何で、俺が魔王の花嫁?

プロローグ


「彼方! 出かけるならついでにちいちゃんを迎えに行ってきてくれない?」
 今にも出かけようと靴に足を突っ込んだ瞬間、同居している長姉が声をかけてきた。
「無理」
 俺は即座にこう言い返す。
「何でよ。ついででしょう?」
 いつもなら二つ返事で引き受ける俺が断ったのが気に入らないのか。長姉は少し怒りをにじませた口調でこう言ってきた。
 つまり、長姉はどうして俺が今日出かけるのかを忘れていると言うことだ。
あるいは、それだけ俺が姪っ子を迎えに行くのが日常になっているからかもしれない。
「冬美さん、いい加減にしなさい」
 あくまでも俺に行かせようとする長姉に、母の一括が落ちた。
「彼方は明日、入試だから出かけるのですよ。今度の列車に間に合わなければ、明日の試験に間に合わないのです。そもそも、自分の娘の迎えぐらい、自分で行きなさい」
 それが母親の役目です、とぴしゃりと言う母には、いくら長姉とはいえかなわないらしい。
「はぁい!」
 それでも納得いかないのだろう。長姉は悔しげな返事を返す。
「冬美さん!」
 それが母には許せなかったらしい。彼女の言葉尻に明確な怒りがにじんだ。
「返事は短く。知香さんがまねをしたらどうするのですか!」
 母親が我が子の第一の教師にならなくてどうするのか。鋭い声が家を震わせる。
「第一、知香さんの母親はあなたでしょう? あの子の世話を全て彼方に丸投げをして恥ずかしいとは思わないのですか?」
 確かにそうだ。もっとしっかりと言ってくれ。心の中でそう呟きながら、俺は靴の紐をしっかりと結ぶ。
 実際、幼稚園の送り迎えはもちろん、食事の面倒や風呂の世話も俺がやっている。最近は寝かしつけることさえ多くなってきていた。
 受験生だというのに、もう一児の父親の気持ちだった。
 長姉だけでこんなに苦労するというのであれば、他の三人の姉が結婚したらどうなるのか。それを考えるだけに怖い。
 いや、実際に二番目の姉は結婚まで秒読みだ。長姉よりも自分優先の彼女なら、自分の子供が生まれたら、その世話を丸投げしてくるのは目に見えている。
 きっと両親もそれを心配してくれていたのだろう。県外の大学に進学したいといったらあっさりと許可をしてくれた。県内の大学だとしてもこの街を出ることになるわけだから、かもしれない。
「母さん。時間ですから、出かけてきます」
 母に向かって俺はこう声をかける。
「気を付けて行ってらっしゃい。あまり気負わないで、実力を出し切れるようにね」
 長姉へのお小言をいったん中止すると、母はこう言葉を返してきた。
「わかっています」
 この言葉とともに、俺は鞄を持ち上げる。そのまま玄関の戸を開けた。

 東北の小都市であるこのまりは、小さいなりにもある藩の城下町だった。
 そして、我が家は藩主の直系らしい。
 もっとも、幕末から平成の今まで男が生まれずに代々長女が婿を迎えてきたから、今となってはそれもどうなのかと思う。
 まぁ、戦後は男女平等だから誰も何も言わなかったのかもしれないけどな。
 第一、古いだけで自慢できるような財産なんてない。戦中にあれこれ食料と換えたと祖母から聞いた記憶もある。
 それでも、多少は骨董品があるのだろうか。
 俺のためだと言われて出された節句の兜は俺の目から見てもすごいと思うものだったし。ついでに言えば、後ろの方に切り傷がついていたのは、そういうことなのだろう、
 そのほかにも刀とか何だとかが、俺のためにと蔵から引っ張り出されてきた。鯉のぼりに関しては、このあたりでも目立つくらい大きかったし。
 そのくらい、久々に生まれた男である俺は両親や祖父母だけではなく分家の爺婆から可愛がられてきた。
 ひょっとしたら、姉たちが俺をいじめてくれるのはそのせいかもしれない。
 上の三人は特にそうだ。かろうじて、すぐ上の遙佳姉だけは俺の味方と言っていいのかもしれない。もっとも、俺で遊ぼうという別の意味で悪い趣味を持っていてくれるが。
 俺よりも自分の夫か子どもで遊べばいいのに。そう言えるようになったのは最近だ。惣領娘である一番上の姉が結婚し、子どもが生まれたのは俺が中学の頃だ。そこでようやく当主である祖母が冬美姉を跡取りと公言したのである。
 俺が生まれる前はそれが共通した認識だったらしいが、生まれた後は外野がうるさかったらしいと教えてくれたのは二番目の千秋姉だ。
 しかし、それと俺で遊ぶのは何の関係もないよなぁ。むしろ、俺は被害者じゃないか? そう思うのだが、感情だけで生きている姉達に何を言っても無駄だろう。
 そう言う事も関係していたのか。祖母も母も、自分が県外の大学に進学することを許可してくれた。やりたいことがあるならば思う存分やればいい。そう言ってくれたのは、あるいは家をでなければいけない俺に対する気遣いもあったのではないか。
 まぁ、何よりも大学に合格してからだけどな、全部。
 そんなことを考えながら改札を抜ける。さすがにそれなりに大きな駅だからか。ここは無人駅ではない。
 それでも、だ。ホームに出れば誰もいない。まぁ、時間がずれいてるから仕方がないのだろう。あと一時間もすれば高校生達が下校だから上下ともにそれなりに混む。その後は帰宅ラッシュが始まるだろう。それを避けたくてこの時間なんだけどな。
 もっていた鞄を抱え直すと、指先に息を吹きかける。
「カイロもってくれば良かったな」
 そうつぶやく。だからといって、待合室は空気が悪いし、風邪引いている人もいるかもしれないから寒さを我慢する方がマシか。
 当日熱を出すよりも、後数分我慢するべきだろう。
 第一、このくらいで簡単に風邪を引くような鍛え方はしていない。それよりもウィルスの方が怖いし。そんなことを考えていた時だ。
「他の県の大学を受験するって、本当なの?」
 いきなりこんな声が飛んでくる。その声に聞き覚えがあるような気はするがすぐには思い出せない。
「……それが何か?」
 視線を向けて初めて相手が従兄弟だったかはとこだったか……とりあえず、うちの分家の人間だと思い出す。もっとも、あまり好印象は抱いていない相手だが。
「どうして? 大学ならすぐ近くにもあるだろう?」
「俺のやりたい学部はないけどな」
 大学を選ぶ基準って、やりたいことが出来るかどうかだろう。それが出来ないなら専門がこうでもいいわけだし。そう言い返す言葉にとげが含まれてもそれは仕方がないだろう。
「俺にはやりたいことがある。だから、そのための第一歩としてその大学を受験する。それだけだ」
「本家の長男なのに?」
 錦の御旗のようにそう言ってくる。
「跡継ぎは姉さんだ。それにおばあさまも母さんも許可してくれたからな」
 誰に文句を言われるいわれはない。
 タイミング良く列車が近づいてくるというアナウンスが耳に届いた。いくらこいつでも俺の目的地までの切符をもっているはずがない。だから、いざとなれば振り切れるだろう。
 しかし、いったいどこから俺が出かけたと知ったのか。
 後で調べてもらった方がいいような気がする。本家の内情が分家に流れるとまずいこともあるから、と心の中でつぶやいたときだ。
「ダメだよ! 出て行くのは許さない」
 怒鳴るようにあいつがそう叫ぶ。
「許す許さないはお前の決めることじゃないだろうが!」
 負けじと俺も怒鳴り返した。
 その間にも列車が近づいてくる。
「ダメだよ。君は僕の目の届くところにいてくれないと……どこかに行くくらいなら……」
 どこか狂気を孕んだまなざしがまっすぐに俺を見つめていた。
 これはまずい。
 その事実に気がつくのが遅れたのは、少しとは言え血縁に関し甘い考えが合ったからかもしれない。
 それでもこれはないだろう。
 線路に向かって思い切り突き飛ばされた。
 予想外のことに受け身をとることが出来ない。一瞬とは言え、呼吸も止っていた。
 そのせいだろう。次の行動に移れなかったのは。
 列車の警笛がすぐ側で聞こえる。
 それが俺の最後の記憶だった。

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