「キラさん、大丈夫かな」
 シンは壁に背中を預けながらこう呟く。
「……義理とはいえ、お兄さんがいらっしゃるんだ……大丈夫じゃないのか」
 いつものように冷静な……それでもどこかキラのことが気にかかって仕方がないとわかる口調でレイが言葉を返してきた。
「俺たちが側に行っては、他の連中に無用な疑念を与えかねないからな」
 この艦内で三人だけの異分子。
 ムウの存在とマリューの尽力、そして自分たちがオーブ籍だという事実が、かろうじて自由を保障してくれているのだ。でなければ、連れてこられたばかりのレイのように拘束されていたとしてもおかしくはない。
「顔だけでも見られれば、安心できるんだけどな」
 一目だけでもいいんだけど……とシンは呟く。
「そうだな」
 レイもこの言葉にはあっさりと同意を見せた。
「キラさんのあの様子では、ご両親が亡くなられたとき、よっぽどのことがあったのだろうな」
 それがキラの中でトラウマになっているのかもしれない。
 レイのこの判断はきっと、正しいのだろう。そして、それは今でも癒えていないのだ。
 普段の態度とは裏腹なその事実に、シンは内心どうするべきかを悩む。
 一番いいのは、あの女――フレイ・アルスターからキラを引き離しておくことだろう。できれば、他のメンバーからもだ。
 もちろん、あのメンバーの中にもキラにとってプラスになる人たちはいる。ミリアリアやトールのように心から自分たちを心配してくれている人もいるのだ。
 だが、カズイやサイはどうだろうか。
 サイはまだ大丈夫かもしれない。
 だが、カズイは問題がある、とシンは思っている。実際、最終的な引き金を引いたのは彼の一言ではないだろうか。
 ある意味、ストレートな人物だと言えるのかもしれないが、その結果引き起こされた事態が事態である以上、シンは疑念を抱いてしまうのだ。
「……寂しいけれど……あんな事が起きないように、しばらく顔を出さない方がいいのかもしれないね、キラさんは」
 少なくとも、あそこであれば大丈夫だろう。そう信じたい、と言った方が正しいのか。
「そうだな」
 キラの様子を確認できないのは辛いが……とレイも呟く。
「まぁ、様子ぐらいは問いかければ教えてもらえそうだがな」
 マリューは毎日顔を出してくれているのだし、といわれても、シンは今ひとつ納得できない。しかし、彼女であればきっと教えてくれるだろう、と思うことも事実だ。
「……ともかく、一刻も早くこの艦を下りてオーブに戻りたいよな」
 あそこであれば、誰もキラが《コーディネイター》だからといって利用しようなんてしないはずだ。
 そうしようとしても、きっと彼等が阻止してくれるのではないか、という気持ちもある。そして、自分もキラに自由に会いに行けるはずだとも。
「……そうなれば、いいな、確かに」
 レイの口調が微妙に変化している。
 それは何故なのだろうか。
 そう言えば、自分は彼のことで知らないことも多い。個人の事情だから、とあえて問いかけたことはなかったが、本当は知らなければいけなかったのだろうか。
 芽生えた疑問の答えを、シンは見つけられなかった。

「……さて、と」
 言葉を切ると、ムウはその場にいる者達の顔を順番に見つめていく。
「何で、勝手なことをしてくれたんだ?」
 そして、最後にマードックのところにたどり着いたところでこう問いかけた。
「……それは、その……ですな」
 どうやら、一応、自分でも越権行為だったとはわかっているらしい。あるいは、あのキラの様子を目の当たりにしていたからか。マードックは口ごもる。
「あのOSは……自分たちの手には負えませんので……万が一のことを考えれば、最上の状態で、すぐに使えるようにしておくべきだと思ったんですが……」
 まさか、キラがあんな反応をするとは思わなかった……と言う彼の声は、次第に小さくなっていく。
「俺は、関わらせるな、と言ったよな?」
 そんな彼に向かって、ムウは言い返す。
「それは……確かに聞きましたぜ。ですが、あの機体は少佐が使われる予定ですし……あの子にしても少佐の命を守るためなら協力してくれると思ってたんですが……」
 それが地球軍の傲慢な考えだとわからないのか、とムウはため息をつく。
「あいつはオーブの民間人で、地球軍の関係者じゃない。そんな人間に話を持ちかける方がおかしいってわからないから、地球軍は嫌われるんだよ」
 自分たちは正しい、と思うだけならいい。
 しかし、それを他人に押しつけようとしているのが問題なのだ、とムウは相手をにらみ付ける。
「第一、あいつの保護者は俺だ。どうして、話を持ちかけるまえに俺に相談しなかった? そうしたら、きちんとあいつを協力させられない理由を教えたぞ」
 もっとも、そうしたがらない理由も想像が付いていた。きっと、自分が許可しないと判断したのだろう。
 それでは、あれのOSのバグを修正できない。つまり、地球軍の実力なんてそんなものなのだ。
「事後承諾、をしようとしたせいで、キラは倒れる羽目になった。あいつがようやく乗り越えてきたトラウマを思いっきりえぐってくれて……本当なら、今すぐにでもあいつの主治医にカウンセリングを受けさせなきゃない状態だぞ」
 本当に余計なことを……とムウはためらうことなくはき出す。
「……キラ君のご両親は、一体どうして亡くなられたのか……聞いてもかまいませんか?」
 キラが倒れた原因はそれなのだろう。マリューが問いかけてきた。
 それを知らなかったからこそ、マードックを止められなかったのだ、と彼女は言外に付け加えている。
「……楽しい話じゃないし……これ以上、お前さん達にキラに特別な眼を向けて欲しくなかったからだよ。ついでに、お前さん達に地球軍のミスを知らせたくなかった……とも考えたんだがな」
 こうなるんだったら、誰がどのようなショックを受けるとしても気にせずに知らせておくべきだったか……とムウは付け加えた。
 その言葉の裏に隠されている何かに気が付いたのだろうか。誰もが表情を引き締める。
「あいつのご両親――俺にとっての養父母が亡くなられたのは、コペルニクス空港でのブルーコスモスのテロに巻き込まれたからだよ」
 しかも、その首謀者は、地球軍の軍人だった……ということはこの場にいる人間ならよく知っている事実だ。
 しかし、それだけではない。
 確固とした証拠がないからこそ追求を免れているが、その手引きをしたのは《ジョージ・アルスター》だという噂もある。
 もっとも、証拠がない以上、ムウとしても動きが取れないのは事実だ。
「……あいつは、三つ上の従兄弟――もっとも、そいつも今は《義兄》だがな――の腕の中でご両親の息が止まる様子をまんじりともせずに眺めていたのだそうだ。そして、そのまま……半年ぐらいは周囲が手を貸してやらないと何もできない状況だったんだぞ」
 ただでさえ、生まれるまえから地球軍のせいで普通に誕生できなかったというのに、さらにだぞ……と付け加えるムウの視線を避けるように、誰もがうつむく。
「そう言うわけだ。二度と、あいつを関わらせるな。今、さらに何かあれば、あいつは本気でまずい状況になるぞ」
 そうなったら、ただですむと思うな……と付け加えたのはキラの兄としてのセリフだ。
 しかし、それに関して誰も異論を挟んでこない。
 それでも、これで終わったわけではないことが、ムウにはわかっていた。