そのまま穏やかな時間が続くのか。
 一瞬、一騎はそう考えてしまった。
 それは甘い考えだった。だがそれは、一騎がこの島を離れていたが故に、人類軍の者達が自分たちをどう思っているか、知らなかったからだ。
 少なくとも、日野洋治をはじめとした者達は自分に対し《嫌悪》を見せなかった。中には、ただの《道具》と考えていた者もいたようだが。それでも、自分たちを消し去ろうなどとは考えていなかったらしい。
 しかし、そう思わないものも存在していたのだ。
 そして、自分を消し去りたいと思っていたものも……

 命令だから、自分ごと竜宮島を消し去る。
 カノンはきっぱりと言い切った。だが、それは一騎には信じられない言葉だった。
「そんな……お前はどこにいるんだ!」
 今目の前にいるだろう……それなのに、と思う。
 だが、ある意味それは、世界を見るために出奔するまでの自分と同じかもしれない、と一瞬考えた。自分がいるべき場所を見いだせないだけかもしれない、と。
『前はいた。今はもういない』
 しかし、カノンから返ってきた言葉はまったく違うものだった。
 だから、この島とともに自分が消えてもかまわないのだ、と。
「……最低だ、お前」
 思わず一騎はこう言い返してしまう。
『何だと!』
 だが、それはカノンには聞き逃せないセリフだったらしい。怒りに満ちた声が返ってきた。
 ならば、少しは望みがあるのではないか。
 好判断をして、一騎は言葉をつづり出す。
「島を見ろよ。人がたくさん住んでいるだろ。俺の大事な人たち、みんなここにいるんだぜ」
 それを、命令だからと言って消されてたまるか! と一騎は言外に告げる。
『私に何の関係がある!』
 しかし、カノンの耳には届いていないように感じられた。だが、それがあくまでも虚勢だ、と一騎は思う。
「誰もいないから、そんなこと言えるんだ! 自分なんか、どこにもいないって思ってるから……」
 なぜなら、自分も同じような気持ちを抱いて戦っていたから。
「命令されたとき、お前安心しただろ。ずっと誰かに命令されるのを待ってて。自分じゃ、何も決められずに。ずっと、いなくなりたいと思ってただけだろ!」
 だから、自分は総士が言うがままに戦ってきたのだ。
 そのせいで、大切な《友人》を二人も失ってしまったのに……と。
 だから、彼女にはそうなって欲しくない。いや、元の自分を取り戻して欲しい、と思うのだ。
 その時だ。
 メガセリオンが戻ってきた。
 竜宮島へと襲いかかってきた戦略ミサイルを追って、飛行していく。
『トリプルシックスが、なぜ! 誰の命令だ?』
 どうして彼が戻ってきたんだ……とカノンはわからないと呟いていた。
 それが、弓子のためだ、と言うことは一騎にだってわかる。彼女が大切で、彼女を守りたいからこそ、命令を無視してまで戻ってきたのだと。
 どうして、彼の側にいた彼女にそれが伝わらないのだろうか。
「お前、本当に分かんないのかよ」
 言葉だけではだめなのかもしれない。だが、実際に顔とつきあわせればあるいは……と思う。その思いのまま、一騎はマークザインをカノンの機体へと近づけていく。そして、半ば強引に映像回線を開いた。
「離れてちゃ、顔も見えないだろ!」
 優しい微笑みを浮かべながら、一騎はこう口にする。
「お前、そこにいるじゃないか……」
 それなのに、どうしていないというのか……と。
「三分やる。スイッチを入れたきゃ、入れろよ」
 もちろん、そんなことになれば、カノンだけではなく自分も危険だ、と言うこともわかっていた。
 それでも、こう言わずにはいられなかったのだ。
『一騎! なんだ! 何を確信した!』
 さすがに黙っていられなかったのだろう。総士がこう問いかけてくる。
「三分経って、決められないなら、俺がお前を消してやる」
 彼の問いに答えを返す代わりに、きっぱりとこう言い切れば、
『何を言ってるんだ、お前……』
 どうしたらいいのかわからない、と言うようにカノンが呟く。
『よせ! フェンリルのエネルギーは、ファフナーでは防げない!』
 焦ったような口調で総士がこう言ってくるのは、自分の身を心配してくれているからだろう。それはうれしい。
 だが、それではいけないのだ。
「あいつ、本当に自分じゃ決められないんだ」
 総士にもカノンのことを知ってもらわなければいけない。今後のためにも。そう思って一騎は言葉を口にし始める。
『なに……?』
 わからないのだ、と総士は一騎に聞き返してくる。
 そして、カノンも自分で自分の気持ちがわからないのだろう。その表情がこわばり、身動きすることもできないようだ。
『何のつもりだ! 今、私がスイッチを入れたら……』
 それでも、彼女はこう言葉を口にしてくる。その言葉の裏に一騎を心配しているという感情が見え隠れしているような気がするのは錯覚だろうか。
 総士もそれを感じたのだろう。仕方がないというようにため息をついている。
「お前がそう決めたんなら、一緒に消えてやる。それまで、もう少し、話そう」
 大人びた笑みを浮かべながら、一騎はこう告げる。
『話す……』
 言葉の意味がわからない、と言うようにカノンが繰り返す。
「何を話そうか……」
 考えてみれば、自分も何を話したらいいのかわからない。
『私に聞くな!』
「カノン……そうだ、その名前。カノンの意味は?」
 ともかく、これが無難だろうか……と思いつつ一騎は問いかけた。
『音楽の一種だ』
「どんな音楽なんだ?」
 たぶん、自分が好きこのんで聞くようなたぐいの音楽ではないのだろう。だが、名前に使うのだから、きっと優しい音楽なのではないか。一騎はそう思った。
『メロディが、少しずつ生まれ変わる、そういう音楽だと、母さんが……』
 こう口にしたときだ。カノンの瞳から涙がこぼれ落ち始める。
『お前一体……私に何をさせたいんだ!』
 だが、それを認めたくはないのだろう。彼女はこう怒鳴ってきた。
「自分で決めるんだ、カノン」
 一騎は、口調を変えることなくこう告げる。周囲の者達が、自分にそれを考える時間をくれたように、彼女もそうするべきなのだ、と。
『決める……、私が?』
 何を決めればいいのか……とカノンはあからさまに動揺を見せた。
「お前は、そこにいるだろ! カノン!」
 一騎がそんな彼女に、最後の決断を促すように叫ぶ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ」
 上空で起こった爆発は、道生がミサイルを迎撃したからだろうか。彼のファフナーはジークフリードシステムにつながれていないから、総士に問いかけてもわからないだろう。
 だが、それよりも一騎には、カノンが自分自身の手でコードを切断した方が重要だった。
『お前! 私を消すといったくせに、なぜやらなかった!』
 自分の行動が信じられないのだろう。カノンはこう一騎に詰め寄ってくる。
「お前が決めなかったら、って言ったろ。自分で、決めたんだろ」
 だから自分は何もしなかったのだ。一騎はふわりと微笑むと言葉を口にする。
 そのまま、一騎はマークザインを移動させた。
『待て……、話を聞け……。私の話を……』
 一騎の耳に、カノンの涙声が届く。その内容に、一騎は満足そうに微笑んだ。
『今すぐ、取り押さえるべきなんだがな』
 そんな一騎の耳に、苦笑をにじませた総士の声が届く。
「そっとしといてやれよ」
 ようやく、自分自身の存在を認識できたのだから。もう少しこのまま泣かせておいてやりたい。その後でどうするかは、彼女が決めればいいことだ。一騎はそう考えていた。
『言うと思ったよ』
 一騎の判断を指示すると総士は表情で告げてくる。それが一騎には何よりの褒美だった。




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