どうやら間に合ったかな。
 ドアの影に身を潜めながらカナードは心の中でこう呟く。
「……母上……」
 アスランが信じられないというように呟いている。まさかここにレノアが姿を現すとは思っても見なかったのだろう。
「貴方が何かよからぬことをしているのではないか、と連絡がありました。心配してきてみれば、本当にみっともない!」
 勝手な思いこみで女性を追いかけ回したあげく、寝込ませるとは……と言う言葉に、嘘はない。しかし、そこまで大事になっているかというと話は別ではないだろうか。
「ですが、母上。俺がキラを捜していたことはご存じのはずです」
 相変わらず、彼女にだけは頭が上がらないのか。アスランは必死に弁明を始める。
「確かに、それは知っています。でも、それは貴方の勝手な気持ちでしょう?」
 キラの気持ちはどうだったのか。それを確認していないだろう。レノアはこう言い切る。
「悲しいけれど、キラちゃんにとって貴方の存在は必要ではないと言うことだわ」
 アスランが思っているのとは違って……とそうも彼女は付け加えた。
「嘘だ!」
 しかし、アスランにしれ見ればその一言は認められないものだったらしい。
「キラが俺を必要としていないなんて、そんなことはない!」
 オコサマの独占欲、と言うべきか。それとも、ただの無い物ねだりか。そのどちらかだろうな、とカナードは心の中で呟く。
 自分が好きになった相手が、無条件で自分と同じだけの気持ちを返してくれるなんて幻想でしかない。
 同じくらいの気持ちを返して欲しいなら、それだけの努力をしなければいけないのだ。
 自分たちだって、キラに『好きだ』と言って貰うために影であれこれ努力をしているのだぞ、とカナードは心の中で付け加えた。シンとレイは二人セットでキラを守るための技術を自分に学んでいる。そして、自分にしても自分の技量を高めるために努力を惜しんでいないという自負があるのだ。
 そんな自分たちの積み重ねをキラも知っている。
 だから、彼女はどんなささやかな成長でも満面の笑顔で「凄い」と言ってくれるのだろう。
 同じような経験は、幼い頃のアスランもしている。それを忘れられないからこそ、彼は今も求めるのだろうか。
 しかし、それは認められない、とカナードは考えている。
 あの男が自分がキラからの称賛を受けるために何をしたのか。そう考えれば、今でも怒りがわいてくる。その原因は、キラを孤立させたことだけではない。そのために周囲の者達に何をしてきたのかをも含めて、だ。
 キラはもちろん、アスランも知らないだろう。
 月にいた頃のクラスメート達がこっそりと自分に謝りに来たことを、だ。
 その時に、彼等はどうしてキラから離れなければいけなかったのを教えてくれた。その理由は納得できたし、そうし向けた辛辣な方法にもあきれたと言っていい。だから、こっそりとレノアにも連絡を取ったのだ。
 しかし、ある意味あのあからさまな言動を見ていれば、キラだって気が付くに決まっている。
 そこまであの子は鈍くない。
 だが、それを認めたくなかったのも、また、アスランなのだ。
「実際に、必要としていないのではないの? 今まで連絡がなかったことが、その証拠だわ」
 その後に何か言葉を続けようとして、レノアが飲み込んだのがわかる。
「それに、私たちが知っているキラちゃんは、今はどこにもいないのよ」
 四年前、あの子は両親とともに死んでしまったのだから……と彼女ははき出すように告げた。
「何をおっしゃるんですか、母上! キラは、今ここにいます」
 彼女が《キラ》以外の何者だというのか、とアスランは叫ぶ。
「第一、彼女がキラでないというのであれば、どうしてカナードが一緒にいるんですか!」
 彼がキラ以外を守るはずがない。そうも付け加えられた言葉に、カナードは小さく舌打ちをした。まさか自分の存在がアスランの確信を深めさせることになっていたとは思ってもいなかったのだ。
 だが《ザラ》の力をもってすればそのくらいの情報は簡単に集められるのだろう。
 幸か不幸か、自分はMSの基礎OSの開発者と言うことになっているし。名前だけは知られているはずだ。
 そんなアスランに、どうすればキラのことを諦めさせられるのか。
 やっぱり、キラとレイを連れてさっさとどこかに逃げ出すのがいいのかな……とそんなことも考える。ラウやギルバートは立場上難しいだろうし、レイにしても二人から離れたがらないのではないか。そう思っての判断だ。
「彼が側にいようといまいと……私たちの知っている《キラ・ヤマト》はもう、いないの」
 キラの心の中から、月にいた頃のことはもちろん、その後のこともかなり失われているのだから……とレノアは口にする。
 その中に、アスランの存在も含まれているのだ、とも。
「キラちゃんを診察している医師に確認してきたわ。その時のことを無理に思い出させるようなことをすれば、彼女の心だけではなく命すらも危険な状況に陥るかもしれないそうよ」
 それでも、アスランはキラに自分のことを思い出させたいのか。
 だとするならば、それはただのワガママでしかない。
 レノアはきっぱりとこう言い切る。
「それならば、どうしてこいつらはいいんですか!」
 こう言いながら、アスランはレイを指さす。
 その瞬間、カナードは『やっぱりバカだ、こいつは』と心の中で呟いてしまう。
 アスランと自分達を同列で扱えるわけがない。
 そもそも、前提が違うだろう。
 自分たちにとって最優先なのは《キラ》だ。それは、身内であるカナード達だけではなく、本当のところ、何の関係もないシンやギルバートも同じなのだ。だからこそ、自分たちはシンにキラを預けても構わないと判断したのだし、とそう付け加える。
 しかし、アスランは違う。
 アスランにとって、最優先すべきなのは、あくまでも自分の存在だけだ。キラは、そんな自分を無条件で称賛してくれるための存在。それでは、キラでなくてもいいだろう。そうも思える。
「レイ君は、キラちゃんの身内。ラクスさんは大切な友達。他の人たちもそうだわ」
 アスランとはまったく違う、とレノアは彼の言葉を一刀両断に切り捨てる。
「何よりも、そこにいる皆さんは、キラちゃんの過去なんてどうでもいいのよ? 今ここにいるキラちゃんが大切なのだもの」
 だから、忘れていることがあっても気にしない。そうでしょう? とレノアがレイとラクスに問いかけた。それに二人が頷いて見せる。
「でも、貴方は違う。昔のキラちゃんをどうしても取り戻したいと思う。だから、ダメなの」
 その違いがわからない以上、絶対にキラに会わせるわけにはいかない。そうも彼女は付け加えた。
「貴方が、こちらで一人でも《友人》を探そうとしていればよかったのよ。中には《ザラ》の名を気にしない人もいたはずだわ。でも、貴方はそうしなかった」
 キラを絶対視していて、他の者達と触れあおうとしなかった。それがどれだけ馬鹿な行動だったのか、理解しようともしなかっただろう。そう付け加える。
「ともかく、保護者として、貴方がキラちゃんに接触することは禁止します。お父様にも、そのことは理解して頂きました」
 にっこり笑って、レノアはさらにアスランにとどめを刺す。
「お父様のお仕事のこともありますから、貴方は、アカデミーを受験するように。合格するまでは、公式行事以外は外出を禁止しますからね」
 そこまでするか。あまりに見事な判断に、カナードですら関心をしてしまう。
「母上!」
「貴方に拒否権はありませんから」
 今、プラントにとって見ればアスランよりも、キラやカナード、そしてラウの方が重要なのだ。だから、彼女たちを失うわけにはいかない。おそらく、そういってパトリックを説得したのだろうな、と思う。
「そうね。貴方が他に《親友》と呼べる人間を作れたら、ラクスさんにキラちゃんと会わせてもいいかどうかを判断して貰いましょう」
 それとクルーゼ隊長か……と彼女は笑った。
 はっきり言って、それは一番、難関ではないだろうか。
 だが、自分としては賛成だ。そうも思うカナードだった。