「……余計な手間を……」
 すぐ側で誰かがこう口にしているのが聞こえる。
 その声の主を、自分は確かに知っているはずだ。しかし、それが誰であるのかを思い出すことができない。
 いや、思い出したくない、と自分が心の中で思っているのか。
「余計な手間? 何が、だ?」
 その後に続いた声はキラもよく知っている。一番側で、彼女を守ってくれる兄のそれだ。
「確かにな。話を聞けば、嬢ちゃんが倒れてもしかたがないぞ」
 しかし、こちらの声は遠くに行ってしまった人のそれだと思う。それとも彼は休暇で帰っていてくれたのか、とそんなことも考えてしまう。
「……コペルニクス事件……」
 その声が、さらに言葉を重ねる。
「その場にいたそうだぞ、彼女もこいつも」
「……あの場に……」
 そういえば、生存者にコーディネイターの兄妹がいたという報告があったような記憶が……と一番最初に聞こえた声が呟いている。
「その二人のファミリーネームは《ヤマト》だ。その時には既に、月に配属されていたからな、俺は」
 しっかりと覚えている、というのは少し違うだろう。彼は、あの事件の直後、自分たちを捜しに来てくれたのだ。自分たちが《コーディネイター》だから、さらなる被害に遭わないように。
 彼が軍に入って離れていってしまうことは悲しかった。
 それでも、こういうことがあるかもしれない……と思っていたと言われてしまえば、悲しさも取りあえず薄まった。それでも、寂しさだけは消せなかったが。
「あいつの行動でその時の記憶がよみがえってしまった。それから逃れようと意識を失う……と言うのは当然のことではないのか?」
 ナチュラルにだってそのような事例はある。コーディネイターだと言っても、精神的には変わらないのだ、と彼が詰め寄っている。
「……できれば、口論は部屋から出てやってくれないか?」
 これ以上、キラの精神を逆撫でするようなことはやめてくれ……と兄――カナードが口にした。
「それと……俺はこの子が落ち着くまで出撃を拒否させてもらう」
 そちらのミスである以上、文句は言わせない! とカナードは言いきる。
「貴様!」
「お前達の中に精神科医か、カウンセラーがいるか? 目が覚めたとき、キラの精神状態が安定しているとは言い切れないんだぞ」
 自分は、自分の心の傷とキラのそれを癒やすために、カウンセラーとしての資格を取っている。そちらの専門家としての判断だ、とカナードが言い返す。
「……バジルール少尉。今回だけはどう考えてもこちらの落ち度だ」
 個人的にどのような主張を持っていたとしても勝手だ。
 しかし、そのせいで傷つくかもしれない人間がいることを忘れていた。
 民間人を協力させている以上、自分たちでは無視できることも相手がそうではないという事実を認識しておかなければいけないという基本的なことを忘れていたのだからな、ともう一人の兄――ムウが告げている。
「大尉!」
「まして、そのお嬢ちゃんの場合、地球軍の誰であろうと反論を許されない状況を体験したせいでのトラウマ――と言っていいのか?――だ。知らなかったとしても、いや、それだからこそ、現在はカナードの言葉を飲むしかない」
 この艦内でも不本意だがコーディネイター相手ならば何をしてもいいと思っている人間がいるからな、と彼は低い声で付け加える。
「カナード……取りあえず、俺が今から何を言ってもお前は行動を起こすなよ? 既に、俺とマードック、ついでにノイマンできっちりとけじめは付けさせてある」
 それは一体何なのだろうか。
 だが、自分は聞かない方がいいことのような気がする。
 でも、寝たふりをしている以上、彼の言葉を止めることができない。
「先日、お嬢ちゃんを襲って言うことを聞かせれば一石二鳥、と言っていた大馬鹿者がいたんだよ」
 きっちりと鉄拳制裁を加えさせて貰ったがな……と付け加えながら、ムウは視線をバジルールに向ける。
「……彼等が?」
 これは彼女の耳にも入っていなかったのか。あるいは、彼女が知っている事実と違ったのかもしれない。驚いたような声を上げている。
「そうだ。お前さんだったら、そんなことをされて我慢できるか?」
 いや、バジルールができたとしても普通の女性では無理だろう……とムウは付け加えた。
「今のところは大人しいがな、反省しているようには思えない。ついでに、他にもまだまだそんな馬鹿なことを考えている奴がいないとも限らないだろう?」
 しかも、キラの側に誰かを付けるにしても、現状では確実に信頼できるメンバーは手を放すことができない。
 それである以上、カナードの主張を認めざるを得ないのだ……とムウは言いきる。
「ですが……ストライクの護衛なしでは……」
 代わりに自分が付いている、とバジルールは口にする。
「それは却下だ」
 即座にカナードが言い返す。
「私が、それほど信用できないのか?」
「信用されていると思っていたのか?」
 バジルールの言葉にカナードはあきれたような声音で聞き返す。
「今までの会話の中でも、お前はキラにとって悪影響を与える言葉を無意識に使っている。本来であれば、この子が眠っていても聞かせたくないセリフだ」
 そんなバジルールが付いていれば、無意識のうちにキラを傷つけるようなことをしてくれる可能性がある。それは認められない、と彼はさらに彼女に言葉を投げつけた。
「今のように笑顔を浮かべられるようになるまで、どれだけの時間を必要としたと思っている?」
 それを考えれば、迂闊な人間を側に置きたくない。
 だからといって、フレイやミリアリアでは万が一の時に対処がむずかしくなる。
 カナードのこの言葉に流石のバジルールも言葉を返せなくなったようだ。
「……艦長なら、どうだ?」
 不意にムウが口を挟んでくる。
「ラミアス艦長?」
「……あの人か」
 二人がそれぞれの反応を返す。
「ラミアス艦長であればコーディネイターに対しての偏見はないし……お嬢ちゃん達の信頼も厚いようだからな」
 彼女の側にいて貰えばいいのではないか。もっとも、ブリッジになるかもしれないが……とそうも付け加える。
「取りあえず、ブリッジクルーで問題があるとすればトノムラとバジルール少尉ぐらいなものだからな」
 他の部署の連中までは確認が終わっていないが……とムウは言う。
「……キラに何もさせない、というのであれば妥協しよう」
 彼女は信頼しても良さそうだからな、とカナードも頷く。
「その代わり、キラの様子をモニターさせて貰うぞ」
「……わかった」
 それが妥協点だろうとバジルールも判断したのだろう。同意の言葉を口にしている。
「ただし、キラが起きてからだ。それまでは、二人だけにさせて貰おう」
 カナードはこう告げた。
「その方が良さそうだな」
 どのみち、準備に時間がかかりそうだし……とムウも頷いている。そのまま、彼はバジルールを連れて出て行ったようだ。
「……キラ、起きてもいいぞ」
「兄さん……」
 ばれていたのか、と思いながらもキラは体を起こす。
「心配するな。お前を傷つけさせるようなことを、俺たちがするはずはないだろう?」
 よほど不安そうな表情をしていたのか。彼はこう言ってくる。それに、キラは小さく頷いてみせた。