「寝坊、した!」
 慌てて階段を駆け下りる。このままでは朝食の準備が間に合わないのではないか。いや、作る時間はあっても食べている時間はないかもしれない。
 そんなことを考えながらキッチンに駆け込む。
「……えっ?」
 しかし、何故かそこにはカナードがいた。しかも、手元にはフライパンがある。
「おそよう」
 キラの気配に気が付いたのだろう。彼は振り向くとこう言って笑った。
「すぐに朝飯だ。座っていろ」
 その言葉に、キラはどう反応していいのかわからない。
「朝ご飯の当番は……」
 ともかく、何かを言わなければいけないだろう。そう思って口を開きかける。
「気にするな」
 しかし、それをせいするように彼は笑みを深めた。
「仕事の関係で眠れなくてな。気分転換に飯の支度をしていただけだ」
 キラが出かけたら、一眠りするさ……と彼はさらに続ける。
「大丈夫なの?」
 そんなに大変な仕事なのか、とキラは問いかけてしまった。
「あぁ、大丈夫だ。ちょっと長期の仕事だからな。きちんと下準備をしようと思ったら眠り損なっただけだ」
 何せ、もう一人はアテにならないから……と彼は続ける。
「ムウ兄さんも、一緒なの?」
 と言うことは、二人にしばらく会えなくなるのか……とキラは少しだけ表情を曇らせた。そのようなことは、今までにだって何度もあったし、仕事である以上、しかたがないと言うこともわかっている。
 それでも感情面で納得できないのだ。
「何。移動期間が長いだけだ。仕事そのものは簡単だよ」
 危険なことはない。この言葉とともにカナードの手がキラの頭の上にのせられる。
「だから安心しろ……と言っても、俺の方は今ひとつ安心できないが」
 それはどうしてだろうか。確かに、兄たちから見たら自分は不甲斐ないかもしれないけれど、とキラは首をかしげた。
「早く食べて家を出ないと、遅刻するぞ」
 しかし、彼のこのセリフで意識が現実に戻る。
「やだ! 今日は、実験だったんだ!」
 遅刻するわけにはいかないんだった、とキラは慌て出す。
「だから、座っていろ。今、持っていってやる」
 苦笑と共に彼はこういった。
「カナード兄さん」
「ラウに『きちんと登校させる』と言った以上、遅刻なんてさせたら俺が怒られる」
 だから、言うことを聞け。そういわれては、反論なんてできない。
「うん……ありがとう」
 何よりも、彼の手料理を食べるのは久々だ。そう思いながら、素直にキッチンの隅にあるダイニングテーブルに腰を下ろす。
「……そういえば……」
 そんなキラの視線の前でカナードが綺麗に焼き上がったオムレツをお皿に移している。
「どうして、ムウ兄さんだけが、あんなに壊滅的なんだろう……」
 料理の才能、と首をかしげながら呟く。
「だから、だ」
 まともなものを食べたければ、自分たちが普通に作れるようにならなければいけなかった。それだけだ、とカナードは苦笑を浮かべる。
「それに……俺たちが料理を身につけなければ、お前がとんでもないことになりかねなかったからな」
 お皿をキラの前に置きながら、カナードは苦笑を深める。
「覚えてないだろうが、お前は、ムウの作った食事を絶対に口にしなかったんだよ」
 そのせいで、栄養不良になりかけたからな……と彼は続けた。
「そう、だった?」
 子供の頃の記憶が所々抜けているから、言われても実感がない。
「そうだ。だから、しょっちゅう入院だのなんだのと言う騒ぎになって、な。あぁ、お前の記憶が怪しいのはそのせいだ」
 気にするな、とカナードは口にしながら、最後にコーヒーが入ったカップをキラの前に置く。そして、自分の分を持って向かい側に座った。
「そうなんだ」
 でも、とキラは心の中で付け加える。
「あの人の料理の味を覚えてない方が幸せだぞ。本当に、とんでもない代物だった」
 頼むから、余計なトッピングをつけないでくれ、と何度言ったことか……と本気で嫌そうな表情で彼は続けた。
「……どんなの、だったの?」
 おそるおそる聞いてみる。
「食欲がなくなるから、聞くのはやめておけ」
 と言っても、ダメなんだろうな……とカナードはため息をつく。
「一番インパクトが少ない例を挙げれば、めだまやきにメープルシロップか?」
 それでインパクトがないって……と思わず目を丸くする。
「……確かに、聞かない方がいいみたい」
 少なくとも味覚は普通のはずなのに、と心の中でため息をつく。
「それが懸命だ」
 カナードの言葉に妙に力がこもっていたのは錯覚ではないはず。しかし、その理由を問いかける気力も時間も、既にキラにはなかった。