幸か不幸か、現在、医師はこの場をはずしているらしい。
 ならば、先ほど保護されてきた相手と誰にも邪魔されずに話ができるだろうか。
「……フリーダムのパイロットがどこにいるかを、だ」
 まずはそれを知らなければ意味がない。
 その後のことは、その後で考えよう。
 心の中ではそう思いながらも、シンは自分が迷っていることに気づいていた。
 それは、彼等が保護されてきたときの光景が脳裏に焼き付いているからかもしれない。
 レイの腕の中でぐったりとしていた小柄な人影。
 遠目だったせいではっきりとその容貌を確認できなかったが、どこか妹に似ていたような気がする。
 そんな人物が血の気の失せた状態でレイの腕に抱かれていた様子は、あの日のことを思い出させるのに十分だった。胸に走った痛みは、きっと、失ったものの大きさを改めて認識させるためだったろう。
 だから、たとえどれだけ彼に心を揺り動かされようと、自分は……と思う。
 しかし、と囁く声もある。
 本当にそれだけなのか、と。
 あのまぶたの下に隠された瞳の色を確認したいだけではないのか。
 もう一度みたいと思っていた色と同じなのかどうか。それを知りたいだけではないのか、と考えずにはいられない。
「……俺は……」
 本当にどうしたいのだろう。
 それがわからないまま、シンはできるだけ気配を消して奥へと進む。
 おそらく、好奇心でのぞきに来た人間をシャットアウトできるように、と考えてのことだろう。その人物が眠っていると思われる場所は、医務室の一番奥のベッドだった。もっとも、誰もいない状況では意味がないのではないかとシンは思う。
 もっとも、この艦内でここに来るようなものもそうそういないだろう、と言うこともまた事実だが。
 そんなことを考えているうちに、気が付けばそのベッドの前までたどり着いていた。
 後、自分と彼を隔てているものがあるとすれば、目の前の薄いカーテンだけだろう。
 これを開ければ、間違いなく彼の存在をこの目にすることができる。
 だが、どうしてかまだためらいを捨てきれない。
「……んっ……」
 その時だ。シンの耳に苦しげなうめき声が届く。
「うなされているのか?」
 それとも、別の理由からなのだろうか。
 ともかく放っておくわけにはいかないだろう。様子を見て、もし必要ならば医師を呼び戻さなければいけないのではないか。シンはそう考えることで、ためらいを捨てた。  それでもできるだけ相手を刺激しないようにそっとカーテンを開ける。
 そうすれば、空を見つめるかのように目を見開いて涙を流している少年の姿が視界に飛び込んできた。
「大丈夫か!」
 その様子はどう見ても尋常ではない。
 慌てて彼の顔をのぞき込めば、その瞳が焦点を結んでいないことがわかった。
「ドクターを……」
 今の自分にできることはそれくらいだろう。
 第一、こんな相手に今、自分の疑問をぶつけることはできない。その程度の常識は自分にだってある、とシンは心の中で呟くと、きびすを返した。そして、そのまま端末へ向かって駆け寄ろうとする。
「そこで……何をしている、シン!」
 その彼の耳に、珍しく怒りを含んだレイの声が届いた。
「うなされていたから、様子を見に来ただけだ! ドクターがいらっしゃらなかったからな」
 頭も痛かったし……と付け加えるシンに、レイは冷たい視線を向けてくる。
「どいてくれ」
 そして、こう告げるとシンを押しのけるようにして奥へと向かう。
「レイ!」
「対処法はお聞きしてある。だから、お前は出て行け」
 余計な刺激は与えたくないのだ、とレイは付け加える。普段であれば気にならないそんな彼の言動が、何故か今日は引っかかってしまう。
「だけどな!」
「……今のあの人には、静かな環境が何よりも必要なんだ」
 しかし、レイはあくまでも態度を崩そうとはしない。最初に感じた怒りも、もう、どこに行ったのかわからないほどだ。
「やぁぁぁぁっ!」
 先ほどよりも悲痛な悲鳴が室内に響き渡る。
「キラさん!」
 ほとんどシンを突き飛ばすようにして、レイは彼――キラの元へと駆け寄っていく。
「大丈夫です、キラさん!」
 こう叫ぶと、レイはキラの体を抱きしめる。
「もう、あの戦争は終わったんです!」
 そして、彼の耳元で、何度もこう繰り返す。
「あの人も、そして他の人たちも無事です。だから、安心してください」
 先ほどとは違った意味で、レイはその秀麗な顔に感情を表している。
 こんな風に必死になっている彼は初めて見るかもしれない、と呆然としながらシンは目の前の光景を見つめていた。
「キラさん! お願いですから、俺を見てください!」
 彼がキラを心配している、というのはよくわかる。
 そして、彼の意識を早く現実に戻さなければいけない、と言うこともだ。
 だが、何故か目の前の光景が許せないという気持ちがあるのだ。
 しかし、その理由がわからない。
 さっき、初めてこの目にしたはずの相手なのに、どうして、と。そして、レイの言葉から推測すれば、二人は顔見知りらしいということも想像できるのにだ。
「キラさん!」
 レイの口調が微妙に変化をする。
 それに、シンは慌ててレイの肩越しにキラの顔をのぞき込んだ。
「……レイ、君?」
 ようやく光が戻った瞳がレイへと焦点を合わせる。
「えぇ、俺です」
 ほっとしたようにレイが頷いて見せた。
「僕……」
「大丈夫です。ここには……ギルも、あの人もそして、彼らもいますから」
 だから、何も心配はいらないのだ、と言う言葉が誰を指しているのだろうか。最初の二人についてはだいたい想像が付いたが、後はわからない、とシンが眉を寄せる。
 その仕草で、彼の意識がシンを認識したのだろうか。
「……誰?」
 不意に、シンへと彼の瞳が向けられる。
 その時初めて、シンは彼の瞳が、妹のそれとよく似た色をしているのだ、とわかった。