北極では総士を取り戻すための戦いが続けられている。
 いや、それだけではない。
 人類軍のフェストゥムを殲滅するための戦いもまた繰り広げられていた。
 しかし、一体どれだけの人間が気づいていただろうか。
 フェストゥムたちの戦いが今までのものと変化していることに。それを行っていたのは、とらわれたアルヴィスの頭脳だった。
「部隊を入れ替え、人間の主力をおびき出し……最小限の犠牲で敵を倒す……」
 総士はイドゥンの言われるままに作戦を口にしている。それは、人類軍を屠るためのものだと言っていい。言葉は悪いが、そうだからこそ、総士はまだ現実のものとして目の前の光景を認識できなかったのだろうか。
 もっとも、それは表面上だけだ。
 だが、その心の中では必死に戦っていた。この地にいる、一騎達のために。
 彼等が何を目的にしているのか――その中に自分の救出が含まれているだろうことは想像が付いた。そんなことをしなくてもいいのに……と言いたいが、一騎は耳を貸してくれないだろう――わからないが、それを手助けしてやろう、と思う。
 そのために人類軍がどれだけ損傷を被ろうと関係ない。
 こう考えてしまう自分の心の中の暗がりに、フェストゥムは気づいているだろう。そして、そこを奴らは刺激してくるのだ。
 それでも、今ここで自分が自分であることを手放すわけにはいかない。
「……一騎……」
 総士は無意識のうちに彼の名を呟いていた。

 目の前にある異質な建物。
 それが自分たちの目的地への入り口だと、与えられたデーターが告げている。しかし、人類軍の者達はこれに気づいていないようだ。
「あれが敵の本当の陣地だ……行くぞ」
 一騎の宣言とともに四人は進む。だが、フェストゥムはそんな彼らには目もくれずに人類軍へと向かっていた。
 まるで、誰かの見えない手助けがあるようだ、と思う。その瞬間、一騎の中を一つの面影がよぎった。だが、それを口に出すことはしない。
「突入する!」
 その代わりにこの宣言とともに、壁をぶち破る。そして、そのままマークザインをその中へと侵入させた。他の三人も、当然のようにその後に続く。
 一人ではない、と言うことが、今はありがたい。
 自分一人だけで戦いたいと思っていたこともあったのに、と一騎は思う。
 だが、今考えてみれば、一人と言っても本当は一人ではなかった。すぐ側に総士がいてくれた。それが当然だと思っていたからこそ、そう言えたのかもしれない、と今ならわかる。
 だが、それでも、一騎はもう他の誰も失いたくないと思う。
 そのためには、総士に側にいて欲しい。
 こんなことを考えているうちに、彼等は一番底までたどり着いた。次の瞬間、四人の中に無言の驚愕が広がる。目の前に広がる光景は、一騎達が想像していないものだったのだ。

 いつまで自分は耐えられるだろうか。
 いや、それ以前に自分は本当にここにいるのだろうか。
 いると思っているのは、自分だけで……あるいは自分はもうここにいないのかもしれない。総士はそんなことすら考えてしまう。
「我々の内部にアルヴィスの子らが侵入した。彼らを倒すために何をすればいい?」
 そんな総士の耳に、イドォンの声が再び届いた。
 つまり、彼等は着実に自分に近づいてくれているのだろう。そして、連中は彼等の実力をはかりかねているのか。
 だが、自分はよく知っている。
「連携を分断し、各個に撃破」
 その程度ぐらいで彼等をそう簡単に倒せると思うな……と心の中で呟きながら総士は言葉を口にする。そのときだ。総士の傷に向けて翠の結晶がのびていく。その傷が何であるのか、フェストゥムはようやく気が付いたのだろうか。
「やめろ! その傷に触れるな!」
 今までとはまったく違う、力に満ちた声で総士はこう叫んだ。
「どうすれば、彼らを分断できる?」
 だが、イドォンはそれを気にすることなく淡々とした口調でこう問いかけてくる。
「防衛すると見せかけて、彼らをおびき寄せる」
 苦しい。
 どうしてこんなにフェストゥムは自分を招くのか。果てしない虚無へと……そう思いながらも、総士の口は無理矢理に言葉をつづらされる。それを口にし終わった瞬間、総士の左目をとうとう結晶が覆ってしまう。
 同時に、彼の中で何かがごっそりと抜け落ちてしまった。
「うわぁぁぁっ!」
 その感覚に耐えきれずに、総士は悲鳴を上げる。
 失われたのは、何なのか。
 それでも、一騎との思い出だけはまだ残っている。それだけが総士をかろうじてここにとどめていた。
「犠牲を払って分断」
 だが、フェストゥムはさらに総士に言葉を強要する。
「我々はお前によって戦いを理解した。私がアルヴィスの子らを滅ぼそう。私が学んだ憎しみで」
 それが誰の持っていたものか。
 今ならわかる。
 しかし……と総士が思った瞬間、イドォンの姿がモニターから消えた。
「待て! うわっ……うわぁぁぁぁ!」
 そんなことをするな……と叫びそうになった総士の意識に何かが強引に割り込んでくる。それは間接的ながら記憶にある感覚だ。
 先ほどの喪失感よりも大きな虚無感。
 しかし、その先にあるものは……だが、今それに身をゆだねるわけにはいかない。  一騎、と総士は叫ぼうとした。だが、それは声にならない。それでも、彼の存在が自分をここにつなぎ止めてくれたことだけは事実だった。
 そして、そのことに自分が気づいた瞬間、自分を包み込んでいた虚無が、一瞬動きを変えたことも……それが何故なのか、総士にはおぼろげながらわかったような気がした。

 竜宮島では乙姫をコアに戻すための作業が進められていた。
「乙姫ちゃん、準備は整ったわ」
 千鶴の言葉にうなずき返すと、乙姫は静かに立ち上がる。その瞬間、動きに呼応するかのように金属音が響く。それを気にすることなく、乙姫はゆっくりと歩き出そうとする。そんな彼女の肩に、千鶴がそうっとシーツを掛けてくれたのは女性としての気遣いだろうか。
 軽く彼女に微笑み返すと、千鶴は瞳を潤ませる。だが、それでもやめるわけにはいかないのだ。そう判断をして、乙姫はゆっくりと進む。
「それは?」
 通路へと出れば、芹と里奈、それに史彦が待っていた。
 史彦はただ瞳を揺らすだけだったが、芹と里奈は千鶴の手の中にあるものを見て驚きの声を上げる。
「わたしを岩戸につなぎ、島と同化させるもの」
 だから、重くてもはずせないの……と乙姫は場を盛り上げようとするかのように口にした。そうすれば彼女たちは何を言っていいのかわからない、と言うように顔を見合わせる。
「私たちに持たせてください」
 そして、再び視線を乙姫に向けると、真摯な口調でこう告げた。
 乙姫が自分たちのために選択をしたことだ。
 だから、その手助けをしたい。
 彼女たちの視線がそう告げていた。だが、ある意味これから自分たちが向かう場所はアルヴィスの中でも最重要区間だったはず。いいのか、と言うように乙姫は大人達を見つめる。そうすれば、彼等は静かにうなずいてくれた。

 次々と襲いかかってくるフェストゥム。それに、とうとう四人はバラバラにされてしまった。伝わってくる痛みだけが、お互いの生存を知らせてくれる。この痛みがある限り、まだ誰も死んでいないのだ。その思いだけが一騎達を支えていた。

「生きて帰る! 絶対に!」
 自分のために。
 そして家族のために。
 新しく生まれてくる命のために……と呟きながら、真矢はドラゴントゥースを構え直した。

「前はどこにもいなかった……だが今は、ここにいる!」
 だから、死ねない。
 カノンはきっぱりと言い切る。その脳裏に自分を待っていると言って微笑んでくれた新しい《母》の姿が浮かんでいた。

「死んじゃ駄目なんだ……死んじゃ駄目なんだよ!」  気弱になってはいけない。自分が死ねば、他のみんなの迷惑になる。第一、そんなことが咲良にばれればどうなるか。
 恋する男として、そんな無様なまねをできるか、と剣司は襲いかかってきたフェストゥムをにらみつけた。

「もうすぐだ……もうすぐ、奴らは理解をする……それまで生きて……うわぁぁぁぁ! か、ずき……」
 記憶から、そして肉体から、様々なものが失われていく。
 だが、それでも自分の中から消せないものがある。
 それがどうしてなのか、フェストゥムは直に理解をするだろう。それまで彼等の命があればいい。
 自分はどうなったとしても。
 その気持ちだけで、総士は境界線の上で必死に踏みとどまっていた。

 誰もいない通路をゆっくりと進む乙姫。その足取りが重いのは、体の調子が悪いだけではない、と言うことを彼女は自覚していた。だが、それを後ろにいる四人――その中でも芹と里奈――に気づかれてはいけない。その思いだけで、必死に耐える。
 同時に、兄もまた何かに耐えているのだ……と心のどこかで気づいていた。ならば、彼に負けるわけにはいかない、とも思う。
 そんな彼女を支えてくれていたのは、すぐ後ろにいる友人達のぬくもり。
 後少し。
 後少しだけ……それを感じていたい、と乙姫は心の中で呟いていた。

 合流できないまま戦い続ける四人。そんな彼等を支えているのは、離れていても感じる仲間達の気配だった。
 そして、あるいは合流できるかもしれない、とそう思ったときだ。
 剣司の前にイドォンがあらわれる。
 マークニヒトの強さは圧倒的だ。ただでさえ、期待の性能が違うに、目の前の相手は死ぬことをおそれていないようなのだ。
 それに剣司は一瞬戦うことをあきらめかける。このまま死ねば……と考えたときだ。腕に書かれた島の座標が視界に飛び込んできた。その脳裏に四人で交わした約束がよみがえる。
「俺たちは、みんなで島に帰るんだ!」
 それにきっと、みんなが助けに来てくれる。剣司はそう信じていた。

 そして、それはすぐに現実になった。

 イドォンの驚愕が伝わってくる。その事実に、総士は自分の努力が一つ実ったのだ、と理解をする。
「それが痛みだ! フェストゥム!」
 自分たちが耐えてきたもの。
 そして、それを感じていても戦うことをやめない一騎達が、統括者としての総士の誇りだった、と彼等は気づかないだろう。
「フェストゥム、教えてやる。僕がお前達に教えた戦い方の名を……消耗戦だ! 痛みに耐えて戦う戦法だ!」
 それを理解させるために、自分は奴らの言いなりになったように見せかけたのだ、と総士は叫ぶ。
 そんな彼の胸の中にあるのは、ただ一人の人へ向けられた熱い思い、と言ってもいいかもしれない。
 それに気が付いたのだろうか。
 総士を引きずり込もうとしていた虚無が揺らぐ。
「それが戦いの痛みだ! 存在することの苦しみだ! いなくなることへの恐怖だ! フェストゥム!!」
 さらにそれを押しのけようと、総士は全力で叫んだ。

 目の前にある《岩戸》
 それを確認した瞬間、乙姫はどうしても足を踏み出せなくなってしまった。
「乙姫ちゃん!」
 思わずその場に崩れ落ちた彼女に、皆が驚きの声を上げる。
「わたし、覚悟できていたはずなのに、怖い……怖いよぉ!」
 この瞬間を失いたくない。
 そう考えるのは普通のことだ、と一騎なら言ってくれるだろうか。そして、総士は困ったような表情で自分を見つめるに決まっている。
 そんな時間がもっと欲しかったのだ、と乙姫は今更ながら自覚する。
「あたし…ここにいたい、ここにいたいよおっ…お母さん…!」
 抱かれたこともないのに、自分が助けを求めるのは彼女なのか。そんなことを考えたときだ。
「乙姫ちゃん、ごめんね……ごめんね、乙姫ちゃん」
 こう言いながら抱きしめてくれる優しい腕がある。
 それは、自分が岩戸を出てから何度も抱きしめてくれた腕だ。あるいは、自分にとって《母》のイメージは彼女によって与えられたものなのかもしれない。
 しかし、自分はまだ小さすぎて彼女を抱きしめてやれないのだ。
 だが、と心の中で呟く声がある。
 今の姿でなくなれば、彼女だけではなく大切な人を全て抱きしめてやれるのではないだろうか。
「ありがとう、千鶴。わたし、わかったよ。こんな風に、私はこの島になればいいんだ」
 だから、もう迷わない、と乙姫は呟く。
「……乙姫ちゃん」
 そんな彼女に、千鶴は本当にいいのか、と視線で問いかけてくる。
「わたしは、あなたたちみんなを抱きしめる。お母さんみたいに……」
 そして、これから帰ってくるはずの一騎達を、と乙姫は微笑む。
「そのために、この島と一つになる」
 もう迷わない、と心の中で付け加えると、乙姫は毅然と顔を上げる。そして、しっかりとした足取りで前に進んでいった。

「もどせ! 我々を無に、もどせぇ!」
 かろうじて一騎達の攻撃から逃れたイドォンが信じられないというように叫ぶ。
 おそらく、自分が今、どのような感情を抱いているのか、自覚していないのだろう。
 それが奴らに混乱を与えている。
「生きていることに感謝しているな。それが、今ここにいることの喜びだ、フェストゥム」
 そして、どんどん人間の感情を学習するがいい、と総士は思う。
 そうすることで、フェストゥムは人間との共存の道を選ばずにはいられなくなるはずだ。
 《彼女》がそうしたように。
 それがわかったのも、今の状況に自分が置かれたからか。だが、それを喜ぶべきなのかどうか、総士には判断ができなかった。

 一騎達の前に、ミョルニアのコアが姿を現した。だがそれは、根によって押さえつけられている。その光景に、一騎はかすかに眉を寄せる。記憶の中にあるジークフリードシステムと同じ状況に、忘れていた慚愧がよみがえってきたのだ。
 だが、今はそれをどうこうしている暇はない。
 あれを解放しなければ、自分たちは欲しいデーターを手に入れられないのだ。そう判断をして、一騎達は根を断ち切る。
 次の瞬間、コアが光を取り戻す。そして、まるで抱きしめるように手を伸ばしたマークザインの手のひらの中へと舞い降りてくる。次の瞬間、膨大なデーターが送信される。
「これがフェストゥムと人類が共存するためのデーター……」
 一体それはどれだけの時間をかけて集められたものなのだろうか。
 それは彼らを介して竜宮島へと送られる。
「……かあさん」
 間違いなくそれは、自分の母が彼等と同化したからこそ、そして、彼等の中に様々な影響を与えたからこそ得られたものだろう。
 ふっと一騎は誰かの優しい腕に抱きしめられたような感覚に襲われた。

「紅音の希望が……届いた……私も」
 新たな希望になろう。
 乙姫はそう自分に言い聞かせると静かに目を閉じた。



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