「えぇ。ギルバート様からお預かりしたのですわ」
 話の流れでレイの話題になったとき、ラクスはあっさりとこう告げた。
「本当でしたら、あの方のようにまだ幼い方を戦場に連れ出すことはさけなかったのですが……あの方は、ギルバート様の血族ではいらっしゃいませんので……」
 言外に、何かに利用されかねないと判断したのだ、と彼女は付け加える。
「そうか……既に、なりふり構っていられないと言うことか……」
 誰が、とはアスランは口にしない。
「悲しいですわね。ザラ様も……すばらしい方でした。憎しみに、視界をふさがれてしまわれる前までは」
 だからこそ、自分たちは早急にこの戦争を終わらせなければいけないのだ、とラクスは言い切った。
「そうだね……これ以上、悲しみや憎しみを、広げちゃいけないんだ」
 悲しみや憎しみは、また新たなそれを生み出す。はっきり言って、それは最後の一人を殺すまで続くのではないだろうか。
 それだからこそ、その連鎖をどこかで断ち切らなければいけないのだ、とキラは思う。
 だが、それはとても難しいことだとキラはわかっている。
 それでも、努力しなければ意味がないのだ、と。
「そうだな、キラ……」
 キラの言葉にうなずくと、アスランは彼の肩に手を置く。そして、そのまま引き寄せた。
「俺たちは、もっと他にしなければいけないことがあるんだよな」
 一人では難しいことでも、二人なら何とかなる。
 そして、二人よりも三人。
 三人よりも四人。
 すこしずつでも賛同してくれる人が増えていけば、やがてそれを大きな動きになるだろう、とアスランは告げた。
「……それを、信じたい……」
 自分も、とキラは口にする。
「信じましょう、キラ。でなければ、何も始まりませんわ」
 違いまして、とラクスが微笑みを向けてきた。
「そうだね」
 信じなければ意味はない。キラはそう呟く。そんなキラの頬に、アスランがさりげなくキスをくれた。
「……という話はおいておきまして」
 それをしっかりと見とがめたのだろう。ラクスの口調にほんの少しだけ棘が混じる。
「何をなさっておりますの? アスラン・ザラ」
「何を、といわれましても……当然の権利を行使させて頂いているだけですが?」
 さらりとアスランが言い返す。
「……よくもまぁ……」
「いけませんか? あなた方の希望を受け入れて、この程度で我慢しているのですが」
 だから、どうしていきなりこんな会話になるのか。
 頼むから、そう言うことは自分がいないときにやって欲しい。
 キラはアスランの腕の中でため息を漏らしていた。

 そんな、ある意味《幸せ》と呼べる時間は、ある日唐突に終わった。
 突きつけられた《現実》
 見せつけられた《罪》  それが、キラに自分の存在の曖昧さを見せつけた。

 衝撃から抜け出せないまま、キラは一人で部屋の天井を見上げていた。
「僕は……」
 あの両親の子供だ、と信じていたのに……あの心優しい二人の。
 それを否定されただけではない。
 自分は、人のぬくもりを知らずに生まれ出た《存在》だった。
「優秀でなくてもいい……普通の存在でいたかった……」
 そうであれば、あるいはこうしてMSに乗ることもなかったのではないだろうか。あの時に死んでいたかもしれないけれど、それはそれで幸せだったのかもしれない。
 こんな事すら考えてしまう。
 今更、言っても仕方がないことだとわかっていてもだ。
 それだけではない。
「あの人が……ムウさんのお父さんのクローン……」
 そして、彼を生み出したのは自分の実の両親なのか。
 キラは無意識のうちに、持ち出してきたメモリーカード――紙の日記帳や研究データーはフラガが持って行ってしまった。それは、キラのことを考えての行動なのだろう――を握りしめる。
「……これ……」
 だが、すぐにあることに気が付いた。
「ギルバートさんが、あの時くれた物に似ている……」
 いや、似ていると言えば《クルーゼ》の素顔は《レイ》によく似ている。
 ただの偶然だろうか。
 それとも……そう思いながら、キラはロッカーの中からギルバートにもらったデーターカードを取り出す。
『君に持っていて欲しいのだよ。いつかのために』
 それは今のことなのか。
 ギルバートはこのことを予見していたのか。
 そう言えば、彼は《遺伝子工学の権威》だとラクスは口にしていた。あるいは、彼は《自分》がどのように《生まれ》たのかを知っていたのかもしれない。それでも、あんな風に優しく接してくれたのは、何か理由があるからだろうか。
 そのヒントが、このカードの中にあるのかもしれない。
 本音を言えば中を見るのは怖い。
 だが、これを確認しなければ、自分はきっとここから先には進めなくなる。それだけはしてはいけないのではないか。
 キラはこう考えた。
 そして、中身を確認し始めた。
「……そんなこと……」
 モニターに映し出されていたのは、おそらく《キラ》に向けられたとおぼしき《母》の言葉。
 そこには、自分に対する愛情と慚愧の言葉がつづられていた。
 少なくとも、彼女は自分の誕生を待ち望んでくれていたらしい。ただ、それを自分の体内からではなく《人工子宮》から生まれでなければならなかったキラに申し訳ないとも思っていたらしい。
 何よりも、その結果、ブルーコスモスにねらわれるであろう事がわかっていたから……と。
 同時に、彼女はその資金を得るために誕生させることになってしまった《ラウ・ラ・フラガ》にも愛情を感じていたのだ。
 その出生の特殊さから寿命を決められてしまった彼を、その運命から解き放ちたくて、彼女は研究を進めていたらしい。しかし、それを完成させることはできなかったのだ。
 しかし、彼女の研究を受け継いだものがいた。
「ギルバートさん……」
 途中からの研究記録は、彼が書いたものらしい。それまでの文体とは異なっていた。
 それでも、研究は遅々として進まなかったのか。
 データーに記されている日付が、ずいぶんと飛んでいる。だが、それも当然だろう、とキラは思う。生まれる前の段階であればいくらでも外部から手を加えることができるが、生きている人間の細胞を全て入れ替えることなど不可能に近いのだ。
「……レイ君は……」
 それをいけないとは自分には言えない。
 ただ、彼はこの事実を知っているのだろうか、とキラは思う。もし知っているのであれば、レイはどれだけ悩んだのだろうか、とも。
「知っているんだね、彼は……」
 ふっとキラは最初に彼にあったときのことを思い出す。
『……俺が、何者でも、そう言ってもらえますか?』
 彼はそう言っていた。そして、自分はそれでかまわないと答えた。何も知らなかったとはいえ、ずいぶんと傲慢なセリフだったのではないだろうか。
 もっとも、真実を知った今でも、彼に対する感情は変わらない。
 ただ、と思う。
「アスラン達は……どうなのかな……」
 真実を知っても、彼らは自分に対する感情を変えないでいてくれるだろうか。
 それとも《化け物》とさげすむつもりなのか。
「それを、今考えちゃ……いけないんだ……」
 自分たちには、まだ、やらなければいけないことがある。せめて、それを終えるまでは事実を隠しておかなければいけない。
「ムウさんは……わかっていてくれるはずだから……」
 決して、うかつに口には出さないだろう。
 だから自分さえ気をつければ、彼等は最後まで気づかないはずだ。
 そして、この戦いが終わったときには……
「まずは……これを、理解しないと、いけないね……」
 それから、仮説でもいい。何か方法を探し出さなければいけないだろう。
 一番の心配はただ一つ。そのための時間があるだろうか、と言うことだ。
「……資料はきっと、この中にあるはずだし……」
 メンデルから持ってきたもう一枚のデーターカード。その中にはきっと、ヒントとなるべきものがあるはずだ。
 それを探し出して……せめて、母が望んだとおりに《彼》に少しでも未来を与えてやりたい。もっとも、それを彼が望むのかどうかはわからないが、だがやらなければいけないのだ、とキラは心の中で付け加えた。
「……アスランに、気づかれないようにしないとね……」
 自分がこうしていることを。ふっとそう呟く。彼のことだから、自分の些細な言動でそれを気づきそうなのだ。
 だが、彼まで巻き込むわけにはいかない。
 いや、彼にだけは真実を知られたくない。
 キラは何度も心の中でこう呟いていた。