「また誰か、いなくなったの」

「ジークフリードシステムと通信が途絶してから二十時間が経過しました。内部の様子は未だ不明ですが、報告ではどうやら……呼吸をしているらしい。とのことです」
 この言葉に、溝口が眉を寄せる。
「ヤツらが空気を欲しがる訳がねぇ。総士を生かしたまま同化するつもりか!」
 彼を取り込まれる、と言うことは自分たちの持つほとんどのシステムが相手に筒抜けになると言うことでもある。いや、それ以上に一騎をはじめとしたファフナーのパイロット達の特性が相手のものになると言うことの方が問題だろう。
 それは、自分たちの敗北と同意語であるはずだから、だ。
「いや、同化の途中で、本体のコアを失い。根だけが独立した状態だ。総士くんが無事である可能性は高い。一時間以内に、近藤先生が立てた救出作戦を実行する」
 史彦はその前に彼を取り戻したい、と言外に告げる。
「問題は、一騎の身体だろう。やらせるのか?」
 既に同化現象が進んでいる彼に、それができるのか。それは確かに誰もが抱いている疑問だ。
「一騎自身が、それを望んでいる」
 しかし、史彦はきっぱりとこう言い切る。
 父親としては二人の関係に複雑な思いを抱いていた。だが、それが一騎にとって必要なことであるのであれば、見て見ぬふりをするしかないだろう。
 あの子供は、紅音が自分に残してくれたものでもある。その子供が総士の存在を必要としているのであれば、自分はその手助けをしてやるべきなのだろう。史彦はそう心の中で呟いていた。

「この薬は肉体を活性化させ、ファフナーとの一体化を促すものよ」
 千鶴がそう言いながら、一騎の腕に針を刺す。
「この眼も……治るんですか」
 そうでなければ、総士を助けられない。一騎は心の中でこう付け加えた。
「一時的にはね。でも、効果が切れた後で、深刻な同化現象を起こす恐れがあるわ」
 だから、本当はこれを使いたくはないのだ、と千鶴は眉を寄せる。できることなら、一騎に考え直して欲しいと考えているのだろう。
「お願いします! 俺がまだ……総士を……助けられるうちに」
 しかし、自分のことよりも彼のことの方が一騎には重要だった。
 自分の代わりならいくらでもいるのではないか。だが、彼の代わりはいないのではないか。
 少なくとも、自分にとっての《皆城総士》の存在は、他の誰も取って代わることができないものだ。一騎はそう確信している。
 だからこそ、彼を取り戻したい。
 できれば、自分の手で。その力が、まだ自分に残されているうちに、と一騎は心の中で決意を新たにしていた。

 そのころ、総士は無限とも言える時間の中でフェストゥムの心理攻撃に耐えていた。
「お前は真壁一騎に対して、フェストゥムと同じことをしようとした。それは人類に対する裏切りだ。その傷は罰だ。お前の汚らわしい行いに対する当然の報いだ」
 汚らわしい行為。
 幼いときの自分はただ、他の方法を知らなかっただけだ。
 今なら、あの時のような行動は取らない。
「違う! この傷が、僕を僕にした」
 そして、一騎はこんな自分でも受け入れてくれたのだ。
 そのきっかけとなったのがこの傷なら……それすらも必要なことだったのだろう。総士はそう思う。
「自分が自分でいることをやめられたら、どんなに楽だろう」
 あのころの自分が、こう呟く。
「そんな考えは……もう、持っていない」
 自分が自分であるからこそ、一騎とともにいられるのだ。彼とともにあることだけが、自分に許された最大限のわがままだ、と総士は考えている。
「本当はフェストゥムのこと、羨ましいと思ってる癖に!」
 そんなことはない、と総士は心の中で呟く。同化すると、結局は一人にしかならない。それでは、意味がないのだ、と。
 その心を読んだのだろうか。
 目の前の自分は消えた。
「フェストゥムもいろいろやるようになったな」
 それを確認して総士は皮肉げに口の端を持ち上げる。
「僕の心を読んで、僕を誘っているのか」
 そんな彼の耳に届く笑い声は、本当に響いているのか。それとも幻聴なのか。
 それすらも、もう判断ができない。
「人の痛みを理解した程度で、すべて分かったつもりか! お前達に真に痛みを感じることができるのか! 僕はここにいる。まだ、ここにいるぞ! 一騎ーーー!!!」
 自分をこの場につなぎ止めてくれているのは、彼の存在だ。
 その思いをぶつけるかのように、総士は彼の名を叫ぶ。
 それは間違いなく一騎の元へ届いているはず。総士はそう確信していた。

 基地内を通ってキールブロックにたどり着くことはできない。唯一侵入できるとすれば海中からだ。そのため、一騎は海の中からアルヴィス内へマークザインを侵入させた。そして、慎重にキールブロックへと進む。
 だが、基地内であるはずなのに、そこには水が満たされている。
「水……?」
 何故、と思いながら一騎はこう呟く。
「ウルドの泉。かつてミールを解析するために使用されていた、液体型コンピューターよ。今は、ソロモンのマスターサーバーとして、敵の接近を教えてくれているわ」
「コンピューターって……踏んでもいいんですか?」
「泳いでも大丈夫よ」
 苦笑混じりの声が一騎の耳に届く。
 そんなことを言われても……と思いつつ、一騎はマークザインをその中へと進ませた。その瞬間、全身に伝わってきたのは間違いなく《水》の感触。だが、どこか暖かく感じられたのは一騎の錯覚だろうか。
 こんなことを考えながら、一騎は先へと急ぐ。そこで待っていたのは乙姫だった。
「ようこそ。島の未来を占う場所へ。前に、あなたを岩戸へ呼んだときのこと、覚えてる?」
 それはあの時のことだろう。
 忘れたくても忘れられるはずがない。それほど印象的なものだった。そして、と一騎は心の中で付け加える。
「ああ。君に総士と一緒に戦ってくれって、言われた気がした」
 戦うことに不安を抱いていた自分に、彼女は勇気をくれた。今考えれば、そんな機がしてならない。
「その通りにしてくれて、ありがとう。一騎」
 一騎が戦うことを選択してくれたからこそ、総士は今も耐えていられるのだ。そして、自分もまた、こうしてここにいる。乙姫はそう言って微笑む。
 そうすれば、やっぱり二人は兄妹なのだ、と思う。その微笑みは総士のそれによく似ていた。
「あいつは! 無事なのか?」
 そう考えた瞬間、一騎の脳裏にこの場に来た理由が浮かび上がってくる。思わず叫ぶようにこう口にしてしまう。
「総士は……そこにいるよ」
 そんな一騎に向かって、乙姫はさらに微笑みを深めた。

「いい、一騎くん。そのフェストゥムはコアが不在の状態にあるわ。乙姫ちゃんにコアになって貰い、マークザインを通して、フェストゥムを自己崩壊に導くの。乙姫ちゃんがあなたのマークザインと単独でクロッシングするわ。彼女の存在を受け入れて」
 CDCからの指示が一騎の耳に届く。
「はい!」
 総士以外の人間とクロッシングできるのか、一騎は一瞬不安を覚えた。だが、乙姫のそれは総士のものによく似ている。違和感を感じるよりも早くクロッシングは完了していた。
「一瞬でクロッシング状態に……さすがね。二人ともいい? 表面に同化して少しずつ相手に働きかけて。無理に引きはがそうとすれば、中にいる皆城くんが危ないわ」
 次の指示が告げられる。
「分かりました。総士!」
 はやる気持ちを抑えて、一騎はマークザインの手を持ち上げた。そのまま、ジークフリードシステムを包み込んでいるフェストゥム根に触れる。
「っく!」
 次の瞬間、根は棘となりマークザインの手のひらを貫いた。
 この痛みは一騎だけではなく乙姫にも伝わっているはず。総士が、薬に頼らなければならないほど、それは辛いものだと思う。だが、乙姫から伝わってくる感情の中に、それは感じられない。それどころか、彼女からは優しさのみが伝わってきた。
「私は、あなたに。あなたは、私に」
 歌うように乙姫は言葉を口にする。
 この言葉が根に影響を与えているのだろうか。光を発しながら、ゆっくりとそれらは崩壊を始めていく。それと比例をするように、ジークフリードシステムがその姿を現した。
「総士!」
 それを見た瞬間、一騎は思わず大切な相手の名を叫んでしまった。そうすれば、モニターの中にぐったりとしながらも、確かに生きてそこにいる彼の姿が映し出される。
「……一騎……か?」
 ゆっくりと顔を上げると、総士はこう問いかけてきた。
「総士!」
「……総士」
 彼の意識が自分を認めてくれた喜びと、最後に残された家族が生きている喜び。それを隠すことなく、一騎と乙姫は彼の名を口にした。
 しかし、状況は予断を許さない。
 総士の衰弱は、目に見えてわかる。普段の彼であれば、そんなことはさせないのに、と。つまり、それを隠せないほど、総士は弱っていると言うことなのか。一騎はその事実に思わず唇をかんだ。
「一騎。最後の戦闘から、何時間経った?」
 それでも、総士は必死にいつもの口調を作ってこう問いかけてくる。
「二十一時間だ」
 自分に心配をかけまいとしているのか。それとも、自分では頼りにならないと思っているのか。
 たぶん前者だろう、と勝手に判断しながら一騎は手短に言葉を返す。
「そんなにか……。時間の感覚が……鈍くなっている」
 吐息をはき出しながら、総士が口を開く。
「辛いのか? 総士」
「分からない。辛いという感情が消えかけているらしい……」
「えぇっ!?」
 それはどういうことなのか。それはわからない。だが、自分の予想を超えた状況に、総士がいることだけはかろうじてわかる。そして、このまま彼をそこにおいていてはいけない、と言うことも、だ。
「一騎……、本当にそこにいるのか?」
 それは確認なのか。
 それとも、それすらも今の彼はわからないのか。
 まるで総士が自分の手の中から消えていってしまいそうだ。
「いるぞ! ここにいるぞ! いますぐ出してやる!」
 きっと、彼を抱きしめればそんな不安も消えてしまうだろう。
 そして、総士もいつもの調子で微笑んでくれる。一騎はそう思っていた。

 それなのに……

「これは……クロッシング……機体……コード、マーク……ニヒト!」
 不意に、根が乙姫の意志を拒んだ。その代わりにそれらは新たに表れたフェストゥムの意志に従い始める。
「フェストゥムがクロッシングだと?」
「我々の力を根こそぎ奪う気だ! ファフナー全機、迎撃開始!」
 史彦が慌ててこう叫ぶ。
 だが、それは遅かった。

「やめて……、人は憎しみだけじゃないのよ。お願い、分かってぇぇぇぇぇ」
 乙姫の悲鳴が一騎の耳に届く。だが、そんな彼女に言葉をかけてやる余裕は一騎にはなかった。目の前の総士は、既に首まであの翠の結晶に覆われているのだ。
「かず……き……」
 それでも、彼は必死に一騎の名前を口にする。
「総士! 総士! 総士! 総士! うわぁぁぁぁぁっ」
 彼を取り戻さないと……そう思って、一騎はマークザインの手を必死に伸ばした。だが、それよりも早くジークフリードシステムは一騎達の前から消えてしまう。
「総士! 総士! 総士! 総士! そうしぃぃぃぃぃぃぃ!」
 一騎は自分の唇に彼の名前だけしか乗せられなかった。

「うわぁぁぁぁぁっ。返せっ! 総士を返せぇ! 返せぇぇぇぇぇっ!」
 一騎はそう叫びながら、総士がいるはずのジークフリードシステムを追いかけていた。
 その先に存在しているのはマークニヒトだ。
 あれが、自分から総士を取り上げようとしている。ようやく、この手に取り戻せそうだったのに……と一騎の意識は怒りに染まった。その感情に呼応して、ザルヴァートルを翠の結晶が浸蝕していく。
 次の瞬間、それは砕けた。
 その衝撃でマークニヒトは損傷をする。
「やったのか?」
 一騎は思わずこう呟く。
 だが、その損傷も致命傷ではなかったらしい。マークニヒトはジークフリードシステムを取り込んだまま、その場から転移をしてしまった。
「そうしぃぃぃぃぃぃぃっっ!」
 一騎の悲鳴のような叫びが、周囲に響き渡る。
 だが、それに答えを返してくれる存在は、この場にはいなかった。



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