手の中には一枚の写真。
 それは、ようやく手に入れた愛しい《我が子》の今の姿らしい。
 しかし、その存在は、また誰かによって隠されてしまった。
 あるいは、自分があの子供の手がかりを掴んでしまったからだろうか。
 それとも、あの事件に巻き込まれて、本当にこの世から消えてしまったのか。
 既にぬくもりも覚えていない。ただ、まだあの場所があった頃、おそるおそる抱き上げたときに感じた愛しさだけが、心にくっきりと焼き付いている。
 それをもう二度と感じることはできないのだろうか。
 だが、と思う。逆に言えばあの子の痕跡が完全に消え去ったと言うことは、愛しい我が子が《生きて》いるという証拠なのではないか。
 でなければ、こんなにも完全に《人》の《痕跡》を消し去るわけがないだろう。
 むしろ《死んだ》と言うことを公にした方が楽であるはず。
 こう考えたときだ。
「それは、誰?」
 柔らかな声が問いかけの言葉を口にする。その事実に、内心驚きを隠せなかった。
 自分の《作品》は、今まで言葉を口にすることはなかったのだ。
 それは、言葉を《理解》していなかったせいでないことはわかっている。言われたことは素直に実践していたのだ、彼は。
 だが、それだけだったとも言える。
 彼にとって、世界とは興味を持てないもの、だったのだろう。だから、コミュニケーションを取る必要がないと判断していたのではないか。
 だが、自分の手元にある写真が彼の興味をひいたのだろう。そして、その答えを得るためには《言葉》で問いかけなければいけないと、判断したのか。
 こう考えると、口元がほころんだ。
 この子にとっても、我が子が特別になるのではないか、とそう考えたのだ。
「この子かい?」
 それでも確認のために子供が見やすいように写真の向きを変えてやりながら、こう聞き返す。
「そう。誰?」
 子供は期待に満ちた瞳で見上げてくる。
「私の子供だよ」
 ふっと微笑みを浮かべながら言葉を返せば、
「この子も、貴方が作ったのか?」
 と次の疑問を口にした。
「いや、違うよ」
 そうか、と思う。この子供にとって《子供》は《自分》が作り上げるものだ、と認識されても仕方がない状況だったのか、と。これは、別の意味で教育が不十分だったかもしれないと苦笑を浮かべた。
「この子は、私が作ったわけではない。まぁ……生まれ方は君とよく似ているかもしれないがね」
 そう考えれば、君とは兄弟だとも言えるかもしれない、と付け加える。
「兄弟?」
「みたいなもの、だよ」
 正確には違うのだが、まぁ、そう考えてくれてかまわない、と微笑む。
「彼が来たら、俺はいらなくなるのか?」
 しかし、子供はいきなりこんなセリフを口にした。
「どうして、そう思う?」
 その意図がわからない。
「その子の身代わりだろう、俺は。なら、その子が戻ってきたら、俺は必要ではなくなるのではないか?」
 その子がここにいないから、自分を作ったのではないか、とそう聞いてきたのだ。
 自分の言葉をそう受け止めたのか、とようやく理解をする。
「いいや。私は君に、この子を守って欲しいと思っただけだよ」
 側にいて、ずっとこの子を守ってくれる存在。それが欲しいと思っていたことは事実。
 権力を手にすれば、それだけ私的な時間が減ってしまうのだ。
 あの子供の誕生方法を考えれば、ねらわれたとしてもおかしくはない。
 もっとも、目の前の子供を作り出したのはそれだけの理由ではないと言うこともまた事実だ。しかし、それを目の前の子供に伝える必要はないだろう。
「たくさん勉強して、いろいろなことを身につけて……この子のそばに、いてくれるね?」
 愛し子を手元に呼び寄せた後も、決して彼を放り出したりはしない。それどころか、だからこそ、必要としているのだと微笑みながら告げる。
「……俺が、守る……彼を?」
 どこかほっとしたような表情を子供は作った。
「そう。できるね?」
 優しい口調でこう問いかければ、こくんと頷いてみせる。
「いいこだ」
 その頭をなでてやれば、子供は満面の笑みを浮かべた。だが、すぐにふっと何かを考え込むように目を伏せる。
「……その写真、欲しい……」
 しばらくして、小さな声で彼はこう告げた。
「そうしたら、がんばれる……と思うから……」
 付け加えられた言葉に、どうするべきかを考える。だが、結局この子も自分にとっては可愛いと言える存在なのだ。このくらいのわがままであればかまわないか、と心の中で呟く。
「後で、複写してあげよう。それまで、我慢してくれるね?」
 そうは言っても、自分にとってもこれ一枚しかない大切なものだ。それを渡すわけにはいかない。
 だからこう告げたのだ。それに子供は小さく頷いてみせる。
「では、戻りなさい」
 今日のノルマをこなしておいで……と告げれば彼はおとなしく離れていく。
「……本当、早く、あの子をここに呼びたいものだ」
 その後ろ姿を見送りながらこう呟いた。
 だが、そのためにはしなければいけないことがたくさんある。
 その一つを片づけるために、書類に視線を落とした。