空に一筋の飛行機雲が残されている。
 あれがアレックスの乗ったシャトルが描いたものだという可能性は少ない。それでも、と考えながらキラはそれを見つめていた。
「キラ」
 そんな彼の耳にラクスの心配そうな声が届く。
「大丈夫だよ、ラクス……わかっているから」
 ただ、少し寂しいだけ……とキラは苦笑を浮かべながら彼女に視線を向けた。
「せっかく、帰ってきてくれたのに……」
 アレックスの仕事だからしかたがない。わかっているけれど、少しだけ寂しいのだ……とキラは口にする。
「それでも、必ずアレックスはキラの元に帰ってきますわ」
 彼は約束を破らないでしょう? と言われて、キラは小さく頷く。
 それでも不安は消えない。
「……あの時も『すぐに会える』って言ったんだ」
 それなのに、次に会えたのは三年も経ってからのことだった。
 アレックスが向かったのはあの日と同じプラントなのだ。
 今回も、そうならないとは限らない。こう考えれば、どうしても恐怖がわいてくる。それは、キラの心の奥でアレックスのものとは微妙に色合いが違う翠の瞳が揺らめくからか。しかし、それは一瞬で消える。
 しかし、それをラクスに告げるわけにはいかないだろう。
「キラ……」
「……ごめん、ちょっと散歩してくる……」
 一人で考え事をしたいから、とキラは口にした。
「大丈夫。危ないところにはいかないから」
 苦笑と共にこう付け加える。
「……せめて、目的地だけは教えて頂けますか?」
 三十分ぐらいしたら後を追いかけるから、と彼女は微笑みと共に告げてきた。
 つまり、それ以上はダメだ、と言う意思表示だろう。
「……慰霊碑……」
「キラ!」
 その言葉に、ラクスが反射的に叫ぶ。
「逃げているわけに、いかないから」
 いつまでも、とキラは微笑む。だからこそ、今、行っておかなければいけない。これから、自分たちが動き出すためにも、だ。
「……わかりました。でも、無理はしないでください」
 キラがそういうのであれば止めないが、まだ無理だと思うのであれば諦めて欲しい。そう彼女は付け加える。
「わかっているよ」
 キラはラクスに微笑み返す。そして、ゆっくりと歩き始めた。

 目の前の光景をシンは一瞬信じられなかった。
「……何だよ、ここは……」
 あの日、ここは爆撃の傷跡があちらこちらに刻まれていたのに、今は綺麗に整備されている。
 その奥にある石碑は最近作られたものなのだろうか。
 でも、と思いながらゆっくりと足を動かす。
「そんなことをしたって……あの日の記憶は消えないのに……」
 いや、逆に怒りをかき立てられるものがいるとは思わないのだろうか。
 あくまでも自己満足の世界だ、とどうして誰も気が付かないのだろう。
「……えっ?」
 こんなことを考えていたときだ。不意に、目の前で影が揺れる。
 いや、そう思えたのはその人物が黒い服を身に纏っていたからだ。髪の色も濃いから、ちょうど石碑の影に同化しているように見えただけらしい。
 慌てて自分の口を押さえるが、自分の呟きは彼の耳に届いてしまったようだ。視線を向けられる。
 その瞬間、彼の瞳の色が純度の高い紫水晶によく似ていることに気付いた。しかも、そこに悲しみの色が見え隠れしている。
「……慰霊碑、ですか?」
 彼もここで誰か大切な人を亡くしたのだろうか。そう考えながら、こう問いかける。
「そう、みたいだね。僕もよく知らないんだ……」
 今日、始めて来たから……遂げる彼は本当に辛そうだ。
 でも、その気持ちはわかる。
 自分だって、ここで失った人々の重さを考えれば辛いなどと言うものではない。
「花……枯れちゃたね……」
 小さな呟きが彼の唇からこぼれ落ちた。いったい何のことかと思えば、慰霊碑の周囲に植えられている花が塩水をかぶったのかしおれているのが確認できた。
 それもこれも、誰かが人為的に起こしたものだ。
「しょせん……見せかけだけじゃ、ダメなんだ」
 人が作った物を壊すのも人ではないか。
 こうして形だけ整えても意味がない。シンはそう呟く。
「でも……また、花を植えようと考える人はいるよ……」
 そんな人が一人でも増えていけば世界は変わるのではないか。彼はそう口にする。もっとも、それは自分に聞かせるためのものではないように感じられた。
「……世界が変わらなければ、意味がないですね、それも」
 どうして自分がこんなことを言ってしまったのかがわからない。
 彼の言葉に共感できる自分がいることも事実なのに、とシンは思う。
「そう、だね」
 彼の声音に悲しみが滲んでくる。
 自分よりも年上の彼を自分がいじめてしまったようで居心地が悪い。
 シンがそんなことを考えていたときだ。風に乗って優しい歌声が周囲に広がった。
 知り合いなのだろうか。彼がその声の方へと視線を向ける。
 シンも釣られるように視線を向ければ、春のような柔らかな色合いの女性がこちらに向かってくるのが確認できた。
 彼女はきっと彼を迎えに来たのだろう。
 自分だけが、この場では異質な存在なのかもしれない。そう考えた瞬間、シンは思わずきびすを返してしまう。
「君……」
 そんなシンを呼び止めるかのように彼が声をかけてくる。しかし、シンはそれが聞こえなかったふりをして、そのままその場を立ち去った。
 どうしてそんな行動を取ってしまったのか、最後までわからなかったが……