必要だと判断をしたら説明して上げます、と彼女はきっぱりと言い切った。それならばいずれ教えてもらえるだろう。今教えてくれないのは、自分がまだ、それを理解できる年齢になっていないからだ、とそう判断をする。
「わかりました」
 素直に頷いて、視線をキラとヴィアに戻す。そうすれば、キラの大きな瞳が自分を見つめているのがわかった。その瞬間、何故か心臓が一つ大きく脈打つ。
「……キラのこと、いじめない?」
 そんなイザークの反応なんか気付いていないのだろう。彼女は真顔でこう問いかけてくる。
「いじめない」
 反射的に、イザークはこう答えを返す。
 同時に、少しむかついてしまった。
 自分は、彼女にそんな目で見られていたのか。
「女性をいじめる趣味はない」
 怒りを必死に押し殺しながらもさらに言葉を重ねれば、彼女が本当にほっとしたような表情を作ったのがわかった。
 ひょっとしたら、母であるヴィアと一緒に暮らしている《きょうだい》たち以外はキラに対してそのような行動を取るものしかいなかったのではないだろうか。だから、彼女は人見知りになったのかもしれない。
「本当よ、キラちゃん」
 エザリアもまた優しい口調で声をかけている。
「大丈夫。もし、イザークがキラちゃんをいじめたら渡しに言いなさい。ちゃんと怒って上げます」
 もっとも、そんな風に育てたつもりはない。こう言い切ってくれたから、イザークとしては母の言葉に文句を言うつもりはない。
「お母さんもそういったでしょう、キラ。だから、そんなに怖がらないで」
 ね、と言われてもすぐには信用できないのだろうか。キラはまだどこか強ばったような表情を作っている。
「俺が恐いなら、離れたところにいればいい。それでも、話をするには困らないだろう?」
 恐いのは、相手をよく知らないからだ。だから、まずは話からしよう……とイザークは提案をする。
「……本当に? 本当に、キラの嫌なこと、しない?」
 それに、彼女はさらに問いかけの言葉を重ねてきた。
「約束する」
 そして、自分は約束を破らない。この言葉に、ようやくキラはほっとしたような表情になる。それでも、まだ彼女の顔には笑みは見られなかったが。
「納得できたわね、キラ」
 なら、みんなでお茶にしましょう……とヴィアは微笑む。
「準備をお手伝いしてね」
 さらにこう付け加えられて、キラは小さく頷いてみせる。そして、小さな手でイザークとエザリアの前にカップを置いてくれた。
「貴方は紅茶にうるさいから、口に合うかどうかわからないのだけど」
 その後で、ヴィアがポットからカップに紅茶を注いでくれる。
「何を言っているの。昔から、貴方以上においしい紅茶を淹れてくれる人を知らないわ」
 だから、大丈夫……とエザリアは言い返した。
「身内のひいき目よ」
 自分の席に座りながらヴィアはエザリアに笑みを向ける。そのまま、隣の席に腰を下ろした娘に視線を移した。
「キラ。ミルクとお砂糖を入れるわね?」
 この言葉に、彼女は小さく頷いてみせる。その仕草は可愛らしい。
 考えてみれば、彼女のような性格の人間と付き合うのは初めてかもしれない……とイザークは思う。自分の周囲にいるのは、自分と同じような性格か、でなければ自分たちにへつらうようなものだけ、だ。
 しかし、彼女は自分にこびようなんて考えていない。むしろ、距離を置きたがっているようにも感じる。
 でも、とイザークは心の中で呟く。
 絶対に、ここにいる間にキラと仲良くなってみせる。どうしてそう考えたのか、理由がわからないながらも、イザークはそう決意していた。