「……水は盲点だったな……」
 キーボードを叩きながら、カナードは小さな声で呟く。
 人は水を飲まなければ生きてはいけない。それでなくても、様々な場面で水は必要なのだ。
「女の子にとっては、それ以外でも不自由が出ているだろうし」
 入浴ができないことを、キラ達が内心では嫌がっていることをカナードは気付いている。それでもわがままを言わないのは、きっと、現状がわかっているからだろう。
 あるいは、キラが嫌がらずに作業をしているのは、内心でシャワーが使えることを期待しているからかもしれない。そんなことも考えてしまう。
「しかし、宇宙空間で水がありそうな場所、か」
 一番確率が高いのは、デブリだろうな……とカナードは呟く。
 あまり嬉しい状況ではないが、それしかないのだろう、と思う。
「問題は、俺の言葉を聞き入れてもらえるかと言うことだな」
 その瞬間、脳裏に浮かんだのはバジルールの顔だ。
「あの女のことだ。軍規がどうのこうのと言ってあの子達の希望を却下しそうだしな」
 キラもその友人達も軍人としての訓練を受けたことがないにもかかわらず、だ。
「あの人に相談をして、上の二人に許可をもらえばいいんだろうが」
 それはそれで問題かもしれない。ただでさえ、この艦のクルーは寄せ集めで意思の統一ができていないようなのだ。もっとも、そのおかげでキラ達に好意的なものもいてくれるわけだが……とため息を吐きながら、さりげなく視線を彼女たちへと向ける。
 次の瞬間、彼の表情が強ばった。
「……あいつ……」
 おそらく、フレイが何かの用事でキラから離れたのだろう。その瞬間を待っていたらしい軍人が、強引にキラの腕を掴んでいる。
 反射的にカナードはハッチを開く。
「キラから手を放せ!」
 そのままの勢いでこう叫んだ。そんな彼の声に、周囲の者達の視線がキラへと向けられる。
「……怪我人のお嬢ちゃんを無理矢理連れて行こうっていうのは違うんじゃないのか?」
 さらにムウがメビウス・ゼロから真っ直ぐに二人の方へと向かってくれた。
 それは確認できていたがカナードもキラの側へと向かう。
 そうすれば、泣き出しそうな表情でキラが自分たちを見つめているのがわかる。それだけでも相手をぶちのめしたいところだ。しかし、既にムウが動いている以上、彼に任せが方がいいのではないかとも思う。
 その間にもムウは的確な行動を取っているようだった。
「誰の命令だ?」
 この言葉に、キラの手を掴んでいた男が視線を彷徨わせている。それでも、彼女の手を放そうとしないのは何なのか。無理な体勢になっているせいでケガをしている方の足に負担がかかっているのか、キラは顔をしかめた。
 それにカナードの堪忍袋の緒が切れそうになったときだ。
 先に行動を起こしたものがいる。
「まずは手を放しなさいよ! このセクハラ男!!」
 その彼の後頭部に遠慮なくファイルの束をたたきつけたのは、もちろん、フレイだ。
「フレイ……」
 同じように駆けつけたキラの友人だけではなく、整備クルーも彼女の行動には呆然としている。
「嫌がっている女の子にあれこれ強要するのはセクハラでしょ! 軍規だと、セクハラ男は無条件で銃殺だって聞いたんだけど、違ったの?」
 しかし、フレイの方はそうではなかったらしい。
「……その間に一応軍法会議があるがな……」
 取りあえずは、とムウは指摘をする。
「もっとも、お嬢ちゃんはオーブの民間人だからな。軍法会議では有罪が確定する確率の方が高いが」
 この言葉に、相手の表情が強ばった。
「さっさとキラの手を放しなさいよ!」
 それに追い打ちをかけるようにフレイがまた怒鳴る。その様子は小型犬が飼い主を守ろうときゃんきゃんほえているように思えて少しだけ微笑ましい。
 しかし、今はそれどころではないだろう、とカナードは思い直す。キラの額に脂汗が浮かんできたのだ。
「怪我人をいたぶるのが地球軍の軍人の行為か?」
 押し殺したような声でカナードがこう告げる。
「まったく……いい加減にしなさいって」
 小さなため息とともにムウが男の手を掴んだ。そして、キラの腕を握りしめている腕を強引に開かせる。
「お嬢ちゃんを医務室に。許可出すから、包帯その他を換えてやりな」
 ついでに、誰かに三人、付いていってやれ! と彼は周囲に命じた。それはきっと、同じようなことがないようにという配慮だろう。
「そこの三人、行ってこい」
 さらにマードックも手近にいた者達に指示を出している。
「どうせ、お嬢ちゃんに作ってもらっているプログラムが完成しなきゃ、お前らには仕事がないんだ」
 だから、責任を持って守ってこい! と彼は付け加えた。
「もっとも、セクハラは禁止だぞ。そこに関してはここの大尉を真似しなくていいからな」
 いったい、何をやらかしたのだろうか、彼は。それが知りたい、と少し考えてしまう。
 でも、今はその時ではない。
「兄さん……」
 キラが不安そうに声をかけてくる。
「取りあえず、傷口を見ないと何とも言えないな」
 言葉とともにカナードは彼女に歩み寄った。そして、その華奢な体を抱き上げる。
「できるだけ早く戻ってきてくれるとありがたいな」
 ムウの言葉にカナードは静かに頷き返す。そして、そのまま移動を開始した。