「ギルバート・デュランダル」 書類を携えて廊下を歩いていたときだ。不意に名前を呼ばれ、ギルバートは足を止める。 「ザラ閣下。何のご用でしょうか」 そして、視線を向けながらこう問いかけた。 「書類でしたら、先ほど、補佐官の方にお渡しして参りましたが?」 さらにこう付け加える。 「いや、それではなく……私的なことなのだがな……時間をもらえないか?」 この言葉に、ギルバートは考え込むような表情を作った。 彼の意図がわからなかったのではない。まさか、彼が父親までも動かすとは思わなかった……と思ったのだ。 もちろん、可能性としてはもう一つあるが、それならば自分ではなくラウを通してくるだろう。だから、そちらの可能性は低いのではないか。そう判断をした。 「申し訳ありませんが……至急、こちらのデーターをまとめなければいけないのですが」 すぐに戻りたいのだが、と言外に付け加える。 「私の方の用事はすぐに済む」 しかし、権力を持っているものの傲慢さとでもいうべき態度で彼はこう言い返してきた。ならば、最初から『時間をもらえないか』などと聞いてくるな、とそう思う。 「では、どうぞ」 さっさと終わらせろ、とは口にしない。それでも、そんな気持ちだと言うことは事実だ。 「君のところで世話をしている子供のことなのだが……息子が是非とも紹介をして欲しいと言っていてな。親が出るべきではないとは思うのだが」 ならば、出てくるな! とギルバートは心の中で吐き捨てる。しかし、それを表情に出すようなことはしない。 「……うちの子供達と言いますと、まだ成人していない子供でも男の子が二人と女の子が一人おりますが?」 誰ですか、とギルバートは口にする。もっとも、女の子と言われた瞬間、即座に却下するつもりではあった。 「ラクス嬢と友人だというのは女の子のことなのかな? 婚約者の友人と会ってみたい……と言うのがあれの言葉なのだが」 やはり、と思う。 事前にラクスから忠告を受けておいてよかった、とも心の中で呟いた。 「残念ですが……あの子は、身内以外の男性だとどうしても身構えてしまうので。それですから、引き取る前から婚約者という立場にあった少年も一緒にいるのですが」 キラがどのような事情で自分の元に引き取られたか。それは、周知の事実である以上、隠すつもりはない。 「私も、最初は避けられていたくらいです。ですので、ご希望に添えないか、と思います」 紹介をしようとしても、本人が会いたがらないだろう……とギルバートは付け加えた。 「幼い頃の体験でPTSDを発症しています。現在、カウンセリングのおかげで取りあえず外出は可能になってきましたが……それでも、まだ、見知らぬ男性と話をするのはかなりのストレスとなるようです」 カウンセラーにもそれは避けるようにとの指示を受けている、とさらに言葉を重ねる。 「そうなのか?」 「はい」 だから、許可を出すつもりはない。言外にそう告げればパトリックは眉間にしわを寄せている。 「お話はそれだけでしょうか」 ともかく、少しでも早く話を切り上げたい。そう考えて、ギルバートは彼にこう問いかけた。強引にこの場を立ち去らないのは、相手の役職を考えてのことでもある。 「困ったな……さて、どうしたものか」 しかし、パトリックの口から出たのはこんな呟きだ。この男をここまで困らせているとは、いったい何をやらかしたんだ……とそうも考えてしまう。だからといって、それを問いかけるわけにはいかないだろう。 何とかして、この場から逃げ出せないだろうか。 本気で彼がそんなことを考え始めたときである。 「ギルバート!」 まるでタイミングを合わせたかのように同僚の声が耳に届いた。 「……ザラ閣下! 申し訳ありません」 しかし、パトリックの姿を見た瞬間、彼の動きは止まる。 「いや、かまわん。彼に用事なのだろう?」 自分の方は急ぎではないから、先に済ませろ……と鷹揚な口調で彼はこういう。しかし、それはあくまでも権力者としてのそれだ。 「では、失礼をして」 だが、今はそれを気にしている場合ではないだろう。 「君の家から連絡があったのだが……確か、お嬢さんを引き取って世話をしているのだったかな?」 いったい何が、とその言葉にギルバートは表情を曇らせる。カナードはもちろん、あの三人も自分の仕事の重要さをよく理解している。だから、自分の仕事中に連絡を入れてくるはずがない。 しかも、キラが関係しているのか……と考えた瞬間、表情が強ばった。 「あぁ。あの子がどうかしたのかな?」 それでも何とか言葉を絞り出す。 「何やら、倒れたらしい……できればでかまわないが、帰ってきて欲しいそうだよ」 パニックを起こしているようだ、とも彼は付け加える。 「あの子が?」 どうして自分なのか……とギルバートは思う。 「わかった……と言いたいところだが、まだ仕事が終わってないのだよ」 「それに関しては、俺たちが手分けをするって。子供の方が優先だろう?」 コーディネイターは次世代を生み出す力が弱い。そのせいで、子供の数が減っている。だからというわけではないだろうが、他人の子供であろうともかわいがるものが多いことはわかっていた。しかし、評議会の面々までそうだったとは気付かなかったな……とギルバートは心の中で呟く。 「もちろん、君でなければならない仕事に関しては無理だが……雑務だけならば何とかなる。大人がいないことで不安を感じているなら、早くかえってやった方がいい」 明日からの残業は覚悟してな……とからかい混じりに付け加えられてはどこまで彼等が本気なのかがわからない。 「ありがとう、と言っておくよ」 まずは、キラにいったい何が起こったのか。それを確認する方が先決だ。 ギルバートはそう判断をする。 「ザラ閣下……このような状況ですので、失礼をさせて頂いてかまわないでしょうか」 それでも、一応こう問いかけた。 「しかたがあるまい」 流石に子供本人がパニックを起こしていると聞かされては彼としてもこれ以上ギルバートを拘束しておくことはできない。そう考えたらしい。静かに頷いてみせる。 「では、これで」 言葉とともに、頭を下げた。そして、同僚へと視線を向ける。 「ついでに、車を呼んでおいてやったぞ」 感謝しろという彼の言葉に、ギルバートは苦笑を浮かべてみせた。 |