男の正装はともかく、女の子のそれは時間がかかるものだ。
「……ギルが、別の意味で張り切っていたからな」
 襟元のリボンを結びなおしながらレイが呟くように言葉を口にした。
「ギルバートさん。趣味だけはいいとは思うけど……だから、余計に時間がかかっているのか?」
 完璧を求めているから……とシンは首をかしげてしまう。だとするならかまわないけど、ただ遊んでいるだけならば、キラがかわいそうだな……とも思う。
「おそらく、髪飾りから靴まであれこれあわせているんだろうが。そのせいで出かける前にキラさんの体力がなくなったらどうするんだろうな」
 絶対に『行きたくない』と騒ぐに決まっているぞ、とシンは付け加える。
「疲れたから家にいたいって言われたら、俺も残ろうか」
 そうすれば、レイはレイでこんなセリフを口にしてくれた。
「……レイ……」
 まさかと思うが、その時は自分一人にいけと言い出すつもりなのだろうか、彼は。はっきり言って、そんな状況になったら、自分も行かないぞ、とシンは心の中で付け加える。
「そうなる前に、キラさんの様子を見に行った方が正解かもしれないけどな」
 ギルバートがあれこれ決めかねているなら、自分たちがさっさと決めてしまってもいいんじゃないのか、とレイは笑う。
「うん、それいいよな」
 即座にシンも彼の言葉に頷いてみせる。
 そうしてしまえば、キラの負担も減らせるだろうし、何よりもギルバートにだけ彼女を独り占めしておくなんて事をしなくてもすむだろう。そんなことも考えてしまった。
「カナード兄さんがいてくれれば、本当は一番確実なんだろうけどな」
 行くか、と口にしてレイは歩き出す。そして、シンが追いついたところで、彼はこう告げる。
「カナードさん?」
 確かに、彼ならばキラが一番信頼しているし、面倒も見て貰っているようだ。でも、だからといって、ギルバートに勝てるのだろうか、彼が。ラウであれば確実だろうと言うことはわかっているが。
「そうだ。カナード兄さんなら、市販のドレスなんて用意しないで自分で作るからな」
 キラが昔着ていた服は、みんな、カナードと今はいない彼らの母親の手作りだったのだ、とレイはさりげなく爆弾発言をしてくれる。
「……あのカナードさんが?」
 言っては悪いのかもしれないが、信じられない。
 ここに来てから知ったがカナードはあの年齢で十分傭兵として独り立ちできるだけの実力を持っているらしい。だからこそ、ラウも彼にあれこれ頼んでいるらしいのだ。
 そんな彼が、針と糸をもって裁縫をするなんて。
「……信じられない……」
 シンは本気でそう呟いてしまう。
「カナード兄さんは実は凝り性だからな。実はかなりうまいんだ。もっとも……キラの分しか作らないと言い切っているが」
 それはそれで、彼らしいような気がする……とレイは苦笑を浮かべた。
「確かに。あそこまで明確に線引きされると逆に納得してしまうよな」
 カナードにとってキラが一番。
 というよりも、他の人間なんてどうでもいいと考えているのではないだろうか。
 それでも、自分やレイ、ラウやギルバートはキラの面倒を見てなおかつ余裕があるときには手を貸してもらえる。それは彼にとって多少は意味がある存在だと思われているからだろう。
 でも、それだからこそ、安心できるという気持ちもある。
「必要があれば、きちんと手を貸してくれるしな。彼もラウ達も」
 それで十分だろう、とレイも笑う。
「俺は男だから、手を貸してもらうよりも、早く対等な存在になりたいし……それが無理なら、せめてみんなに安心して後ろを任せてもらえる存在になりたいと思う」
「そうだな。俺もそうなりたいよ」
 そうすれば、もっと彼等のためにできることができるだろう。
 何よりも、カナード達がいなくてもキラが安心した表情を見せてくれるのではないか。そんなことも考えるのだ。
「まぁ、今は最低限の知識を身につけることを優先しないとな」
 何をするにしても、基礎は大切だろう。いつ呼び出しが来るかわからないから、という理由で学校に通えないシンとキラだが、その代わりにとギルバートが家庭教師を手配してくれた。しかし、彼が教えてくれる内容は、オーブでのそれとはかなり違っている。
 その差を何とかしなければ、学校に行っても困るんだろうな……と心の中で呟いたときだ。
「おやおや。とうとう我慢できなくなったのかね」
 前の方からギルバートが歩いてくるのが見える。そして、そんな彼の陰に隠れるようにして、キラの姿も確認できた。
 しかし、その姿は予想以上に可愛らしい。悔しいが、彼のセンスは認めなくてはいけないだろう、とそうも思う。
 フリルもレースも、ある意味最低限しか付いていない。だが、それだからこそ上品に見える。
 なんて言ったらいいのか。
「……可愛い……」
 決して、マユに向かっても言わなかった――というよりも、あの子はそんなことをすればつけあがることがわかっていた――言葉をシンは無意識に口にしてしまう。
「凄く、似合っています」
 レイはレイで、もう崇拝の眼差しでキラを見つめている。
「だそうだよ、キラ。だから、安心しなさい」
 誰もおかしいなんていわないよ……とギルバートはキラに向かって微笑みかけた。
「でも……僕、こんな服、初めてだし……」
「それもわかっているよ、キラ。ラウから聞いているからね」
 でも、と彼はさらに笑みを深める。
「ここでは、そんなことを気にする必要はない。だから、カナードも君に女の子の服を用意しているだろう?」
 キラには、自分の知らない事情があるのだろうか。だとしたならば、自分はそれを知りたい、と思ってしまう。でなければ、自分だけ仲間はずれにされているような気がしてしまうし、とも。
 それとも、キラがそれを知られたくないって思っているのだろうか。
 ならば、あえて聞こうとは思わないけれど……とも考える。
「何、これから馴れていけばいい。キラが可愛らしい服装をしてくれると、私だけではなく皆が喜ぶよ」
 家の中が華やかになるからね……とギルバートはキラに微笑みかけていた。それはそうなんだが……とシンは、即座に思考を切り替える。
「……ひょっとして、ギルバートさんって、いつもあんな感じで女の人を口説いているのか?」
 そして、そうっとレイに問いかけた。
「否定はしないな。でも、キラさんを口説くのは犯罪だと思う」
 後でラウに報告しておこう、と彼はさらに言葉を続ける。
「こらこら。自分が言いたいセリフを取られたからと言って、他人に泣きつくのは卑怯ではないかな?」
 そういう問題なのだろうか。そういいたくなるシンの耳に、ギルバートの言葉がさらに届く。
「それよりも、そろそろ出発しよう。遅れれば、失礼になるからね」
 ギルバートがさりげなくこう言ってきた。
「そうですね」
「……行かなきゃ、ダメなんだよね……」
 キラが小さなため息とともにこう問いかける。
「大丈夫だよ。あちらにはキラと同じ年のお嬢さんもいるから」
 何か、うまくごまかされたような気がするのは、自分だけだろうか。そう思いながらも、シンはみんなとともに出かけるために玄関に向かった。