ようやく落ち着いたのか。
 キラはシンに「ソファーに移動をしよう」と告げる。そこで話をするからとも。
 もちろんその間も、シンはキラの体を自分の腕の中から解放しない。むしろ、さらにしっかりと抱きしめようとした。そのせいで、ソファーに腰を下ろしたときにはシンの膝の上にキラは座るような形になってしまった。
 その状況が安心できるのかもしれない。キラはぽつぽつと言葉を口にし始めた。
「……彼女――フレイは、ヘリオポリスで、顔見知り程度の女の子だったんだ。あの日、ザフトが攻撃をしてくるまでは」
 平穏な生活を奪ったのはザフト。そして、ザフトの人間はコーディネイター。  元々、ブルーコスモスに近い場所にいた父親の影響でコーディネイターに悪感情を持っていた彼女は、その一件で全てのコーディネイターに憎悪を抱くようになったのだ、とか。
 それが明確になったのが、目の前で父親を殺されたからだとキラは付け加える。
 その感情には共感できるな……とキラの体を抱きしめながらシンは心の中で呟く。目の前で家族を殺された痛みと怒りがどれだけ深いものかは自分がよく知っていた。
「でも、自分には戦う力はない。そして……アークエンジェルには僕がいた」
 戦う力を持ったコーディネイターが、とキラは眉を寄せる。
 だから、彼女の憎悪は自分に向けられたのだ、と。しかし、それは直接目に見える形ではなかった。むしろ、他人が見ている前では恋人に向けるように優しかったのだ、ともキラは続ける。
「気が付いたら、僕たちは孤立していたんだ。もちろん、ムウさんやミリィや……今はいないけどトールは心配してくれたけど……僕は、それよりも彼女のぬくもりを選んでしまった」
 アスランのことも含めていろいろとあったせいで、直接的な優しさにすがってしまったのだ……とキラは自嘲の笑みとともに告げる。
 そして、フレイも……目の前の憎しみだけに捕らわれていたのだ、と。
「僕たちは、最初から間違っていたんだ」
 悲しみや寂しさに目を曇らせていなかったら、彼女を傷つけずにすんだのかもしれない。
 憎しみと悲しみに目をふさがれていなければ、自分の本当の気持ちに気付いたのかもしれない。
 その事実に気付いたときにはもう、遅かったのだ。
 正しい関係を築き直す前に離れ離れになってしまった。
「そして、僕は彼女を守れなかった……」
 すぐ側にいたのに、手に届くところにいたのに、彼女は殺されてしまったのだ、とキラは唇を噛む。
 そんな彼の様子から、本当に聞き出してよかったのだろうかとシンは思う。キラの中で、その事実はまだ癒えない傷として残っているのではないか。
 それでも、かさぶた程度とはいえ、辛うじてふさがりつつあったのだろう。
 しかし、自分の質問がそれに爪を立ててはがすようなことをしてしまったのではないか。いくらミリアリアやメイリン達に言われたとしても、だ。
 こんなことが償いになるとは思えない。
 そう考えながらも、キラを抱きしめる腕に力をこめる。
「……誰、が ?」
 しかし、何故か唇からはこんなセリフがこぼれ落ちてしまった。
 しまった、と思ったときにはもう遅い。思わず顔をしかめたときだ。
「……ラウ・ル・クルーゼ……」
 小さな声でキラがこう告げる。
「クルーゼ……」
 その名前に、聞き覚えがあった。
 だが、それを思い出すよりも先にしなければならないことがある。
「ごめん、キラさん……無理矢理聞き出して……」
 言いたくなかっただろうに……と付け加えれば、キラは小さく首を横に振って見せた。
「いつかは……言わなきゃないことだから」
 そう思っていたから、いいよ……と彼は淡い笑みを浮かべる。
「もっとも、シン君には幻滅されてしまったかもしれないけど……」
「そんなことない!」
 キラの言葉を、シンは即座に否定した。
「そんなこと言うなら、俺はどうするんだよ!」
 自分の憎しみしか見えなくて、その先に、他の人のそれがあると想像もしたことがなかったのに、とシンは付け加える。自分が取った行動で、どれだけの人が、自分と同じ気持ちを抱くことになるのか考えもしなかった。
 ただ、彼女がかわいそうだった。
 ただ、彼女との約束を守ろうとした。
 それが許される状況なのかどうかも考えずに、だ。
 さらに、そんな自分を利用しようとしていた人間がいたことも事実。もっとも、それに関しては今更文句を言うつもりはない。彼の言葉を嬉しいと思っていた自分がいたことも否定できないからだ。
「俺だって……同じだから」
 ただ、自分は何をすればいいのか見つけられなかったが、キラは自分がしなければいけないことを見つけた。それだけの違いだろう、と思う。
「だから、幻滅なんてしない」
 お願いだから、そんな悲しい表情はしないでくれ……とシンは付け加える。
「シン君」
「俺は、そんなことも全部ひっくるめて、キラさんが好きなんです」
 そんな自分の気持ちを否定しないで欲しい、とシンは呟く。
 不意に頬にキラの手が添えられる。
「本当に君は……」
 そういいながら、キラは微妙な笑みを浮かべた。
「余計なところだけ、僕たちは似ているのかもしれないね」
 正反対のように思われているけど……とそう彼は付け加える。
「キラさんに似ているなら、嬉しいかも」
 それだけでいいや、と微笑む。
「本当に君は……」
 キラは小さなため息を漏らす。しかしその後に続く言葉はシンの耳には届かない。その代わりに、触れるだけとはいえ、初めてキラからキスをしてくれた。