ギルバートがシーゲルの元へ向かい、レイとキラの二人だけになった瞬間、周囲はいきなり沈黙に襲われてしまう。
 キラにしてれば、何を話せばいいのかわからないから……というのがその理由だ。
 だが、レイの方はギルバートが口にしたように本当に無口なだけらしい。
 どうすればいいのだろう、とキラは思う。
 このまま顔を見合わせたままぼうっとしているわけにもいかない。そう判断をするのだが、何を言えばいいのかと考えながら、キラは周囲を見回した。そうすれば、偶然、メイドが用意をしてくれたティー・セットが目に飛び込んでくる。
「……まずは、座ってお茶にしない?」
 立ったままよりはその方がいいのではないか。
 そうしているうちに、何か話題が出るかもしれないし、と考えてキラはこう声をかけた。そして、そのままティー・セットの方に歩き出そうとする。
 だが、それよりも早く、レイが手を伸ばしていた。
「レイ君?」
「俺、がやります……ギルにほめられているから」
 何を、と問いかけるよりも早く、レイがこう告げる。彼の口から出た言葉はかなり省略されているものではあるが、何が言いたいのかは伝わってきた。
「君の方がお客様なんだけど……」
 それでも、キラの中には『お客様はもてなすもの』という意識がある。
 だが、こう口にした瞬間、レイが傷ついたかのように瞳を揺らしたのがわかった。
 それは、まるで自分の存在そのものを否定されたかのような表情だ、とキラは思う。
「でも、僕より上手そうだから、お願いしてもかまわないよね?」
 その理由がわからないまま、キラは言いつくろうように言葉を唇に乗せる。
「はい」
 次の瞬間、レイはほっとしたように微笑む。そして、見事だという他はない動きでお茶を淹れていく。
「砂糖は、どうされます?」
「あ……一つ……」
 それに見とれていたせいで、キラの口から出たのはどこか間抜けとも言えるセリフだった。
 しかし、それでもレイにはうれしかったのか。彼の笑みは少しだけ深まる。もっとも、それは彼をよく観察しているからこそわかるものなのではないだろうか、とキラは思った。それほど淡いものだったと言っていい――自分がアークエンジェルの中で浮かべていたそれと似て――と考えた瞬間、キラの心の中に、また何か重苦しいと言える《感情》が生まれる。
「どうか、されました?」
 キラの表情が曇ったことに気が付いたのだろう。レイがこう問いかけてくる。
「何でもないよ。気にしないで」
 慌ててキラは笑みを作った。
「ですが……」
 しかし、レイはそれにごまかされなかったらしい。さらに問いかけようと口を開こうとしてくる。その様子は、デュランダルが口にしたように《口べた》とは思えない。
 それとも、それだけ自分を気にかけてくれている、と言うことなのか。キラはそう判断をする。
「どうやったら、音を立てずにできるのかなって……思っただけ。僕より君の方が年下なのにね」
 ずっと上手だから、と付け加えれば、彼は納得してくれたのだろうか――それとも、そのようなそぶりを作ってくれているだけなのか――キラから視線をそらす。
「俺には……このくらいしか、できることがないから」
 ギルのために、と彼は呟くように口にした。
「そうかな?」
 しかし、キラにはそう思えなかった。
「ギルバートさんは、君が側にいてくれることで慰められている、と思うよ。でなければ、あんなに優しい瞳はしないと思う」
 彼が昔『そうだ』と教えてくれたように、とキラは心の中で呟く。
 いや、そう言えばそう言ってくれたのは彼だけではない。あの人達もそう言ってくれたのだ……と考えれば、今度は別の感情が心の中にわき上がってくる。
 それでも、それを実行に移すための手段を、今の自分は持たない。
 しかし、今はそれを考えている場合ではないだろう。ともかく、自分のせいで何かいけないことを考えているらしい目の前の少年の気持ちを何とかしなければいけない、とキラは判断をした。
「だから、君は君でいいと思う。少なくとも、僕はそう思うから」
 出会えたのがレイで良かった、とキラは微笑む。
「……俺が、何者でも、そう言ってもらえますか?」
「僕は、今、目の前にいる彼しか知らないから……だから、自分の目の前にいる君が君であれば、かまわない」
 人として好きだと思えるのであれば、どんな生まれ方をしていようが関係ない、とキラは思っている。
 そう。
 コーディネイターだろうとナチュラルだろうと、そんなことはどうでもいいのだ、と。そう言ってくれる人がいたからこそ、自分はあそこにいたのだ。
 そして、自分もそう思っている。
 レイにしても、それは同じことだ、と心の中で呟いた。
「……ありがとう、ございます」
 そう言って微笑む彼の表情は、まさしく花が咲いたようだ、と思う。もっとも、相手が自分の微笑みを見て同じ感想を抱いていたとは考えてもいなかったが。
「俺は……ギルのためにできることを増やそう……と思っていました。でも、同じように、貴方のため、と考えてもいいでしょうか」
 おずおずとレイはこう問いかけてくる。
「僕?」
 その言葉に、確認を求めるかのようにキラは呟く。そうすれば、しっかりとうなずいて見せた。
 自分なんて……とキラは言いかける。
 だが、それを強引に飲み込んだ。
「そうだね……いつか、そんな日が来たら、お願いしようかな」
 その代わりというようにこう告げる。
「はい」
 満面の笑みが彼の顔に浮かんだ。
「お茶が、入りました」
 その表情のまま、彼は視線をティー・ポットに移す。そして、優雅といえる手つきでお茶をカップにつぎ分けた。キラのためには砂糖を一つ。そして、自分の分には何も入れずにそれぞれの前に置く。
「ありがとう」
 それがちょっと悔しいか、と思いつつもキラは彼に礼の言葉を口にした。
「いえ……あの……」
 質問をしてもいいだろうか、とレイは告げる。
「何?」
 自分にわかることだろうか、とキラは聞き返した。
「どうして、貴方が罪人なんでしょうか。貴方は……すべき事をしてきたのだ、とギルは言っていましたが……」
 そのどこが罪なのかと彼は問いかけてくる。
 ある意味、それはキラが逃れてきた事柄なのかもしれない。できれば、考えたくないとも。
 しかし、答えないわけにはいかないだろう。
「確かに……僕は大切な人々を守るために戦うことを選んだ。でもね、そのために、誰かの命を奪っていることは事実なんだよ。そして、その人達を大切にしていた人たちは……僕を許さない。違う?」
 だから、そう言う人たちから見れば、自分は《罪人》なのだ。そして、そんな人々の中に《彼》がいる。
「そんなこと、誰も貴方に言えないと思います。少なくとも……ギルも俺も、そうは思いません」
 レイのこの言葉がうれしい。あるいは、自分は誰かにそう言ってもらいたかったのだろうか――できれば《彼》に。
 静かに微笑みながら、キラは涙をこぼした。