シンがあれこれ話しかけてくれている。
 それは認識できているのだが、何と言っているのか、理解できない。いや、彼の言葉自体が、右から左へと抜けて行ってしまうのだ。
 今までこんなことはなかったのに。
 どうして……と考えようとしても、その疑問すらすぐに霧散してしまう。
「……キラさん……」
 流石に、そんな自分を不審に思ったのだろうか。
 シンがゆっくりと歩み寄ってくる。そして、キラの顔をのぞき込んできた。
「……シン、くん……」
 彼が誰であるか、まだ判断できる。
 しかし、彼の顔を見ても安心できないのはどうしてなのか。自分を心配してくれているのはわかるのに。
 そんな自分が嫌だ、とキラは心の中で呟く。
「眠いなら、寝てしまった方がいいですよ?」
 彼はそんなキラの様子を眠気のせいだと判断したのだろう。こう言ってきた。
「ううん……大丈夫」
 それに、言葉を返すことが出来てキラはほっとする。
 まだ、何とか周囲とのコミュニケーションをとることが出来るようだ。
 しかし、それが出来なくなったら、どうなるのだろうか。
 そういえば、以前にも同じようなことがあった。それは《彼等》と離れ離れになった時期だったように記憶している。
 あの時のことを、キラははっきりとは覚えていないのだ。
 それ以前、自分の実母が亡くなったときのことも覚えてはいない。その時よりも幼い頃の記憶はあるのに、である。
 ショックが大きすぎたせいだ。
 だから、心が壊れないようにその時の記憶を隠してしまったのだ。
 兄たちはそう教えてくれた。しかし、それが本当に正しいのかどうかはわからない。
 しかし、それからいつでも兄たちのだれか――主にラウだが――が側にいてくれるようになった。間違いなく、それはキラの言葉を重大な内容だと考えているからだろう。
 でも、それはどうしてなのだろうか。
 自分が忘れていることの中に、その理由は隠されているのだろう。
 しかし、それを思い出すのは怖い。
 その時のことを考えるだけで総毛立ってしまうのだ。
 今も、反射的に自分の体を抱きしめてしまった。
「キラさん? 寒いんですか?」
 シンがすぐに問いかけてくる。しかし、何と説明をすればいいのか、わからない。せめて否定の意だけは伝えておきたいと、首を横に振ってみせる。
「なら、どうしたんですか?」
 教えてください、と彼は続けた。
 しかし、どうしても言葉が出てこないのだ。
 だから、ひたすら首を横に振っている。そんな自分が、壊れたおもちゃのように感じられたのは否定できない事実だ。
「キラさん……」
 それよりも、シンに心配をかけているのに、それについて説明できないのが辛い。
「どうしよう……ラウさんがいないのに……」
 彼がいてくれれば、きっと、適切な対応をとってくれるだろう。
 いや、それ以前に、キラがこんな風に不安を感じることはないのではないか。彼はそうも続けた。
「……きっと、すぐにラウさんが帰ってきますから」
 言葉とともに、シンはそっとキラの手に自分のそれを重ねてくる。
「それまでは、俺で我慢していてください」
 こんなことしか、自分には出来ないが……と彼は続けた。
「……シン、くん……」
 触れあった場所から伝わってくる温もりのおかげで、自分の体温がどれだけ下がっているのかがわかってしまう。しかし、それが余計に彼に心配をかけているのではないか……とも考えてしまう。
「大丈夫ですよ」
 だから、安心して……とシンは繰り返す。
「……何があっても、俺もキラさんの味方ですから」
 さらにこう付け加えた。
「ラウさんは言うまでもないですし……レイも、きっと、味方してくれます」
 もっとも、レイはデュランダルさんも好きだから……と口にしながら、シンは首をかしげる。
「でも、今回のことは、レイも怒っているから、大丈夫ですよ」
 絶対に味方をしてくれます。こう言っているのは、自分の気持ちを少しでも和らげようとしてのことか。
「……うん……」
 何とか、言葉を絞り出すことが出来た。それでも、まだまだ普段の自分ではない。
 本当に、どうしたのだろうか。このままでは、また、シンに迷惑をかけてしまうだろう。
 だから、早くラウが帰ってきてくれればいい。そうすれば、きっとましになるはずだから。
 そう考えてしまうのは、シンに対して失礼なのかもしれない。それでも、やはりラウが側にいてくれるのが一番安心できる、というのは否定できな事実だ。
「……兄さん達に、会いたい……」
 ぽつり、と呟いた言葉が自分の本音なのだろう。
 しかし、それが叶えられるのかどうか。キラ自身にはわからなかった。