目の前に広がるのは、モルゲンレーテのドック。
 その事実に気づいた瞬間、シンはこの場から逃げ出したくなってしまった。
「……よりによって……ここかよ」
 この地は、自分たちがかつて住んでいた場所。つまり、あの日、家族の血を吸ったのはここの大地なのだ。
「確かに……ミネルバの修理をするなら……ここが一番いいんだろうが……」
 だからといって、ここに戻って来たくはなかった。
 ここに来れば、体の奥で眠っている怒りと悲しみが吹き出すことがわかっている。それを自分が抑えられるか、というと自信がない。
「冷静で、いなければいけないのに……」
 ここで自分が暴走すれば、ザフト全体に迷惑がかかる。それだけはわかっていた。
 だが、カガリ一人ですらあれだけ怒りをかき立てられるのだ。あの理念を受け入れてこの地に残っている人間にも同じような感情を抱かない可能性がないとは言い切れないだろう。
「そう言えば、あの人にとってもここは……ふるさとなんだよな……」
 ふっとキラの顔を思い出すとシンはこう呟く。
 彼はあのウズミの言葉をどう受け止めていたのか。
 そして、今目の前に広がる光景を見れば、どんな感想を抱くだろうか。
 シンはこんな事を考えてしまう。
「……あの人は、十分な償いをしたんだ……」
 自分にとっての三年間は、確かに苦しいものだった。戦うことしか、力を手に入れることしか考えていなかった、というのも事実だ。
 それでも、自分は戦いのない時間を過ごすことができたことも事実。
 だが、キラはその時間を知らないのだ。
 彼が世界に取り残された時間に、世界はあの戦いを忘れようととしていたのかもしれない。あるいは、そう見せかけて新たな戦いのための準備をしていたのだろうか。
「……キラ・ヤマト……さん……」
 あの人が今、泣いていなければいい。そして、これからも泣くことがなければいい、とシンは思う。
「シン!」
 その時だ。
 シンの耳にルナマリアの声が届いた。
「何の用だよ、ルナ」
 人がいろいろと考え事をしていたのに、邪魔してくれて……とシンは一瞬考えてしまう。だが、すぐに、ひょっとして自分が暴走しないようにのぞきに来たのだろうか、と考え直した。
 どちらにしても、ありがたくはない。
「何の用、じゃないわよ。訓練の時間だから、呼びに来てあげただけじゃない」
 艦長から言われていたでしょう、という言葉に、シンはタリアから命じられていた内容を思い出した。
 万が一のことを考えて、MSの操縦技術だけではなく白兵戦の訓練もしておくように、と彼女は告げたのだ。オーブでは必要ないかもしれないが、自分たちはいつまでもここにいるわけではないのだから。
 それはもっともな判断だろう。
 できるなら、今すぐここから出て行きたい、というのもシンの本音だ。
「……悪い……今、行く」
 それをとりあえず押し殺すと、ルナマリアに向けてこう告げる。そして、ゆっくりと歩き出した。

「……キラ君が、見つかったらしいわね」
 ハンドルを握っているマードックに向かって、マリューはこう告げた。
「こっちに下りてこられないそうですぜ。プラントへ向かったとか」
 彼は彼なりに情報を仕入れていたのだろう。即座にこう言い返してくる。
「そんなに、体調が悪いのかしら……」
 キラが見つかったとき、どのような状況だったのかを自分は知らない。ただ、彼が無事だったと耳にしただけなのだ。
「どうでしょうな」
 そちらに関してはマードックも何も知らないらしい。
「ピンクのお姫様がまだ動いていらっしゃらねぇんでしょう? なら、大丈夫だと思いますがね」
 彼が言いたいのはラクスのことだろう。
 キラに何かあれば、アスランやカガリはともかく、彼女が動かないはずはない。そう信じているのだろう。もっとも、マリュー自身も同じ考えだから何も言うつもりはない。
「そうね……でも、準備だけは、しておいた方がいいかしら」
 このまま、自分たちがここにとどまれるとは思えない。
 カガリの庇護があるからこそ、こうして何とか普通に暮らしていた。だが、彼女がこの地を離れていた間にはあちらこちらから圧力がかかっていたことも事実なのだ。
「……彼女は、どうされます?」
 それに関してはマードックも反論する来はないのだろう。
 だが、自分たちだけこの地を離れることに関しては納得できないらしい。
「カガリさん次第だけど……ラクスさん達の様子を見ていれば、答えは一つしかないんじゃないのかしら?」
 万が一の時はどんな手段を使っても彼女を連れて行くだろう。
「一番いいのは……何事もないことだけれどもね」
 現状では難しい、と言うことをマリューは感じ取っていた。
 モルゲンレーテでも、地球軍のものとおぼしき機材が開発されているのだ。かつて、同じような事を行っていた自分だからこそ、それに気づいたのかもしれない。つまりそれは、今でもモルゲンレーテの一部と地球軍――あるいはブルーコスモスだろうか――が癒着している、と言うことか。
「本当、世の中は難しいですな」
 手に入れた平和だけでは満足できないもの。
 自分の心の痛みを他人にぶつけなければ気が済まないもの。
 そんな者達も間違いなく、人間の一面を示しているのだろう。
 そして、平和を求めようとする気持ちもそうなのではないだろうか。
「ただ、私たちも覚悟を決めなければいけないことだけは……間違いないでしょうね」
 キラのために、少なくとも《平和》と思える世界を作らなければいけないだろう。それが、前の戦争で彼を戦いに巻き込んだもののせめてもの償いではないだろうか。
 マリューはそう考えていた。
 ただ、それは一人で背負うのは重すぎる。
 せめて、彼が生きていてくれれば状況は変わったのかもしれない。そんなことすら考えてしまう。
「……ミネルバ、だったかしら。一体、どんな人が艦長なのでしょうね」
 そんな思いを振り切るかのようにマリューはこう口にする。
「どうでしょうな。ただ、カガリ嬢ちゃんがわざわざ俺たちを指名した、と聞いています。きっと、何かあるんでしょうよ」
 それが何であるのかまでは、自分にもわからないが……とマードックは付け加えた。
「カガリさんの判断であれば、キラ君のことが関わっているのかもしれないわね」
 それも、オーブの技術者に直接見せたくない《何か》があるのではないか。
「まさか、とは思いますがね」
 フリーダムではないだろうか、というマードックにマリューは笑いながら頷いて見せた。