「一体、何があったんだ?」 アスランの前を移動していたカガリがこう呟く。その視線の先にはキラがいるはずの医務室があった、 「おかしいですな。別段、戦闘があったわけではないでしょうに」 それとも、整備陣の誰かが謝って怪我をしたのかもしれない。ギルバートがかすかに柳眉を潜めながらこう呟く。 あの大戦を知らぬものは、どうしてもどこか集中力に欠けているのだ、と。 あるいは、戦いすらシミュレーションの延長にしか思えていないのではないか。 この言葉に、アスランは内心で苦笑を浮かべる。かつての自分たちもそうだったのだ。それでも、自分たちにはその考えを吹き飛ばしてくれる有能な先輩達が身近にいた。 だが、彼等はどうなのだろうか。 そんな存在がいるのだろうか、と考えたときだ。 「……キラは?」 大丈夫なのだろうか、とカガリが告げる声が耳に届く。 「ラウが、先に行っているから……心配はいらぬと思うが」 それに、ギルバートはこう答える。 彼であれば、何か起こっていたとしても適切に対処を取ってくれるだろう、と言うギルバートの言葉にはアスランも賛成だ。 クルーゼの判断力には信頼を置いている。そして……どうやら今の彼は、キラに対し好意を持っているらしい。自分とは違った意味で、キラを守ってくれるのではないか、とその言動から判断できるのだ。 「アスラン」 しかし、カガリはそう思えないらしい。不安そうにこう問いかけてくる。 「……大丈夫だよ、きっと。キラに関しては、信頼できる」 クルーゼは一度懐に入れた相手に関しては、かなり甘いから……とアスランは微笑んで見せた。 「お前がそういうなら……わかった」 やはりすぐには信用できないのか。カガリはこう告げる。 「キラを見捨てずに、ここまで一緒に来てくれたんだ。信じないわけにはいかないだろう?」 一人であれば、いくらでも逃げられただろうに……と付け加えれば、カガリはとりあえず納得したらしい。 しかし、と思いながらアスランは視線をカガリから医務室の方へと戻す。 これだけの騒ぎなのに、周囲に同僚と思える人間の姿はない。 その事実に、アスランはある可能性に気づいていた。しかし、それを口に出すことはできないだろう。下手なことを口にして、カガリがミネルバのクルーに不信を持ってはいけない。そう判断したのだ。 自分たちはまだここにいなければいけないのだし、何よりも、キラに矛先が向けられては困る。 彼にはまだ、静かな環境が必要なのだ。 そんなことを考えながら、ギルバートが医務室のドアを開けるのを待つ。 「落ち着きたまえ、キラ君……何も、心配はいらない」 だが、ドアが開けられた瞬間響いてきたのはこんな言葉だった。 「キラ?」 「……何が……」 もう、ギルバートに対する礼儀などアスランの脳裏からは綺麗さっぱりと消え去っていた。彼を押しのけるようにして医務室に足を踏み入れると、まっすぐにキラの元へと駆け寄る。 そうすれば、クルーゼの腕の中で泣きじゃくっている彼の姿が確認できた。 「キラ!」 どうしたんだ、とアスランは声をかける。そうすれば、彼が涙で濡れた瞳でアスランを見つめてくる。しかし、その唇からはアスランを呼ぶ声が出てこない。それでも、すがるようにキラはアスランへと手をさしのべてきた。 「アスラン……任せてもいいかね?」 クルーゼの言葉に、アスランはすぐに頷いてみせる。そして、彼の腕からキラの体を受け取った。 「……クルーゼ隊長?」 アスランの腕がしっかりとキラを抱きしめたことを確認すると、彼は立ち上がる。それはどうしてなのか、とアスランは言外に問いかけた。 「まず、君たちが優先しなければいけないのは、キラ君のことではないのかね?」 だが、クルーゼはこの一言でアスランの言葉を封じる。 何よりも、アスランの腕を掴んでいるキラの指の力が、彼にそれ以上の追求を拒んでいた。 「キラ……どうしたんだ?」 遅れてやってきたカガリがキラに声をかける。それでも、彼は言葉を返すことはない。 しゃくり上げるたびに揺れる彼の肩が痛々しく感じられる。 カガリもそう感じたのだろう。 「……大丈夫だ。私もアスランも、ここにいるだろう?」 言葉とともに、そうっとキラの体を背中から抱きしめる。 「ァ……スラ……、カ……リィ……」 そのぬくもりで、ようやく自分たちの存在に気づいてくれたのだろうか。キラの唇からようやく二人の名がこぼれ落ちた。 そのままキラはアスランの胸にさらに顔を押しつけてくる。 「すまなかった……一人にしたから、いけなかったんだな」 寂しかったんだろう、と囁きながらも、アスランは別のことを考えていた。 キラが一人になった瞬間、何かがあったことは間違いはない。 このキラの様子からすれば、それは三年前の戦争に関わることなのではないか。 あるいは、彼が奪ってしまった命に関係しているのかもしれない。 ザフトにも、フリーダムによって殺されてしまった者の肉親はいるだろう。だが、それは《戦争》だったからだ。誰もがそれを理解していた、と考えていたのは間違いだったのだろうか。 「ギル……ちょっと付き合ってくれないか?」 クルーゼがギルバートにそう呼びかけている。 「どうやら、私の存在が必要なようだな。仕方があるまい」 キラと話をしたかったのだが、と口にしながらも、彼は逆らうことはない。あるいは、何かを察しているのかもしれない。 それを確認したいとは思う。 だが、すがりついてきているキラを突き放すことはできないのだ。 こうして、自分に助けを求めているのだから、なおさらだろう。 「キラ……ともかく、横になろう? そうしたら、目を冷やしてあげるから」 でないと、目が腫れてしまうよ? とアスランは優しくキラに囁く。 「そうだぞ、キラ。せっかくなら、可愛い顔を見せてくれ」 でないと、私が悲しい……とカガリも付け加える。 「何なら、アスランに添い寝をしてもらえ。それとも、私がしてやろうか?」 からかうようにカガリがこう付け加えれば、キラは小さな声で、 「……アスランがいい……」 と口にしてくれる。その声はまだ涙に濡れていたが、先ほどよりも落ち着いているように感じられた。その事実に、アスランは少しだけほっとした。 「わかった。一緒にいてあげるから」 こう言いながら、アスランは視線でカガリに合図を送る。そうすれば彼女はキラから離れてタオルを濡らしにいった。 もっとも、それはあくまでも表面上のことだ。 ついでに、クルーゼから自分たちも同席すべきなのかどうかを聞いてくるに決まっている。三年間のつきあいで、この程度であればお互いの行動を推測することができるようになっていたのだ。 「だから、寝よう?」 もっとも、どちらかがキラの側にはいるようにしよう……とアスランは心の中で付け加える。 少なくとも、彼が現状になれるまでは。 アスランは腕の中のぬくもりをさらに強く抱きしめながら、こう思っていた。 |