どこに逃げればいいのだろうか。 そう思いながら少女――芹と乙姫は森の中を歩いていく。 ここにはかろうじて人類軍の姿はない。だが、どこから表れるかわからない、と言うのもまた事実だ。そして、初めてと言っていいほどこれだけの距離を歩いた乙姫を気遣ってくれた芹は、家族から遅れてしまっている。 このままでは彼女に迷惑がかかるだろう。 それに、と思う。 自分にはしなければいけないことがあるのだし、と乙姫は心の中で呟いた。 だが、と思う。 その前に、自分の願いを口にしてもいいだろうか、と。 「そうね。お友達が欲しい、かな」 小さな声で乙姫がこう言えば、 「もうここにいるじゃん」 芹がこう言って微笑んでくれた。それだけで十分だ、と乙姫は思う。 彼女の言葉だけで、自分にはこれからの行動を取る十分な理由になると心の中で呟く。 「ありがとう。芹ちゃん」 「どういたしまして。あれ、私自己紹介したっけ?」 芹の言葉に、乙姫は曖昧な微笑みを浮かべた。 それとほぼ同時に地面からシェルターの入り繰りが表れる。乙姫は芹をそこからシェルターに向かわせた。自分は大丈夫だから、と付け加えて。 「だって、初めての《友達》だもの」 だから、守ってみせる。そう思いながら乙姫はゆっくりと電話ボックスへを向かった。そこで助け手に連絡を取ろうと思ったのだ。 「まだ大丈夫。選ぶのはこれからだよ」 「……どうしたんだ?」 いきなり開いたドアに、総士も驚きを隠せない。 だが、ここで黙って死ぬよりは……その場にいた全員が室内から飛び出した。そして、全員で……と思ったときだ。 いきなり隔壁が降りてくる。 分断されたメンバーから判断すれば、それが作為的なものだとしか言えないだろう。 「お前なのか、乙姫」 現状でそんなことができる相手と言えば彼女しかいないのではないか。しかし、彼女は自分に何を選ばせようとしているのだろう。 やは手たどり着いたのは、一つの扉の前。そこがどこであるかを確認して、総士は一度瞬きをする。 「キールブロック、ウルドの遺産か」 ゆっくりと手を伸ばすと、総士はそのドアを開いた。 「例え、強いられた運命であっても、自分の意志で選び直せというのか……、乙姫」 では、他の者達はどのような選択を迫られているのだろうか。そう思わずにはいられない彼だった。 パイロット達がたどり着いたのは自分たちの機体。 史彦達がたどり着いたのはアーサーズルーム。 そして、彼らは島も守るために戦うことを選択した。 その事実を感じ取って、乙姫はふわりと微笑む。 「みんなが求めているものを、与えるのが私の役目。本当にそれが欲しいのか、もう一度選んで貰うために。そしてそれは、フェストゥムも同じ。彼らにも選んで貰う。そのために、私が生まれた。そうでしょ?」 乙姫はその表情のまま遠見千鶴を振り返った。 「私がこの島で、この島が私。島をどうしたいかはその人たちの自由。その人が本当は何を求めているか、その人自身に知って貰うために私に出来ることは、選んで貰うことだけ。知って貰うために……」 彼女のこの言葉に、千鶴は悲しげに目を伏せる。 「あなたには、何も選ばせてあげられなかった」 生まれたときから、竜宮島を守るための《コア》としての道しか彼女の前にはなかったのだ。 「ううん。私も選んだよ。心を持つこと。それが私の選択。私は、ここにいるよ」 だから、千鶴がそんな表情をする必要はない……と乙姫は微笑む。それを教えてくれたのは《彼》だと言う言葉は、口にしない。それを耳にしたとき、大人達が《彼》をどうするかわからないのだ。 その代わりというように、乙姫は視線を水平線へと向ける。そして、戦慄を唇に乗せた。 乙姫の目の前にフェストゥムが接近している。だが、彼女は少しもおびえた様子を見せない。それどころか、その瞳には悲しげな色すら見え隠れしていた。 「そう、あなたたちも選んだの。会話のない世界。なにもかもいなくなる、無の土地。でも、選んだのはあなた達だけじゃないよ」 それをモニターで確認しながら、総士は不安を隠せない。 彼女がフェストゥムを呼び寄せたのはわかっている。だが、その結果、彼女を失うことになってはいけないのだ。 「乙姫」 だが、彼女はまっすぐにフェストゥムを見つめている。 その側で、ファフナーが倒されても、だ。 そんな彼女を守ろうというのだろうか。千鶴がしっかりと彼女を抱きしめた。 しかし、乙姫はその腕の中でうっすらと微笑みを浮かべる。それはどうしてなのか、と総士が疑問に思ったときだ。 「おかえり」 彼女の唇がはっきりとこうつづる。それはいったい誰に向けられたものなのだろう。 目の前のフェストゥムに向けられたものではないはず。そう思ったとき、予想もしていなかった方向からフェストゥムに向けて攻撃が加えられた。 その攻撃は、間違いなく相手にダメージを与えたらしい。 いったいあれは誰が開発をしたファフナーなのか。 いや、そもそも味方なのか、と総士は思う。 その間も目の前では戦闘が続けられている。信じられないことに、プレアデス型に包まれたそのファフナーは相手を同化してしまった。 あれは本当にファフナーなのか、とすら思う。 だが、その隙にフェストゥムが姿を消そうとしているのがわかる。 このままあれを逃がしては……と総士が思ったときだ。 「探せば見つかるよ、総士」 そんな総士を励ますように乙姫が口にする。 彼女がそう言うのであれば、アルビスの機能で十分探索可能なのだろう。そう判断をして、総士は即座に実行に移した。 先ほどの攻撃で受けた傷のおかげだろう。すぐに居場所を特定できた。しかし、今動けるファフナーは、あの所属不明のそれしかいない。 どうするべきか。 だが、結論は一つしかないであろう。 「パイロット聞こえるか! 敵の位置は捕捉した。ヤツを倒してくれ」 総士は相手に向かってこう呼びかけた。 『……総士』 だが、その機体のパイロットから返ってきた声に、信じられないと言うように目を見開く。 「……か……ずき……?」 自分がその声を間違えるはずはない。だが、彼は……と思う。 彼は自分から逃げ出したのに、と。同時に、彼の声を耳にして喜びを隠せない自分がいることも総士は自覚していた。 『システムとクロッシングしたい。マークエルフと同じように出来るはずだ』 総士の困惑が伝わっているだろうに、それでも一騎は別れる前と同じ口調で呼び勝てくる。 その事実が総士の中で別の感情を呼び起こそうとしていた。だが、それを認めるわけにはいかない。もし、自分が考えていることと違うのであれば、それこそ立ち直れなくなるかもしれない。こう考えて、総士は必死にその感情を押し殺そうとした。 「今更お前が……何を」 極力冷たい声を作ってこうはき出す。 『総士、お前はこの島だけが楽園だったって言った。俺はその意味も、お前が考えていることの意味も分からないまま、ただお前が言うとおり戦った……。だけど今は、少しだけ……分かった気がする』 それが知りたかったのだ、と一騎は言外に告げてくる。 「何が分かった……」 そのあとに続く言葉が怖い。そう思いながら、総士は次の言葉を促す。 『お前が……苦しんでたことが。俺たちが、何も知らないときから、お前は島を護ろうとしてくれた。翔子の時も、甲洋の時も! お前一人で痛みを背負ってた。お前は決して……』 その後の言葉を総士は聞かなくてもいい、と思った。これだけで十分だったと。 同時に、どうして彼が自分を見捨てて逃げ出したと考えたのだろうか。彼が望んでいたことは、自分を理解することだったのに。 そう思った瞬間、総士は自分の頬を何が流れ落ちていくのを感じていた。 「……その機体の識別コードは?」 それでも、自分は戦闘を指揮するものとしてこの好機を逃すわけにはいかない。その思いが、この言葉を口にさせた。 『マークザイン!』 「クロッシングのために、機体を登録する……五秒待て」 一騎の言葉にこう言い返す。だが、さすがに涙に濡れているという事実を完璧に隠すことは不可能だった。 『総士?』 不審そうに一騎が総士の名を呼ぶ。 「すぐに済む」 今しなければならないことは何だ、と総士は心の中で呟く。そうすれば、答えは一つしかないのではないか。そう判断して、無理矢理意識を切り替えた。 「エンロール完了。クロッシングを開始する」 次の瞬間、総士はすぐ側に一騎の気配を感じる。当然と思っていたそれが、実はこれほどまでに喜ばしいものだったとは……そう思いながら総士は口を開いた。 「一騎。僕の見ているものが見えるか」 「あぁ、見える」 総士の問いかけに、一騎は即座に言葉を返してくれる。 「行くぞ」 一騎とともに戦うときにのみ感じられる高揚感。それに、総士は身をゆだねていた。 |