まだ、カガリとギルバートは話し合いをすべき事柄が残っている。
 しかし、キラの様子は知りたい。
 こう主張するカガリの言葉を受けて、アスランは一人医務室へと向かっていた。
「レイ君がいる、とは聞いているが……」
 それでも……という不安を隠せない。その原因が何であるか……と言えば、一つしかないだろう。
「……シン・アスカ……」
 あれだけ《アスハ》に対し憎悪を隠さない少年。もっとも、その理由を知れば彼だけが悪いと思えないこともまた事実だからこそ、彼に対する感情は複雑になる。
 しかし、それはあくまでも《カガリ》に向けられた場合は、だ。
 彼女には自分たちが行ったことで誰かが傷つくかもしれないという現実、そして、その結果恨まれるのだという事実を認識する必要がある。そして、彼女はそれを乗り越えなければいけないのだ。
 そのために必要であればいくらでも手助けしてやろう、とアスランは思う。
 自分たちが選択した結果がそうである以上、その覚悟はできているのだ。
 しかし、キラは違う。
 確かに、フリーダムに乗り戦争を終わらせるために戦うことを選択したのは彼自身だろう。だが、元々彼がMSのパイロットになったことは彼自身の選択ではなかったのだ。
 しかも、だ。
 キラがあまりに突出した才能を見せていたから誰もが忘れているが、彼は正式に訓練を受けたことはない。キラの実力は全て、戦場で必要に迫られて身につけられたものだと言っていい。
 そんな彼が、どうして責められなければならないのか。
 確かに、肉親を殺されたことには同情をするが、それとこれは別問題だろう……とアスランは思う。
 ザフトの一員であることを選択した以上、いつ、自分が同じ立場になるのかわからないのだ。
「……だめだな……」
 アスランは動きを止めるとこんな呟きを漏らす。
「こんな状態でキラの前に出れば……あいつを悲しませてしまう……」
 キラは、自分に向けられる感情には鈍いくせに他人のそれには聡いのだから、と。
 その原因が自分にあると知れば、なおさらだろう。
 だから、この八つ当たりとも言える感情を今は押し殺さなければ行けない。ようやくこの手にキラを取り戻すことが可能になったのだから、彼の笑顔を見たい、と思うのだ。
「キラ……」
 不思議なことに、彼の顔を思い浮かべるだけで自分の中のいらだちは綺麗に消えていく。その代わりに心を支配するのはキラに対する愛しさだけ。
「……もう、お前を傷つけさせるようなことはしないし、させない……」
 自分が守るのだ、とアスランは心の中で呟く。
 同時に、これならば大丈夫だろう。
 キラの前に立っても、シンに対する怒りを爆発させなくてすむはずだ。
 そう確認すると、アスランは再び移動を開始する。
 軍艦の常とはいえ、入り組んだ通路にも関わらず、アスランはためらうことなく医務室へ向かっていく。
 これも慣れなのだろうか。
 考えてみれば、ヴェサリウスやガモフとのようなザフトの軍艦だけではなく、アークエンジェルとクサナギ、そしてザフトでも特殊な仕様だったエターナルと乗船経験があるのだ。共通した内部構造というものを飲み込んでいてもおかしくはないだろう。
「キラは、迷子になりそうだな」
 もっとも、それを言うのであればキラだと同じようなものだが、それでも彼は迷子になるに決まっている。
「そう言うところが可愛いんだがな」
 こう呟いたとき、アスランの目の前に医務室のドアが見えた。

 ふっと目を覚まして、キラはこの場にもう一人の存在がないことに気が付いた。彼に、先ほどのお礼を言おうと思ったのに、と。
「……シン君は……」
 キラがこう問いかければ、レイは何故か静かに首を横に振ってみせる。
「レイ君?」
 どうしたのだろうか、とキラは小首をかしげた。まるで自分と彼を会わせないようにしているように感じられる。その理由がわからないからこそ、キラは不安を感じてしまう。だから、その理由を問いかけようとした。
 しかし、彼は視線だけでそれを拒絶している。
「今は……何も考えないで休んでいてください」
 お願いですから……と彼が付け加えたときだ。外部から入室の許可を求めると端末が伝えてきた。
「ドクターがいないのだが」
 困ったな……と言いながらレイが立ち上がる。そして、そのままドアの方へを歩いていった。
 彼のぬくもりが遠ざかったことに、キラは少しだけ寂しさを覚える。
 だが、誰かが体調を崩している、というのであれば仕方がないだろう。認めたくはないが、現在も戦闘が行われているらしい。しかも、あの戦争を経験した人間はザフトないでも少ないのだとか。もちろん、この艦も例外ではないらしい。ならば、体調を崩すものがいてもおかしくはないのではないか、と思うのだ。
 そうならば、自分よりもその相手を優先してもらうしかない。
 キラはそう考える。
「キラさん」
 だが、そうではなかったらしい。そうわかったのは、レイの肩越しにアスランの姿が確認できたから、だ。
「アスラン?」
 もちろん、彼の上にも三年という年月が流れたことは見て取れる。それなのに、どうして彼の瞳はあの時と同じ優しい光を浮かべているのだろうか、とキラは考えてしまう。
 彼らに何も言わずに、自分は姿を消したのに。
 レイとギルバートだけは事情を知っていただろうが、それをアスラン達に伝えるはずがない。そう信じていた。
 だからきっと、みんなは自分を怒っているに決まっている。
 キラはそう考えていたのだ。
「お帰り、キラ」
 だが、アスランはこう言って微笑んでくれる。  いや、それだけではない。
 そっと手を広げると、彼はキラの体を抱きしめた。
「……アスラン……」
 怒ってないの? とキラは思わずこう問いかけてしまう。
「俺がキラを? どうして?」
 そうすれば、アスランが訳がわからないというような表情を作った。そのまま、キラの顔をのぞき込んでくる。
「……だって……」
 何も言わずに、三年も……とキラは蚊の鳴くような声で付け加えた。
「キラは、しなければいけないことをしたんだろう? それなら、俺が怒る理由はないじゃないか」
 放り出して逃げたのならばともかく……とアスランはキラの髪をなでてくれる。
「それにキラは……俺たちのところに帰ってきてくれただろう?」
 だからいいのだ、と。
「アスラン」
 キラがアスランの腕の中で体の力を抜いた。
「今は、何も考えなくてもいい……ただ、体を治すことだけ考えてくれ……」
 そうしたら、今度こそ一緒に生きよう? アスランはこう言いながら、キラの頬にキスを落とす。
 それを受け止めながら、レイがそっと医務室から出て行くのにキラは気づいていた。