ガラスでできたチェスの駒を、ギルバートは何気なく取り上げる。
「本当に、困った子だね……」
 黒のナイトと呼ばれるそれを手のひらの上で転がしながら、彼はこう呟く。
「何が気に入らなくて帰ってこないのか……」
 それとも、何かが気に入ってしまったから帰ってこないのだろうか。
 ふっと彼は視線を再びチェス盤に戻す。そして、今度は別の駒を取り上げた。
「君が隠してしまったのは、これかな?」
 こう言いながら、彼は白のキングを光にかざす。
「オーブの姫は、今、大騒ぎをしているそうだよ」
 大切な彼女の片割れを隠されて……とそのまま口元に笑みを刻む。
 もっとも、彼の存在を公にできないからだろう。秘密裏にしか動けないようだ。それは、彼女のナイトも同じ事ではあるらしい。そのせいで、捜査が行き詰まっているらしいこともギルバートは知っていた。
「それとも、だから帰ってこられないのかね、君は」
 だが、それは彼についても同じ事かもしれない。
 いつ、どこで見つかるかわからないのだ。
 だから、彼とともに自分も隠れているのかもしれない、と思い直す。
 そのような状態になっても、彼であれば大丈夫だろう。かならずチャンスを見て戻ってくるに決まっている。
「彼も一緒に連れてきてくれれば、ありがたいのだが」
 自分にしても、彼をどうしたいのかわからない。
 だが、その身柄を手元に置いておけば、いつでも好きなように扱えるだろう。
「もっと早くそうしていれば……我々は君を失うことがなかったのかね」
 自分たちをおいて高みに行ってしまった友人に向かってこう問いかける。
 いや、それ以前に彼の身柄が手元にあれば、現状はもっと違ったものになっていたのかもしれない。そう思う。
「だから、早く帰っておいで」
 白のキングとともに手のひらに包み込んでいた黒のナイトにそう呼びかける。そして、そのままそっとそれに口づけを送った。

「キラ……」
 一体どこに彼は消えてしまったのだろうか。
 これだけ手を尽くして探しているのに、その足取りすら見つからないなどとは異常だとしか思えない。
「……軍の者達も内密に探してはいるのですが……」
 痕跡すら発見できないのだ、と口にしたのはキサカだ。
「あるいは……向こうもプロなのかもしれません」
 軍人かどうかはわからないが……と彼は続ける。
「どういうことだ?」
 自分ならともかく、どうして《キラ》をねらうのか。
 そう言いかけてカガリはやめる。キラがねらわれる理由など、いくらでも思いついたのだ。
 しかし、その事実がキラを傷つけていた。
 このこともわかっていたから、自分たちは彼をこっそりと隠していたのに、とカガリは思う。
「……ブルーコスモスでなければいいんだが……」
 不意にアスランがこんなセリフをはき出す。
「アスラン?」
「プラントであれば、取りあえずキラの命は安全だろう……ただし、それでも理由はわからないがな」
 何故、彼等がキラを連れ去ったのかは……とアスランは言葉を続ける。
「ただ、向こうであればイザークとディアッカがあてにできると思う」
 その権限はクルーゼ隊にいたときよりも大きく制限されているだろう。それでも、彼等の人脈は侮れないのだ。
「一応、キラが『誰かに連れ去られた』と言うことだけは、伝えてある」
 事後承諾で申し訳ないが……という言葉に、カガリは小さく首を横に振る。
「ラクスは知っていたんだろう?」
「というより……彼女が手配をしてくれた」
 自分は、あの二人に連絡を取っただけだ、とアスランは口にした。ラクスは他にもプラントに残っている者達に手配を頼んだらしいとも付け加える。
「ならば、プラント側の方は心配はいりませんね」
 どこか安心したような口調でキサカがこういう。
 彼が砂漠で出会ってから、キラを気にかけていたことはカガリも知っている。そして、自分の姉弟だとわかってからはさりげなくフォローをしてくれていたようだ。
「となると、地球連合側ですか、問題は」
 あちらに、誰か情報を収集させるために潜入させる必要があるかもしれない、とキサカは口にする。
「それでは、間に合わないかもしれないだろう!」
 もし、本当にブルーコスモスに連れ去られたのなら、だ。
「いや、連中でもすぐにはキラを殺さないだろう……あいつの能力は、連中にとっても必要なものだからな」
 もし、キラに危険が及ぶとするなら……それは何かが起きたその瞬間だろう。アスランはそう告げる。
「アスラン!」
 冷静にも聞こえるその言葉に、カガリは反発を覚えた。そのまま反射的ににらみ付ける。
 だが、彼が固く握りしめた拳を見て、すぐにその感情を引っ込めた。
 アスランの拳からは血が滴っていたのだ。
「大丈夫だ……キラは生きている」
 祈るようにこう呟く。
 彼の自制心に、カガリは感嘆をするしかできなかった。