「久しぶりだね、レイ」
 にこやかな口調でギルバートがこう声をかけてくる。
「……ギル……」
 何かを口にしなければいけないとは思うものの、言葉が出てこない。
「もう少し早く向かえに来たかったのだが、ブルーコスモスが騒いでいたのでね。遅くなってしまったよ」
 すまなかったね……と彼はレイの言葉を待つことなく柔らかな口調でこう告げた。その瞬間、レイの中にある感情が生まれる。
「ギル、俺は……」
「何を心配しているのかな、レイ」
 言葉とともに彼の手がレイの髪に触れて来た。
「君は最善を尽くしたのだろう?」
 そう言いながらなでてくれる指の感触に、レイは逆らえない。いや、実際に彼の姿を見た瞬間から、それは感じていたのだ。
 それが、幼い日々から自分に刷り込まれた感情だと言うことはわかっている。
 しかし、今までそれをどうこう思うことはなかった。何よりも、今のように《恐怖》に近い感情を抱いたことはない。
「ですが……」
「だから、君は何も気にしなくていい」
 それよりも、と付け加えることでギルバートはレイの言葉を封じる。
「彼に会わせてくれないかね? 君のメールだと、彼は精神的にかなり不安定なようだが」
 ならば、適切な環境と治療を与えなければいけないのではないか。こうも、彼は口にした。
「……ギル……」
 その瞬間、彼に反発を感じてしまう。
 キラは自分だけのものだ。そして、今の状況でいい、とも思っている。
「会わせてくれるね、レイ」
 だが、彼はそれを許してはくれないらしい。そして、結局、彼の言葉に自分は逆らえないのだ。
「……わかりました」
 こうは口にするものの、まだ何かが心の中でわだかまっている。それは何なのだろうか、とレイは悩む。
「レイ」
 ふいっと近づいてきたギルバートがそっと耳元に口を寄せてくる。
「心配しなくても、彼を君から取り上げたりはしないよ」
 そして、こう囁いてきた。
「ギル!」
 その意味がわからないはずがない。しかし、それだからと言って……とレイは思わず彼を見上げてしまう。
「さて、案内をしてくれるかな」
 次の瞬間、鮮やかとしか言いようがない彼の微笑みがレイの意識を支配した。

 足音が聞こえる。
 眠りの中にあったはずのキラの意識は、その瞬間、素早く覚醒へと向かう。
 もっとも、足音がすること自体はおかしくはない。ここにいるのは自分だけではないのだ。
 だが、と思う。
 彼のものではないリズムを刻む足音が複数ある。もちろん、レイのものもちゃんとその中に含まれていることに気づいてはいた。
「……やだ……」
 レイならばかまわない。
 だが、それ以外の人間は今のキラにとって《恐怖》の対象と言っていいのだ。
 レイは……彼と同じ存在であると同時に、ある意味自分と《同じ》だ。
 だから、自分の手で奪ってしまった《彼》の未来の代わりに、レイにはそれを渡したいと思う。
 しかし、それと《自分》を他人の目に触れさせるのとは異なる。
「こわい……」
 だが、レイには『ここにいろ』と言われているのだ。逃げ出すわけには行かないこともわかっている。
 それでも、と思う。
 無意識のうちに視線が室内を彷徨いだしていた。
 その視線がある一点で止まる。
 部屋の隅、丁度ここの機器と壁の間に人一人隠れられるだけの隙間があるのがわかった。そして、そのままそこへと移動していく。
 隙間に身を潜めると同時に、ドアが開いた。
「キラ、いるのか?」
 同時にレイが声をかけてくる。
 言葉を返したいのだが、その後に別の人間の気配を感じてしまえばだめだ。
 だからキラは逆に身を縮めて息を殺す。
「キラ?」
 そこで、レイは何かに気が付いたらしい。
「ギル……申し訳ありませんが、護衛の者達を下がらせてくれませんか。多分、そのせいでキラが怖がっているのだと」
 そう思います、と彼が付け加える。
「だが!」
 知らない声が周囲に響く。その瞬間、キラは呼吸をすることもできなくなった。
「その方が良さそうだね。レイはともかく、我々は彼にとっては驚異の対象なのだろう」
 何よりも、精神的に不安定な人間をさらに不安定にさせるようなことは意志として認められない、と新しい声が告げる。その人物が彼等の中心なのだろう、とキラは思う。
 その後も、まだしばらくあれこれもめていたようだが、その人物が意志を翻さなかったことで相手の方が諦めたらしい。部屋から出て行く気配が伝わってきた。
「キラ、もう大丈夫だ」
 それが遠ざかったところで、レイがこう声をかけてくる。それでも、キラはまだ動くことはできなかった。