そのころ、キラは珍しくキッチンであれこれ悪戦苦闘をしていた。その様子をシンははらはらしながら見つめている。
「……キラ……」
 はっきり言って、手を出したい。いや、それよりも自分がやりたいと思ってしまうのはキラの手つきがおぼつかないからだろう。
「キーボードを叩くときは、あんなに滑らかに動くのに」
 それ以外のこととなると、時々ものすごくぎこちなくなってしまうのはどうしてなのだろうか。そんなことも考えてしまう。
「お嬢様。殻の中に黄身だけを移動させるようになさればいいのですよ」
 そんな彼女に、メイド頭が優しくこつを教えている。
「こう?」
「そうでございます」
 そうすれば、キラはまだぎこちないもののきちんと黄身と白身を分離させていく。少しこつを教えればすぐに飲み込むキラに、普段は厳しい態度のメイド頭も柔らかな笑顔を向けている。
「これでいい?」
「えぇ。それではこちらはメレンゲにしてしまいましょう。卵の黄身の方はパイに使いますから、後で」
 しかし、いきなりどうしてこんな話になったのか。
 カナードですら、キラの話を聞いた瞬間、顔色を変えて止めようとしたのだ。でも、あのラクスも手作りのお菓子を持ってくるという話を聞いては諦めるしかなかったらしい。それで、彼女とシンにお目付役に付けることで妥協したらしい。
「あの人がいれば、絶対に自分で手を出すんだよな」
 だから、さっさとレイと何かを話しに行ったのか。
 でも、それは正解だったよな……とシンは心の中で呟く。自分でさえ手を出したくてうずうずしているのだ。カナードであればなおさらだろう。
「……このくらいでいいの?」
「もう少し堅くした方がよろしいですよ。こう持ち上げて、立ち上がるようになったら大丈夫です」
 しかし、ラクスに料理なんてできるのだろうか。それを言うならルナマリアも似たようなものだろうが。それでもメイリンはそれなりにできるようだから、あるいは、とも思う。
「まぁ、キラが作ったのは俺が責任を持って食べるけどな」
 どんな味になろうとも、だ。
 もっとも、レイもいるから半分は取り上げられるのだろうか。
 レイが相手ではしかたがないんだろうな、とそうも思う。不思議と、彼が相手ではキラが何をしようと嫉妬心すらわいてこない。レイだから、の一言で納得できてしまうのだ。
 もっとも、相手も同じような気持ちでいてくれていることはわかっている。
「そうですわ、キラ様。最初の三分の一は気泡がつぶれてもよろしいのです。ですから、ざっくりと混ぜてくださいませ」
 どうやら、最悪のできにはならないようだ。
 二人の姿を後ろから眺めながらシンはそう判断をする。
 こうなってくると、カナード達が何を話しているか気になり出す。おそらく、キラには聞かせたくない話なのだろう。そして、自分にも知らせたくない話なのか。
 自分が知らない方がキラを傷つけないというのであれば聞かなくてもいいのか、と考えていることが事実だ。それでも、気にかかるんだよな、とも。
「後は型に入れてオーブンに入れましょう。そうしたら、パイの方の仕上げにかかりましょう」
 そんなシンの目の前で楽しそうな二人の姿があった。

『レノア様にはカナード兄さんから連絡をする、と言うことですので……取りあえず、俺はラクスさまにと』
 御邪魔をしてしまったら申し訳ありません。モニターの先で、レイはこう言って肩をすくめてみせる。
「いいえ。教えてくださってありがとうございます」
 事前にわかっていれば、こちらでも対処のしようがある。そういってラクスは微笑む。
「ですが……アスランがこの事実を知った場合、何をするかわからないという意見には私も賛成です」
 彼にとっては、絶対に認めたくない現実だろう……と付け加えた。
『ラクス様?』
 何かありましたか? とレイが問いかけてくる。
「まだ何かがあったというわけではありませんわ。ただ、注意をするに越したことがないかと」
 困ったことに、明日の事をアスランに知られてしまったのだ。それをしたのが、クライン家のメイドだと言うことが腹立たしい。決して、アスランには知られないようにしていたというのに、とそうも思う。
「私の落ち度ですわ」
 一応、明日、彼には予定があるらしい。
 だが、あれだけ《キラ》に執着をしている彼だ。彼女に実際に会えるという可能性がある機会を逃すだろうか。
『ですが、キラさんが楽しみにしている以上、中止にはできません』
 今も楽しげに明日の準備をしているし……とレイはため息をつく。
「私も、ですわ」
 ようやくもぎ取ったオフなのだ。それを友人達と楽しく過ごそうとしていたのに、とラクスは眉を寄せる。それを邪魔しに来る相手は誰であろうともたたきのめしてやりたいとまで思ってしまった。
「そちらに関しても、私の方で手を打ちます」
 クライン家が個人的に所有している場所だから、アスランと言えどもそう簡単に入っては来られないだろう。
 ただ、先日の一件がある。
 ギルバートの仕事場もらうの仕事場も、普通であれば不審者が侵入できない場所なのだ。それなのに、誰にも知られることなく侵入したあげく、その場にあった端末を破壊できるなど、常識では考えられない。
 しかし、それを実行に移せるものがアスランの傍にいる。
「それに、レノア様に連絡して頂いているならば、あちらでも手を打ってくださるはず」
 自分たちはそれを期待するしかないのではないか。ラクスはそう思う。
「ともかく、明日のことは計画通りに実行致しましょう」
 ですから、レイもそのつもりで行動をして欲しい……と微笑む。
『わかりました。取りあえず、キラさんの努力を無駄にしない方向で。一応、こちらも一緒に行くメンバーには根回しをしておきます』
 それだけでも状況は変わってくるだろう。レイはそう告げる。
「そちらに関してはお願い致しますわ」
 ラクスはこう言って微笑み返す。だが、その脳裏では、あれこれ取るべき対策が検討されていた。