しつこい。
 ラクスは心の中でこうはき出す。それでも、そんなことは表情に出さなかった。
「申し訳ありません、アスラン。その日は、既に先約がありますの」
 ふわりと優しい微笑みとともにこう言い返す。
『そちらは、断れませんか?』
 その声に微かな苛立ちを感じる。もちろん、その理由もわかった。だからといって、自分が従わなければない理由はないだろう。
「えぇ。大切なお友達の誕生日ですもの。この日でなければ意味がありませんわ」
 年に一度しかないのだ。それも、自分の都合で本来の誕生日から遅れてしまっている。だから、今度の機会を逃したくない。というよりも、キラをがっかりさせたくないと言った方がいいのか。
「確かに、私と貴方は婚約しました。ですが、まだ、正式にお披露目していないではありませんか。ですから、今はまだ、お友達を優先したいと思いますの」
 にっこりと微笑みながらラクスはさらに言葉を重ねる。
『……それほど、お友達が大切だと?』
 微かに声のトーンが低くなった。
「えぇ。婚約者は国が探してくださいますけど、友達は自分自身で見つけて仲良くなってもらわなければいけませんもの」
 誕生日のお祝いをしたいとまで思う相手なら、どれだけ大切なのかを察して欲しい……とラクスはさらに笑みを深めた。
「私、その日はその方のために歌うと約束しましたわ」
 さらにこうも付け加える。その瞬間、アスランの表情が微かに変わった。
 ラクスが誰かのためだけに歌う。
 その重さの意味が彼にもわかっているようだ。
「ですから、どうしてもその日だけは他の予定を入れたくありませんの。ご理解頂けませんか?」
 それでもごねるようであれば、どうしてくれようか……と心の中だけで呟く。
『しかたが、ありませんね』
 ため息とともにアスランはこうはき出す。
『ですが、貴方にとってそれほど大切なご友人なら、是非とも紹介して頂きたいのですが』
 そうくるか。
 こんな言葉遣いは、間違いなくシンの影響だろうか。
 しかし、このような状況で一番しっくり来る表現だろう、とラクスは思う。
「いずれ……私たちの関係が正式に決まりましたら、彼女に問いかけてみますわ」
 そのころまでであれば、あの二人の絆はもっと強いものになっているはずだ。てっきり、レイもキラを……と思っていたのだが、彼はシンにその立場を明け渡して自分は別のポジションに収まるつもりらしい。ならば、自分はそんな彼の決断を受け入れて、あの二人を応援しよう。そう考えている。
「ただ、彼女は思いきり人見知りなさいますの。断られても怒らないでくださいませ」
 自分も友達になるまでかなりの時間を要したのだ……とラクスは付け加えた。
「貴方は私の婚約者ですが、彼女の友人ではありませんもの」
 その程度の事はきちんと理解をして欲しい、ともラクスは言外に告げる。
『女性では無理強いできませんね』
 こうは言うものの、彼の瞳がその言葉を裏切っていた。あるいは、何か別の手段をとって割り込んでこようとするのではないか。
「ご理解頂けて幸いですわ」
 だが、そんな気持ちは決して表情には出さない。
「次の機会には、必ずご一緒させて頂きます」
 代わりにこの言葉を口にした。そして、そのまま通話を終わらせる。
「……デュランダル様に連絡をしなければいけませんわね」
 間違いなく、アスランは自分が告げた友達が《キラ》だと気付いているはず。もっとも、ラクスの友人である《キラ》とアスランが探している《キラ》が同一人物だと言う確証は持っていないはずだ。
 だが、そうではないかという疑念は持っているだろう。
 あるいは、どこからか彼女の写真を手に入れたのかもしれない。
「今のところ、キラの性別が彼女の隠れ蓑になってくれているとは思いますが……」
 それでも、実際に顔を合わせてしまえばそれはすぐにはがれてしまうに決まっている。
 だから、何が何でも合わせるわけにはいかないのだ。
 せめて、キラとシンの絆が何があっても切れない程度になるまでは、である。
「恐い方ですわね、アスラン・ザラ」
 ただ一人にそこまで執着をするか。そういいたくなる。彼の態度は、ある意味病的だと言ってもいいかもしれない。
 アスランに傷つけられながらも、少しずつ自分の世界を広げていこうとするキラの方がよほど健康だ。
 もし、アスランがキラをあそこまで追いつめていなければ、もっともっと、彼女の側には人が集まっていただろう。その力は、自分のそれよりも強かったのではないか。
「ですから、もう二度と貴方をキラに近づけさせたくありませんの」
 せっかく彼女が取り戻した彼女自身の輝きを奪わせないためにも。ラクスは背筋を伸ばすと、ゆっくりと歩き出す。
 その表情からは先ほどまでの柔らかさは完全に払拭されていた。

「レイ……大丈夫?」
 こう言いながら、キラはそうっとレイの額に手を当てる。
「……大丈夫です……」
 だが、彼はこう言ってくる。その事実に、キラは微かに眉を寄せた。
「やっぱり、熱があるよ。大丈夫じゃないと思う」
 薬を飲んで寝た方がいい、とさらに言葉を重ねる。
「キラさん……」
「不安なら、側にいてあげるから……ね?」
 大丈夫、と微笑めばレイは困ったように首をかしげた。
「それとも……寝たくない理由があるの?」
 ひょっとして、ギルバートか誰かに用事があるのだろうか。そんな風にも思う。
「……それは、ないです……」
 でも、と彼は何かを口にしようとした。
「今日ぐらい、練習を休んでもいいよ。それよりも、無理をして当日倒れる方が問題じゃないかな?」
 最高の演奏をしてくれようとしているのはわかっているけど、だからといって、無理をして欲しくない……と言外に付け加える。それよりもレイが元気でいてくれる方が嬉しいとも。
「キラさん……俺は……」
「お願い」
 ね、とキラはレイの言葉を封じる。
「……シンに、恨まれます」
 だが、何故かレイはこんなセリフを口にした。
「どうして、シンが関係あるの?」
 その言葉の意味がわからない、とキラは聞き返す。
「家族の心配をしてどうしていけないの?」
 シンだって、そのくらいはわかってくれるよ。だから、何も心配はいらない……と微笑む。
「だよね、シン」
「あったり前だろう? あぁ、カナードさん、呼んできたから」
 後は、レイをベッドに連れて行くだけだ……とシンは付け加えた。その言葉に、キラはさらに笑みを深める。
「ありがとう、シン。ほら、レイ!」
 ここまで用意周到に追いつめられれば、彼だってもう逆らえないとわかったのだろう。キラの言葉に今度は素直に頷いてみせる。そのまま彼は立ち上がろうとした。しかし、熱のせいかその体が大きくふらついてしまう。
「シン、手伝って」
 それに、キラはこう声をかけた。
「無理をするなよ。俺一人じゃ、キラのフォローは難しいんだから」
 苦笑とともに、シンはこう言うと彼の体を反対側から支える。
「酷いな、それ」
「……わかった」
 キラが抗議をするよりも早く、レイが頷く。その事実に、キラの頬がぷっくりと不切れたのは事実だった。