「……ヘリオポリスね……」
 書類を見つめながら、ムウは小さくため息をつく。
「どうしたの、ムウ?」
 その声を聞きつけたのだろう。すぐ側に座っていたステラがこう問いかけてくる。いや、彼女だけではない。残りの二人も視線をムウへと向けてきた。
「弟がいるんだよ」
 あそこには、さ……と仕方がないと言った様子で口にする。
「何で、そいつはヘリオポリスにいんの?」
 あそこはオーブのコロニーだろう、といつの間にか側に寄ってきていたアウルが問いかけてきた。
「そうだ。オーブの工場と工業関係のカレッジがあるコロニーだ」
 だから、あそこにいるのは工場関係者の家族か、学生達と言うことになる。オーブという国柄、他の二つの国からも留学生を受け入れてはいるが、その数は少数だ。それがわかっていてのセリフだろう。
「弟、と言っても血のつながりはないからな。それにあいつは……第一世代だ」
 安全を考えて、オーブに置いているんだ、とムウは口にする。
「ムウの弟なのに、コーディネイター?」
 信じられない、とスティングが言い返してきた。あるいは、ムウが自分たちよりも《弟》の事を気にかけているのが気に入らないのか。
「仕方ねぇな。あいつは……フィエル・チャイルドだからな」
 それでも最近は、地球連合内に居場所がないのだ。だから、その多くがオーブへと移住をしている。
「俺だって、お前らのことがなければ十九回目の辞表を出しているよ」
 キラの側に戻るために、とムウは心の中で付け加えた。
 本当は、三年前のあの日に、そうするはずだったのだ。それなのに、上層部が認めてくれなかった。その時の騒動を、ムウは今でも克明に覚えている。その上、自分が勝手に逃げ出さないように、お子様三人を押しつけてくれたしな……と心の中だけでため息をつく。
「フィエル・チャイルド……って、あれか」
 その知識はスティングも持っていたらしい。かすかに眉を寄せている。もっとも、他の者と違って、その言葉には感情らしきものがこもっていない。
「どうでもいいじゃん。ムウの弟なら」
 俺たちのことを嫌わないだろう、とアウルが気軽な口調で告げる。
「嫌わない?」
 その子は自分たちのことを、とステラの瞳が問いかけてきた。こう言うところがキラと重なるから見捨てられないんだよな、とムウは思う。
「嫌わないよ、あいつは」
 だから、安心しろって……と口にしながら、ステラの髪をなでてやる。
「あいつにとって重要なのは、そいつの人柄だけ。そういう風に育てたからな」
 だから三人があいつに偏見を持たなければ、あいつはお前らを嫌わない。ムウはきっぱりとそう言った。
「なら、いいや。今度あわせてよ」
「……ムウ?」
「そんときに、態度決めるわ、俺は」
 その言葉に、三人はそれぞれ勝手なことを言い出す。
「時間があれば、な」
 確かにヘリオポリスには行く。だが、キラに会いに行く時間があるとは思えない。それが少し残念かもしれないな……とムウは心の中で付け加えた。

「キラ」
 では、出かけてくる……とカナードがキラの頭をぽんっと叩いた。
「明日には戻る予定だ。食事は……適当に好きなのを解凍して食べるんだぞ」
 昔も今も、本当に過保護だ、とキラは思う。もちろん、そんなカナードの態度が迷惑だというわけではないのだが、もう少し大人扱いをして欲しい、と考えてしまうのだ。
「大丈夫だよ。僕だって、もう十六なんだよ?」
 確かに、調理はだめだけど暖めるぐらいなら何とかなる。キラはそう言い返す。
「俺が心配しているのは、お前がプログラムに夢中になりすぎて食事を取ることを忘れる事の方、何だがな」
 この前の時も、結局自分が戻ってくるまで食事を取るのを忘れていただろうが、と言われては、キラには返す言葉もない。
「一日二日なら大丈夫だとは思うが……」
 カナードがさらに言葉を重ねたときだ。玄関のチャイムが鳴り響く。
「キラさ〜ん!」
 そして、その後に続いたのは一つ年下の少年の声だ。
「シン?」
 約束していたっけ……とキラは小首をかしげる。
「……あぁ、丁度良かったな」
 だが、カナードの方はそうではなかったらしい。あるいは何かを思いついただけなのかもしれないが、ふっと笑いを浮かべた。
「兄さん?」
 何をする気なのだろうか、彼は。
 こういう表情を浮かべたときのカナードは要注意なのだ、とキラは知っている。しかし、今回は何をする気なのか想像が付かないのだ。
「あのガキに食事のことを言っておけば……最低限昼は忘れることがないな」
 いくらキラでも、と彼はさりげなく付け加えた。
「兄さん!」
「文句があるのなら、人に言われなくてもちゃんと食事をしろ!」
 キラの抗議の声を、カナードはこの一言であっさりと封じてしまう。
「……だからって、シン君に迷惑をかけるのは……」
 まずいのではないだろうか、とキラはぼやく。しかし、カナードの方はまったく気にする様子を見せない。
「あいつにすれば、本望なんじゃないのか?」
 うざったいぐらいに、キラにまとわりついているのだから……と彼はにべもないセリフを口にする。そして、そのまま足早に玄関の方へと向かっていった。
 このまま二人だけにしてしまえば、何をしでかすかわからない。
 そう判断してキラは慌てて後を追いかける。
 視線の先で、カナードが玄関のロックをはずしているのが見えた。
「おはようございます、キラさん!」
 次の瞬間、元気のいい声が家中に響く。
「相変わらず……無駄に元気だな、お前は」
 あきれたようなカナードの声がその後に続いた。そう思うなら、彼の顔を見なければいいのに、と思うのはキラだけなのだろうか。
 ともかく、あの二人が本気でけんかを始める前に――と言っても、怒っているのはシンだけで、カナードは彼をからかうだけだ――止めなければいけない。そう思って、キラは足を速めた。