「俺のせいだ……。俺がやったんだ……」
 フェストゥムに飲み込まれたマークザインの中で、一騎はそう呟く。
「総士くんの傷、本当に自分で転んだのかしら。まさか誰かが……?」
 今でも思い出せる。大人達がこう囁いていたことを。
「なんで、俺がやったって言わなかったんだ、総士。そのせいで、俺はお前に謝ることも出来ずに……」
 ただ、側にいることだけを選んだのだ、と。もっとも、彼にはそれも重荷だったのだろうか。
「行けるのなら、僕が行くさ……」
 初めての戦闘の時に呟かれた言葉。それは言外に自分を非難していたのかもしれない。一騎はそう思う。
「その傷のせいで、お前はファフナーに乗れないんだろ? だったらっ! なんで俺を責めないんだ!」
 そうしてくれればどれだけ楽だっただろう。
「なんで、俺がやったって言ってくれなかった! 俺が逃げたからか? あのとき、お前を置いて逃げたからかっ?」
 だが、どうして自分は逃げたのだろう。
「怖かったんだ……。お前を傷つけた自分が怖かったんだよ。だから逃げたんだ」
 そう思っていた。だが、本当にそうなのか……と誰かが囁く。
「お前は、俺を怒ってるんだろ? 俺を憎んでるんだろ? だから俺にっ! 戦って死ねって言いたいんだろっ!? 総士!!」
 だから、あの日から自分たちの間に壁を作ったのだろうか。
「ずっと……いなくなりたかった。俺なんか、いなくなればいいって……。でもせめて、お前に謝りたくて!」
 だから……だから、総士が何を望んでもそれを受け入れてきた。
 それで、総士の側にいられるのであれば、どんなことをしてもかまわないと思っていたのだ、と。
 その時だ。
 不意に身近に自分以外の存在を感じた。そんなことがあるはずがないのに……と思いながら、一騎は視線を向ける。
 そこには、自分と同じくらいの一人の少女がいた。身にまとっているのはTシャツだろうか。
 彼女の顔に一騎は見覚えがある。
 しかし、その彼女がどうしてここにいるのだろうか、と思う。
 だが、彼女はそんな一騎の困惑すら気にならないらしい。それとも、そこまでわからないのか。
「初めての痛み。そのコアが、私を私として目覚めさせたように、あなたが総士を総士にした。大事な傷。自分である証。総士はね、一騎に感謝してるんだよ」
 そして、一騎もいつまでもそれにこだわっているわけにはいかなかった。
 第一、彼が一騎に感謝をするわけがないのだ、と。
「感謝……?」
 だから、聞き間違いだろう。そう思ってこう聞き返した。
 しかし、乙姫はそうだ、と微笑む。
「なぜ、総士を傷つけたの? 私が思い出させてあげる。本当のことを」
 次の瞬間、一騎の周囲の光景が一変した。

 幼なじみ五人でラジオの修理をしたあの木の下で一騎は総士と顔を合わせていた。
 そう、あのころは本当に幸せだった。
 一人だけ年齢が違う自分を、彼らは当然のように受け入れてくれていた。そして、その中でも総士は一番自分を甘えさせてくれたのだ。
 だが、と一騎は心の中で呟く。
 その優しい思い出と結びついている光景なのに、どうしてこんなに恐怖を感じてしまうのだろうか、と。
 その時だ。 総士の声がラジオから流れてくる。
「あなたは、そこにいますか」
 あのころは、その言葉の意味がわからなかった。
 だが、今はわかる。それは……自分たちが自分たちでなくなることだ。
 しかし、あの日の姿の総士は淡々とした口調で言葉を口にしている。
「同化って言うんだ。ひとつになれるんだって」
「総士……」
「一つになろう。一騎」
 そうすれば、何があってもお前を失わずにすむから……その言葉の意味がわからないまま、一騎は恐怖だけを感じていた。

 遠く離れた場所で、乙姫は一騎に向かって語りかけている。
「最初は、みんな一つだった。大きくて深い場所。そこから出てくることで、みんなバラバラになった。自分が自分に。他人が他人に。そうして言葉が生まれた。全てが一つで、他人がいない世界。そこに帰りたいと思う気持ちさえ、新しい発見。だって自分がどこにもいなければ、帰りたいと思うことさえないもの。たくさんのふれあいが、そうして生まれた。今の私たちにとっては、傷つけ合うことさえ、可能性に満ちている」
「あのぉ……、それってなんかのおとぎ話?」
 そんな乙姫に恐る恐る話しかける声がある。
 彼女が誰であるか、そして、どんな性格なのか。それを乙姫は知っている。いや、この島のことで知らないことがないのかもしれない。なぜなら、自分はこの島の《コア》だったのだから。
 そう考えながら、にっこり笑って乙姫は彼女に言葉を返す。
「うん。この宇宙と私たちのおとぎ話。神様が私たちにくれた、嬉しくて哀しい、私たちだけの物語」
 それは、彼女たちだけではなく一騎にも向けられたものだった。

「同化現象って言うんだって。僕たちの身体の中に記された、遠い場所への帰り道なんだって」
 うっとりとした口調で総士はこう告げる。
「……帰り道?」
 一体どこに帰るというのだろうか。彼の表情からすれば、それは家ではないのだろう。
「ミールの因子が、僕たちに移植されてるんだ、って父さんが言ってた」
 しかも、総士は一騎がわからない言葉を口にする。それなのに、どうして自分の中でそれに対する《何か》があるのだろうか。
「僕は、この島のコアを守るために生きているんだ、って父さんに言われた。自分や、他の誰かのために生きてちゃいけないんだって」
「総士……」
 そんな、と一騎は思う。どうして、総士だけそんな重荷を背負わなければいけないのだろうか、とも。
「僕は、初めからどこにもいないんだ。だったら、お前と一つになれる場所に帰りたい。一騎」
「総士、お前……」
 その時だ。
 その何かが吹き出したのは。
 次の瞬間、一騎は自分の手が総士の血で赤く染まってしまったことに気づいた。
 あれはもう何年も前のことだったはず。それなのに、今でも生々しく思い出せる。
 いや、忘れていたからこそそうだったのだろうか。
「同化現象も選択の一つだけれども、それ以外の道もあるの。私たちの身体には、帰り道と一緒に、これから進む道も記されている。あなたはどちらを選ぶ? 一騎」
 一騎の耳に、乙姫の問いかけが届く。
「俺は……」
 自分はどうしたいのか。
 確かに、消えてしまいたい……と思っていたことは事実。だが……と心の中で呟く。
 目の前の総士は、どうかを求めたときの姿のまま、自分を誘うかのように手をさしのべている。そこには、あの輝く水晶体があった。
「あなたは……そこにいる? それとも、いなくなりたい?」
 そんな一騎に乙姫はさらに問いかけてきた。
 その言葉を一騎は心の中で繰り返す。そうすれば、出て切る答えは一つしかない。
「俺はただ……、総士と……もう一度、話がしたいだけだ」
 一騎は自分の気持ちを素直に口にする。
 その瞬間、総士の手の中の水晶体が砕け散る。いや、それだけではない。彼自身もまたゆっくりと姿を崩していった。
「総士!」
 どうして、彼が……と一騎は目を丸くした。
「あなたは、ここにいることを選んだんだよ」
 そんな彼の耳に、優しい声が届く。
「俺が? どうして?」
 自分は何もしていない。彼は言外にこう告げた。
「会話は、自分が自分であり、人が人であることの証拠だよ、一騎」
 ふわり、と乙姫は笑みを浮かべる。
「会話……」
 それはつまり、自分たちの間に言えば会話が足りなかったと言うことか。
 あんなことを、さんざん繰り返していたのに、と一騎は少しだけ苦い思いを感じる。
「コアに進むべき道を示してくれて、ありがとう」
 そんな一騎に、乙姫は優しく告げて消えていった……

 そのあとのことを、一騎はよく覚えていない。
 気が付いたときには、真矢と溝口が自分の顔をのぞき込んでいた。
 真矢はともかく、どうして溝口まで……と一騎は思う。同時に、彼は知っているのだろう、か、と思う。
「溝口さんは知っているんですか?」
 父や母と懇意にしていたという彼であれば、その可能性は大きい、と一騎は心の中で呟いた。
「あぁ? 何のことだ?」
 どこか警戒心をにじませながら、溝口が聞き返してくる。
「俺の母さんが……、なぜいなくなったのか」
 そして、どうしてあんなところにいたのかを……と。
「史彦を庇って、フェストゥムにやられたのさ、紅音ちゃんは。俺も……そのとき、そこにいた」
 だから、よく知っている……と彼は口にした。
「そっか……。だから父さん、自分のせいだ、って……。教えてくれて、ありがとうございます。おかげで少し、すっきりしました」
 そんな彼女だからこそ、あの時あのフェストゥムに食われたとしても逃げなかったのか。自分にマークザインに乗る時間を与えるために。
「さぁて、帰るか。お前の故郷に」
 もういいだろう、と溝口が笑う。
 その言葉に、一騎は首をかしげた。どこかその言葉がしっくりと来ないと感じていたのだ。
「帰るのとは、少し違います。何も知らなかったときの俺には、あの島のこと考えられなくて。多分、帰るって言うより、俺がこれから行かないと行けない場所です、竜宮島は」
 こう告げれば、溝口は起用に方マユだけを上げてみせる。
「似たようなこと、言ってたやつがいたよ。もう前とは同じように考えられない。自分が島を護らなきゃ。ってな」
 次の瞬間、笑いをにじませた声でこう告げた。
「それって、もしかして……」
「総士……!」
 二人の言葉に、彼はしっかりとうなずいてみせる。
 総士と同じ気持ちに自分も行き着いたらしい。そのことが、何故かうれしいと思う一騎だった。



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