すぐ近くから、キラの寝息が聞こえる。
 それが、思い切り自分の理性を試されることになるとは思っても見なかった。
 こんなことを考えながら、シンは思わず寝返りを打つ。
「……約束したんだから、我慢しないと……」
 ここで下手な行動を取れば、即座に嫌われてしまうだろう。最悪、二度とキラのそばにはいられなくなってしまうのではないか。それだけは、絶対に避けなければいけない、とシンは心の中で繰り返す。
 しかし、だ。
 体の方は勝手に期待をして反応している。
「ったく……」
 正直なのかなんなのか。そう思いながら、シンはそっと寝床を抜け出した。そのまま備え付けのトイレへと駆け込む。
「キラさん、可愛すぎ」
 彼が悪いわけじゃないけど……とシンは壁に背中を預けながら呟く。というよりも、キラが可愛いのはいいんだけど、こう言うときに辛いんだよな……とも。
「ともかく、これ、何とかしておかないと」
 でないと、キラの前で失態をしてしまうことになる……とシンはため息をついた。同じ男だから、笑ってみて見ぬふりをしてくれるかもしれないが、やっぱり嬉しくないなぁ、とも。
「……ごめん、キラさん」
 だからといって、自分をおかずに抜かれるって言うのもいやだろうな。そう思いながらもシンはごそごそとそれを引っ張り出す。
「でも、襲うよりいいよな」
 指を絡めながら、自分に言い聞かせるようにさらに呟きを漏らした。
「……早く、こんなことをしなくてもいい関係に昇格してもらうか、でなきゃ、夜だけでも離れているかしないと、きついぞ」
 そのうち、本当に理性が吹き飛んでとんでもないことをしてしまいかねない。そう思うのだ。
「……んっ……」
 なんて事を考えている間にも、指はどんどん自分を追い上げていく。しかし、どこかむなしい作業だ、ということもわかってはいた。
 それでも、しないわけにはいかないし、キラがいるのに他の誰かとするなんて言うことは言語道断だし……と思うのだ。だから、これで我慢しておくしかないよな、とも。
 もっとも、実際に誰かとそういうことをした経験なんてないことも否定しないが。
「キラさん……」
 呟きとともに手の中に熱いものがはき出される。少し粘ついたそれは、自分のものであるにもかかわらず、すぐに厭わしいものへと変化してしまう。
 もっとも、それはこんな風にむなしい作業の結果だからかもしれない。
 違う状況であれば、あるいは違う感情を抱くのだろうか。
「……手、洗お……」
 ともかく、後始末をして……ついでにキラに気づかれる前に寝床に戻らないと。そう判断をして、シンはさっさと行動を開始する。
 そして、それは成功したはずだったのだが……
「……何で?」
 こういう事になっているのか。
 現在の状況が飲み込めない。
「寝るときは……確か、一人で寝てたぞ……」
 さすがに、この部屋にベッドは一つしかなかったから、それをキラに明け渡して――もちろん、それなりに一悶着あったが、最終的にシンが勝った――自分は後から入れてもらった簡易ベッドに横になったのだ。そして、それは再度寝直したときも同じはず。
「ちゃんと確認したし……」
 今も、自分が眠っているのは間違いなく、簡易ベッドの方だ。
 それなのに、どうして自分の隣にキラがいるのだろうか。
 こっちのベッドにいる、ということは自分が寝ぼけて彼のベッドに潜り込んだ、ということではないと言うことだろう。
 ということは、寝ぼけたのはキラなのか。
 しかも、自分に抱きつくようにして眠っている。これでは、動くこともできない。
「……嬉しいんだけど……きつい……」
 なんて言うか、このまま押し倒してもいいですか。そういいたくなってしまう。だからといって、そんなことできるわけがない、ということもわかっていた。
「キラさん」
 こうなれば、残る方法は一つしかない。そう判断をして、シンは彼に呼びかける。
「起きてください、キラさん」
 朝です、と言いながら、軽く彼の体を揺すった。
「……んっ」
 しかし、キラの寝起きは悪い。いや、悪いなどという言葉では言い表せないような気もするほど凄いと言っていいのではないか。
 当然、この程度で起きてくれるはずがない。
 それがわかっていても何かしていないとますます意識をしてしまいそうで恐いのだ。
「キラさん! お願いですから、起きてくださいってば!」
 半ば必死になりながら、シンは何度も繰り返す。
「……後五分……」
 しかし、キラの方はまだまだ眠りにしがみついていたい状況らしい。こう言って毛布の中に潜り込んでしまう。だけならいいのだが、シンにしがみつく腕にも力をこめてくれるのだ。さらにはっきりと感じられるキラのぬくもりのおかげで、シンは今にも唇から心臓が飛び出しそうだ。
「キラさ〜ん! 起きてくださいよ!! でないと、俺が困るんですってばぁ……」
 半ば泣きそうになりながら、シンはそれでも負けじとこう口にする。
「キラさんってば! もうじき、バルトフェルド隊長との約束の時間になりますよ!」
 ジュール隊長とも連絡を取らないといけない時間です! とさらにこう告げた。
 ようやく、それがキラの意識に警鐘を鳴らしてくれたらしい。
「……もう、そんな時間?」
 そういいながら、キラはゆっくりとまぶたを開ける。それでも、まだ意識は眠りの縁に引っかかっているのか、現在自分がどのような状況にあるのか理解できていないようだ。ぼんやりと周囲を見回している。  不意に、そんなキラの視線がシンの顔を捕らえた。
「……え?」
 そのまま、キラが凍り付く。
「オハヨーゴザイマス、キラさん」
 シンはシンで、微妙な微笑みとともにこう言い返す。
「……えっと、こっちは、シン君の寝台だよね……って言うことは」
 僕が寝ぼけて、潜り込んじゃったのか……とようやく状況を飲み込んだらしいキラが口にする。
「ごめんね、重かったでしょう?」
「いえ、それはいいんですが……」
 それよりも、早めにどいてもらえると嬉しいんですけど……とシンは付け加えた。でないと、個人的に非常にまずい状況になるんですが、とも。
「……個人的に、非常にまずい?」
 意味がわからない、というようにキラは首をひねる。だが、すぐに、言いたいことがわかったらしい。
「ご、ごめんね」
 頬を真っ赤にして慌ててシンの隣からどこうとする。しかし、毛布に引っかかったのか彼はバランスを崩す。
「キラさん!」
 そんなキラを支えようとして、シンは慌てて手を伸ばした。しかし、腕枕をしていた腕はしびれていて、それができない。
「うわっ!」
 結局、キラに引きずられるようにして一緒に床に転げ落ちてしまった。