その森は、昔から《禁域》とされていたらしい。決して、足を踏み入れてはいけないと。 もっとも、入ろうとしても入れないという話もある。 だが、それはどうしてなのだろうか。 「余計な人間を、あそこに立ち入らせないためだよ」 シンの問いかけに養父は微笑みながらこう教えてくれた。 「……余計な人間?」 「お前には、まだ早いね……そうだね、歴史の授業が始まる頃に教えてあげよう」 言葉と共に、彼の大きな手がシンの頭をなでてくれる。だからといって、それで納得できるわけがない。 どうして、今、教えてくれないのか。 今まで彼は、どんな質問でもすぐに答えをくれたのに。 「……俺は、十分大人だもん……マユの面倒を見られるくらいに」 一緒に引き取られた妹の名前を口にしながら、シンは頬をふくらませる。 「そう言っているうちは、まだまだ子供だよ」 レイぐらい、落ち着きがないとね……と笑いを漏らす彼に、シンの頬はますますふくらんでしまった。 「どうせ、俺は、レイみたいになれないよ!」 そしてこう叫ぶと、ギルバートの前から駆けだした。 「仕方がないね、本当に……」 そんなところもまた、かわいいのだが……と言う彼の声がシンを追いかけてくる。しかし、それにも彼は足を止めなかった。 「こうなれば……自分で確かめに行ってやる」 禁域だからってなんだって言うんだよ……と呟きながら、シンは城を抜け出した。そのまま一人でそこに行こう……と思ったのだ。 「……だからといって、歩いていこうというのは無謀だ……と思うが?」 そんな彼の背中に、落ち着いた声が届く。それが誰のものなのか。シンにはすぐにわかる。同時に、さらにむっとしてしまった。 「なんでここにいるんだよ!」 振り向けば、馬にまたがっているレイの姿が確認できた。 「あんな表情で抜け出したお前を放っておけると思うか?」 こう言われても、シンは素直に受け入れることができない。 「放っておけばいいだろう!」 こういい返すと、シンはそのまま歩きだそうとする。しかし、それよりも早くレイの腕が彼の体を抱きとめた。 「それに」 そして内緒話をするように声を潜めるとこうささやいて来る。 「俺も、あそこには行って見たい、と思っていたからな」 だからちょうどいいと言えばちょうどいいのだ、とも。 「……レイ、お前……」 「それに、あまり遅くなるとマユが心配するぞ」 シンの反論を、レイはあっさりと封じる。 「……俺は……」 こういわれてしまえば、自分には返す言葉がない、と知ってやているから彼は厄介なのだ。 「お前の、そういうところ、嫌いだ!」 「わかっている」 八つ当たりのように叫んでも彼は苦笑と共に言い返してい来るだけだ。そんな彼だからこそ、こんな風にシンを受け止めてくれるのかもしれない。 「だから、今はおとなしく馬に乗ってくれ」 そうすれば、夕食までに帰れる。そうすれば、誰も心配しないぞ。そう付け加えられた言葉に、シンは渋々といった様子でうなずいて見せた。 しかし、どうしてこういうことになったのだろう。森の入り口までは確かにレイと一緒だったのだ。しかし、今は彼の姿は見えない。 ひょとして、彼とはぐれてしまったのだろうか。 それならば、彼が探しに来てくれるまで、ここでおとなしく待っていた方がいいもだろうか。そうしろと囁く声もあるし……とそんなことを考えていた時だ。 「君、どうしてここにいるの?」 一人、木の根本にうずくまっていたときだ。柔らかな声がシンの耳に届いた。視線を向ければ、まるで月の精のように透明で儚げな容姿の人物が確認できる。 「ひょっとして……迷い込んで来ちゃったの? ここに……」 この問いかけに、シンは静かに首を縦に振った。 「そうなんだ……なら、急いで、ここからでないと」 大変なことになるよ……というその人の言葉に 「でも、道がわかりません。それに、レイが……」 迎えに来てくれるかもしれない、とシンが口にすればその人は静かに首を横にふてみせる。 「多分、迎えは来ないよ。道は、教えてあげる。だから、急いで……でないと、呪いにとらわれてしまう」 そうしたら、ここから出られなくなる……とその人は口にした。 呪いとは何なのか、シンにはわからない。だが、その人の口調はとても真剣だった。そして、その綺麗なアメジストの瞳は決して嘘を言っているようには感じられない。 「わかりました」 こう口にすれば、その人はそっと手を差し伸べてくれる。その繊手にシンは自分の手を重ねた。そうすれば、暖かい手がしっかりとシンの手を握り締めてくれる。 「こっちだよ」 そのままその人は歩きだす。その歩調はシンを気遣ってくれているのかゆっくりとしたものだ。 それにしても、どうしてこの人はここにいるのだろうか。 はっきり言って、妹やミーアはもちろん、タリアの元に預けられているルナマリアとメイリンの姉妹よりも王城にいることがふさわしいように思える。しかし、それを問いかけてはいけない、と心の中でささやく声もあるのだ。 それはいったい、誰の声なのか。 自分のそれではないと言うことがシンにはわかる。しかし、それがどうしてなのかと問いかけられても言葉を返すことができない。 「……どうして、ここにいてはいけないの?」 その代わりというようにシンはその人に問いかける。しかし、次の瞬間にはその事実を後悔してしまった。 その人の綺麗な瞳に悲しみの光が浮かんだのが見えたのだ。 「そこの木を見て?」 だが、その人はこう言って在る場所を指さす。その木の根本には、奇妙なこぶがあった。 「疲れて眠ってしまうとね……あんな風に木に取り込まれてしまうんだよ」 自分以外の人間は……とその人は呟く。 「ひょっとして……俺も?」 「あのままだったらね」 あっさりと肯定されて、シンはどうしていいのかわからなくなってしまう。 「でも、ここしばらくなかったんだ。ここに、誰かが足を踏み入れるなんて」 ここに入れる人間も、滅多にいないのに……と続けられた言葉に、シンは、ひょっとしてこの人は寂しいのではないだろうか……と思う。 いや、そうでなければおかしい。 いったいどれだけの時間を、この人がここで過ごしてきたのかは知らない。だが、一人でいるにはここは寂しすぎる場所ではないか。 しかし、自分がここにいるためにはどうすればいいのだろう。 「……木に触れなければ、いいのかな」 シンは思わずこう口にしてしまった。 「無理だよ」 それを聞きとがめたのだろう。その人はあっさりとこう言ってくれる。 「ここにいる時間が長ければ長いほど……木に触れたくなるんだって……そう言っていたから」 だから、いずれは……と呟いたのは、同じようなことを考えた人がいたからだろうか。でも、と思う。 「貴方が手を握っていてくれると、ざわざわとしたのが聞こえない」 こう告げれば、その人は驚いたように目を丸くした。 「……あぁ。出口が見えてきたよ」 しかし、その理由を問いかける前にその人はこういう。そして、その指が指し示す方向には、確かに森の切れ目があった。 「貴方は?」 「僕は……ここから先には行けない……ここの呪いに、とらわれているんだ……でも、そのおかげで、君を帰してあげられる」 だから、行きなさい……とその人はシンの背中を押す。このまま、明るい世界で暮らすんだ、と。 「俺は……」 だが、そう言われても納得できない。 「また、来るから」 シンは振り向くと、こう言い返す。 「だめだよ。そうなったら、君は……」 「俺が会いに来たいんだ。だから、かならず来るから」 きっぱりとこう言い切ると、その人は言葉を失う。 「だから、待っててね」 ともかく、これ以上ここにいて他の者達を心配させてはいけない。最悪、この人が悪いと言われてしまうだろう。 それだけはしてはいけないのだ。 こう心の中で呟くと、シンは今は駆け出す。その背中に、その人の視線をいつまでも感じていた。 「シン!」 抜け出せば、そこはある意味見知った場所であった。 しかし、どうしてここに……とも、シンは思う。しかも、偶然にしてもレイの目の前にでるなんて、と。 「無事なのか?」 こう言いながら、レイがシンを抱きしめてきた。 「大丈夫。精霊さんが助けてくれたから」 そんな彼に、シンはこう言い返す。 「シン?」 この言葉に、レイは愁眉を寄せた。その表情から、あるいはあの人のことを、彼は知っているのかもしれない、とシンは思う。 「……ともかく、戻ろう。みなも呼び戻さないと」 きっとギルバートから話があるはずだし……とレイは付け加える。 「やっぱ、大事になっている?」 「当たり前だろう! 養い子とはいえ、お前は、この国の王族の一員なんだぞ」 それが行方不明になれば、みなが探すのは当然だ……とレイが怒鳴りつけてきた。 「……でも、ほんのちょっとの間だろう?」 それでこんな大騒ぎになるのか? とシンは思う。 「まだ、夕方だろう?」 「……そうなのか?」 お前の認識では……と言われて、シンは素直に頷いて見せた。 「やはり、少しでも早く、城に戻って……ギルに相談した方がいいな」 それからでないと、話が進まない……というレイの言葉にシンは自分が何か思い違いをしているのではないか、と感じ始める。しかし、それをここで問いかけていいのかどうかもわからなかった。 「帰るぞ」 レイがこう告げる。シンはそれに、首を縦に振って見せた。 帰る道すがらレイが教えてくれたことによると、シンが行方不明になって既に三日が経っているのだと言う。 「本当に、俺は月を見てないぞ」 黄昏になるのは感じたけれど……とシンは言い返す。 「わかっている……あそこは、呪いに縛られた場所だからな」 だから、時間の流れが違うのかもしれない……とレイは口にする。 「それにな。俺は、あそこに入れなかったんだ」 シンを追いかけて足を踏み入れようとした瞬間、自分ははじき飛ばされたのだ、とレイは付け加える。 「そうなのか?」 「……あぁ」 答える言葉の中に、どこか悔しさが滲んでいるような気がするのは、シンの錯覚だろうか。 「だから、お前だけしかあそこの状況を知るものはいない。ギルは、それを聞きたいと思っているのかもしれないな」 お前が会った人物についても……と付け加えられた言葉に、シンはあの人の顔を思い出す。そして、また会いに行こう、と改めて思う。 そうすれば、あの人の瞳から悲しみが消えるのだろうか。 そうあって欲しい、と心の中で呟いていた。 「そうか……」 シンの話を聞き終わったギルバートが小さなため息をつく。 「あの方にお会いしたのか……」 それでは、話をしないわけにはいかないな。そう続ける彼が妙に疲れているように感じたのは錯覚だろうか。 「古い古い話だ……まだこの国が《プラント》と《オーブ》という二つの国だった時代。アスラン・ザラとカガリ・ユラが婚姻を結ぶ前、のな」 シンの内心には気づかない様子で彼は話し始めた。 そのころ、世界は戦乱の中にあった。 新興国であった《オムニ》 その王が、自国の領土を拡張しようと、周囲の国に戦を仕掛けていたのだ。 もちろん、通常であればそのような無謀な行為にでても勝てるわけがない。一国の人員よりも複数の国のそれの方が多いことはわかっていることだ。しかも、その中にはプラントとオーブの二国が含まれている。この世界の創世時から続いていると言われているこの二つの国は、近年、お互いを奪い合うのではなく歩み寄ることによって力を蓄えてきたのだ。 だが、オムニの王、アズラエルはただの人間ではなかった。 どこから入手したのかわからない《禁呪》を使い、それによって他国を侵略していったのだ。 国の中には、そんなアズラエルの力に恐れをなして自らその陣営に下ったところもある。 だが、プラントもオーブもそのような事をするわけがない。 むしろ、二国の絆を深め、協力してオムニと立ち向かおうとした。 そうでなければ、世界がどうなるか。彼等は知っていたのだ。 だが、それをアズラエルが面白く思うはずがない。 二つの国を分断しようと、あれこれ画策していたことは事実だ。その中に、オーブの王女との婚姻……という選択肢があったのは、彼の国が女系で続いていたからかもしれない。 しかし、オーブの姫は既に、プラントの王子と婚約が決まっていた。 だが、アズラエルはそれでも諦めきれない。オーブの姫には神殿にあがった双子の片割れがいることを調べ上げたのだ。姫との婚約がかなわないなら、そちらをよこせ、と言ったらしい。 しかし、オーブでは神職に就いたものは性別を隠す。 姫であるのかもわからない相手を婚約者とすることはアズラエルでもできなかった。だから、表向きは自国の神殿へ招くという形だったようだ。 もし、それを拒めば、全軍をオーブに進軍させるという脅し付でだ。 それに怒ったのは、オーブだけではない。プラントも、そしてその周辺の国も、一息にオムニへの抵抗を強めた。 何よりも力強かったのは、プラントに賢者と呼ばれていたラクス・クラインが戻ってきたことだろう。 彼女の教えで、人々はアズラエルの禁呪を打ち破ることに成功した。それを知った者達の多くが、オムニへ反旗を翻したのは当然のことだろう。 次第に追いつめられていったアズラエルは、全ての憎しみをオーブへと向けた。 そして、自ら軍を率いて彼の地へと攻め込んだのだ。 「カガリ!」 男装に身を包んだ彼女を止めようとしたのは、彼女の双子の片割れであったキラだ。 「君が行ってどうなるの?」 この言葉に、カガリは一瞬動きを止める。 「確かに、私が行ったところでどうなるとは言い切れない! だが、少なくとも兵士達の士気を高めることはできるだろう!」 それに、と彼女は付け加えた。 「アスランだけではなく、ラクスも来るんだ。それこそ、私が物陰に隠れているわけにはいかないだろうが」 この言葉に、キラは返すべき言葉を見つけられなかったのだろう。困ったように目を伏せる。だが、すぐに顔を上げるとカガリを見つめた。 「僕も、行くからね」 そして、きっぱりとした口調でこう告げる。 「キラ!」 「君が国を守るのが義務だ、というのなら……君を守るのが僕の義務だ」 たとえ、自分自身の命と引き替えにしたとしても。キラはしっかりとした口調でこう言い返す。 「……お前は……」 即座にカガリはキラを怒鳴りつけようとする。 「君だけじゃなく、アスラン達もいるなら、余計に、だ!」 自分だけ安全な場所にいられると思うのか……とキラは一足早く叫び返す。 「その気持ちはわかるが、私が向かうのは戦場だぞ! たくさんの人間が死んだり傷ついたりする場所だ!」 それに耐えられるのか、と聞かれてキラは唇をかむ。 「わかっている。わかっているから、行くんじゃないか!」 だが、すぐにこう口にする。 「邪魔しても、行くからね!」 歩こうと何しようと……と言うキラに、カガリはそれ以上、反対ができなかった。目の前の存在が自分に負けず劣らず頑固だ、と言うことを彼女はよく知っている。そして、反対すればするほど、無茶をすることも、だ。 「……わかった……」 渋々といった様子で、カガリは言葉をはき出す。 「ただし、お前は絶対に誰かを傷つけるな! いいな」 それに、キラは静かに頷いて見せた。 だが、それが悲劇の始まりだった。 アズラエルは自分一人だけが滅びるつもりはなかったのだろう。 己が屠られると同時に発動する呪いをその身にかけていたのだ。 だが、それはアズラエルの思惑は果たされなかった。 「あの方は、その呪いを一身に受けてしまわれた。そのまま、一人であの場におられる。呪いが解かれるその日まで、永遠に」 それがいつなのかはわからない……とギルバートは呟く。 「ただ、ラクス様が言い残されている。その手に運命を握るものが現れたとき、あの方は自由を取り戻されるだろう、とな」 運命とは何であるのか。 そして何をしなければいけないのか。 それはわからないのだが……という彼の言葉に、シンはそれでは意味がないのではないかと思ってしまう。 「しかし……私が生まれてから、あの地に足を踏み入れたものは……君が初めてなのだよ」 そして、あの地から戻ってきた人間の話を聞いたことはない。彼はそう付け加える。 「義父上?」 「だからね。ラクス様のおっしゃる《運命》とは何を指しているのかはわからないが……あの方を呪いから解放するのは君ではないか、と私は思いたいのだよ」 でなければ、悲しすぎるだろう? 何が、とか誰が……と言われなくても、シンにもわかる。 「でも……俺はレイみたいに頭がいいわけでも、ミーアみたいな才能もないんですが」 それなのに、どうして……とシンは思う。 「君は、あの方とまた会いたい、と考えているのだろう?」 「はい。あの人と、そう約束しましたから」 もっとも、本人からの答えを聞く前に出てきてしまったけれども……と言うことは口にしない。 「その気持ちだけで十分だと思うよ。君はまだ子供なのだし……これからがんばれば、レイよりも強くなれるかもしれない」 そして、心優しい人間になれるだろう……とギルバートは付け加える。 「君達には、それぞれ別の役目がある。だから、同じような人間にならなくていいのだよ」 違うかな? という言葉に、シンは頷いて見せた。 「だからね……まずは自分の身を守れるようになりなさい」 そうしなければ、あの方を悲しませることになるよ……と言われて、そうなのだろうか、とも思う。 「それに、一人であの地に行けるようになった方がいいのではないかね?」 いつもレイに送ってもらうわけにはいかないだろう、と彼は低い声で笑いながら付け加える。 「もっとも、できれば誰かと一緒に行くか……一声かけてもらった方がいいかもしれないがね」 行方不明になっても騒ぎにならないように……という言葉にはどう反応を返せばいいのだろうか。シンは本気で考えてしまった。 ただ、それからのシンは、今まで逃げ出していた勉強にもまじめに取り組むようになったのは事実だ。 それも全て、いつかはキラを自分があそこから解放してやれるかもしれないという可能性があるからだった。 誰に何を言われてもいい。 あの人の本当の笑顔が見られるなら。 そして、あの人をこの世界に戻してあげられるのなら、それで十分だ。 シンはそんなことを考えていた。 「……本当に、君は……」 もうここに足を運ぶのは何度目だろう。そんなことを考えながら、シンはキラを見つめていた。 「どうして、ここに来るの?」 そんな彼にキラはこう問いかけてくる。 「危ないって……前にも言ったよね?」 それなのにどうして……と付け加えた。 「貴方に会いたいからに決まっているでしょう?」 こう言って笑えば、キラは辛そうに目を伏せる。どうしてそんな表情をするのだろうか……と思いながら、シンはそっとキラの頬に触れた。 「こうしていれば、俺にはあの声が聞こえないし……それに、貴方のことを忘れないって証明にもなるでしょう?」 違いますか? とシンは逆に聞き返す。 「……でも、ここは危険だって……」 シンが他の者達のように取り込まれてしまっては、その方が悲しい……とキラは言い返してきた。 「貴方が側にいてくれれば、大丈夫ですよ」 そんなキラに向かって、シンはこう言って微笑む。だから、かならず会いに来て欲しい、とも。そうすれば、自分はあの声を聞かなくても大丈夫だから、と付け加える。 「……シン……」 「それに……今は無理だけど、かならず、俺がここから貴方を連れ出しますから……」 だから、その方法を探す手伝いをして欲しい、とシンはキラの瞳をのぞき込んだ。 「無理、だよ」 そんなこと……とキラは言い返す。同時に、その瞳にはあきらめの色が浮かんできた。 「どうして、ですか?」 何故、試す前から諦めているのだろう。それとも、誰かそうしようとして失敗したのだろうか。 「……ミゲルもそう言ったよ……そして、カナードも」 でも、二人ともできなかった。 そして、二度とここには戻ってこなかったのだ……とキラは呟く。 「それでも……ここに取り込まれるより、来なくなってくれた方がいいんだけどね」 その言葉が嘘だ、とシンにはわかった。その時のキラは、とても寂しげな表情をしていたのだ。 「……二人とも、探しに行ったのかな」 だから、シンは代わりにこう口にする。 「シン?」 「ラクス・クラインの言葉が残っているんです。『その手に運命を握るものが現れたとき、あの方は自由を取り戻されるだろう』って」 運命とは何であるのか、いまだにわからないのだけれど……と、きっと、彼等はそれを探しに行ったのではないか。 キラの所に顔を出さなくなったのは、そのせいだろう。シンはそう付け加える。 「僕の事なんて……放っておいてくれれば良かったのに……」 それを耳にした瞬間、キラは悲しいまでに透明な微笑みを浮かべた。 「そうすれば、二人とも……幸せに暮らせたはずなのに……」 自分に関わったせいで、不幸になったのではないか。キラはそう言いたいらしい。 「そんなわけないよ!」 シンはそんなキラに向かって叫ぶ。 「キラのために、最後まで努力したんだよ。その間は、きっと幸せだったに決まっている!」 キラを解放してやれなかったことだけが心残りだったかもしれないけど……と言い返しながら、シンはその名前に聞き覚えがあるような気がしてならなかった。あるいは、城に戻って調べれば何かわかるのだろうか。こんな事も考えてしまう。 「……そうかな」 キラが小さな声で呟いた。 「そうだよ。俺だって、同じことすると思うから」 そんなキラに、シンはこう力説をする。 「みんな、キラをここから解放したいと思っているんだから」 だから、信じて……とシンは付け加えた。 「……でも……」 「せめて、今だけでもいいから……俺を信じてください」 こう言いながら、シンはキラを抱きしめる。そうすれば、予想以上にその体が華奢だ、とシンは初めて知った。 「お帰り」 森からでた瞬間、いきなり声をかけられる。視線を向ければ、派手としか言いようがない色彩を持った相手が手を振っているのがわかった。 「今日は、ハイネだったんだ」 律儀に、見張ってなくてもいいのに……とシンは思う。 「まぁ、たまたまな」 しかし、ハイネは気にするな……というようにこう言い返してきた。 「それよりも、何か、気になることでもあるのか?」 ここにしわが寄っているぞ……と付け加えつつ、彼はシンの眉間を指でつついてくる。 「……人の名前を聞いたんだけどさ……聞き覚えがあるのに、思い出せねぇんだよ」 それが気持ち悪いのだ、とシンは言葉を返す。 「誰よ、それ」 教えてみろよ、とハイネは口にする。ひょっとしたら、自分が知っているかもしれないぞ、と。確かに、可能性はあるな……とシンは思う。 「ミゲルと……カナードだったかな」 知ってる? といいながらシンは彼を見上げた。 「……ミゲルが、ミゲル・アイマンなら……うちの先祖だな。カナードっていうのは、ひょっとして、カナード・バルス様か? デュランダル様のご先祖のはずだ」 少しはまじめに歴史も勉強しろ……と言われて、シンは思わず視線をさまよわせる。 「で? 中の方から聞いてきたのか、その名前」 まぁ、いい……というようにハイネはこう聞いてきた。 「あぁ……あの人を解放しようとしていたらしいんだけどさ。できなかったんだと。でも……何か、書き置きでも残しておいてくれないかなって、そう思っただけ」 ヒントでもあれば、かなり楽なんだよな……とシンは呟く。 「そうだな」 ハイネはそう言いながら、シンの肩に腕を回してみる。 「探しておいてやるからさ。今日は戻ろうぜ」 カナードの日記か何かは、城の図書室にあるかもしれないし……という言葉にシンは頷く。それならば、レイかミーアあたりが知っているかもしれないな、とも思う。なら、話は早いのだが……と、シンは心の中で呟いていた。 「カナード様の日記?」 シンの問いかけに、ミーアが可愛らしく首をかしげてみせる。 「知っているか?」 「……確か、あったと思う。読みたいの?」 「あぁ……あの人の言葉にカナード様の名前が出てきたから、何か書いてあるか、と思ってさ」 こう言えば、ミーアは納得したらしい。 「後で、探して持っていってあげる。レイが探していたから、先に行った方がいいと思うんだけど?」 あるいは父上の代わりに何かを聞こうとしているのかもしれないわ……と彼女は付け加える。 「わかった。ありがとうな」 こう答えると、シンはいったん歩き出そうとした。しかし、すぐ足を止める。 「シン?」 「これ、渡そうと思っていたのを忘れてた」 そして、腰のベルトに挟んでいた枝を取り上げる。 「みんなで、一緒に楽しんでくれ」 そして、差し出せばつぼみが小さく揺れた。 「うわぁ、綺麗。ありがとう」 そうすれば、ミーアは嬉しそうに微笑んでみせる。 「じゃ、頼むな」 今度こそ、シンはミーアから離れると駆け出すようにして廊下を移動し始めた。 「走ったら、怒られるわよ!」 そんなシンの背中に、ミーアのこんな声が飛んでくる。 「大丈夫だって!」 ばれなきゃいいんだよ、とシンは言い返すと、そのまま廊下を曲がった。 「本当に、シンは」 こう呟くミーアの表情は今までのそれとはまったく違っていた。 「でも、ようやく正解に近づいてきたのかもしれないわ」 これならば、あるいは……と彼女は呟く。 「それにしても、懐かしいわね、この花」 これをあの人と一緒に見られる日が来ることを祈りましょう。こう呟くと、ミーアはきびすを返す。そして、そのまま歩き出した。 幸か不幸か、誰にも怒られることなくシンはレイの部屋までたどり着いた。しかし、ここで気を抜いてはいけない。そう思って、呼吸を整える。 「レイ?」 そして、ドアをノックすれば、すぐに中から声がかけられた。 「ミーアから聞いたんだけど、何の用だ?」 それを聞いてから、シンはこう口にしながらドアを開ける。 「あぁ」 ともかく、中に入ってこい……とレイは声をかけてきた。それに、シンはお小言か、と心の中で呟く。こう言うときはたいがいそうなのだ。 「……で?」 しかし、最近はお小言を言われるようなことはしていない、と思う。確かに、キラの所に入っているが、それでも戻ってきてから七日は間隔を開けるようにしているし、その間はきちんと義務を果たしていたはずだが、と。 「安心しろ。小言ではないから」 それが表情にでていたのだろうか。レイが苦笑と共にこう言ってくる。 「じゃ、何なんだよ」 心配しただけ損じゃないか……と思いながら、シンは言い返す。 「……ちょっと気になる記述を見つけたんだ。あの方に関して」 で、お前の意見を聞こうか、と思っただけだ……とレイはシンを見つめてくる。 「キラの?」 思わずこう言えば、レイはかすかに眉を寄せながらも頷いて見せた。 「何か……今日はいきなり事態が動き出したな」 こう呟きながら、シンはレイのそばに歩み寄っていく。 「シン?」 「他にもさ。カナード様とミゲル・アイマンの日記に、あるいは……って言う話になったんだよ」 「そうか」 あるいは、そういう時期なのかもしれないな、とレイは呟いた。 「だといいんだがな」 だとすれば、キラが自由に世界を歩ける日が近いのだろうか。そうであればいいな……とシンは思った。 「……キラを、あそこから解放する手段は、ないのか?」 アスランの問いかけに、ラクスは小さなため息をつく。 「今は、不可能だ……としか申し上げられませんわ」 ですが……と彼女は続ける。 「いずれ、あの方を解放できる人間が生まれるでしょう。プラントとオーブの血の末に。そして、その中に、私の血脈もいずれは混じるでしょう」 その中に《運命》を手にすることができるものがいるはずだ。ラクスはこう口にする。 「運命?」 「何なんだよ、それは」 アスランだけではなく、側にいたカガリもこう問いかけてきた。 「……それはまだ見えません……ですが、それを手にするものでなければ、キラを呪いから解放できませんわ」 その手がかりを、あるいは近いうちに誰かが見つけ出してくれるかもしれない。ラクスはこう付け加える。 「……私たちは、その場には立ち会えないんだな?」 今度は、カガリはこう問いかけてきた。 「残念ですが……」 不可能だ、とラクスは言い切る。 「だが、俺たちの子孫であれば、可能だ、と?」 「そう言うことに、なりますわね」 それも、いつになるかわからない、と彼女は付け加えた。 「それでもかまわない。キラの側に、誰かがいるというのであれば……」 だから、とアスランは視線をカガリへと移す。 「結婚しよう、カガリ。キラのために」 シンの手元に、ミゲルとカナードの日記が届けられたのはそれからすぐのことだった。 はっきり言って、他人の書いた字なんて読みにくいの一言だ。いつものシンであれば、既に放り出していたに決まっている。それを我慢しながら読み進めていたのは、もちろん《キラ》の存在があるから、以外の何物ではもない。 「……アズラエルって野郎は……北の地の奴だったのか」 そして、彼が使った禁呪は、彼の国で残されていたものらしい。そして、その術には媒介が存在している。それに、アズラエルは自分の意識を移したはず。だから、それを解くにはその媒介を壊せばいいのだ……と言うところまでミゲルは調べたらしい。 だが、どうすれば破壊できるのか。それは彼は見つけられなかった。だから、彼はキラの元に戻れなかったのか、とシンは思う。 その方法を見つけたのはカナードだ。 ラクス・クラインとアスランとカガリの血をひいた男。ついでに言えば、ハイネとも血縁と言うことになるのか。 「……何で、誰もこれに気づかなかったんだろうな」 こんなにはっきりと書いてあるのに……とシンは呟く。それとも、これは読める人間が限定されているのだろうか。 「可能性はあるな」 カナード・バルスはラクス・クラインの才能を色濃く受け継いでいたらしい。だから、この文字が読める人間を《運命》を手にできると認められる相手だけに限定したとしてもおかしくはないのではないか、と思う。 逆に言えば、これが読める……と言うことは、自分は《運命》を手にできると認められたと言うことか。シンは胸が躍った。 そして、その《運命》は、城内に隠されているらしい。 「……これは……義父上に許可をいただかないといけないのか」 面倒くさい……とは思う。だが、そうしなければ宝物庫の鍵を開けてもらえない以上、仕方がないのか、と自分に言い聞かせる。 「……問題なのは、ついてこられることかもしれないな」 そして、あれこれ邪魔されることだろうか。 だが、彼等にしても《キラ》が解放されることを望んでいるのだ。だから、最終的には許可をもらえるはずだ、と思う。 「義父上に暇があればいいんだろうけどな。レイに聞けば、わかるか」 自分とは違って、彼は既にギルバートの補佐をしているのだ。 それは彼がミーアの婚約者と考えられているからか――それはすなわち、将来の国王と言うことになる――もしれない。 あるいは、自分が自由に動けるように彼等はあえて自分を国政から遠ざけているのだろうか。 どちらでもいいけどな……とシンは思う。 別段、国王になりたいわけではない。 自分が望むことは、キラの隣で生きることだけなのだから、と心の中で呟くと、シンは気づいた場所にしおりを挟む。そして、そのままそれらの日記を小脇に抱えると立ち上がった。 「……まさか、探しているものが自分の足下に隠されていたとはね」 シンの予想通り、と言うべきだろうか。レイから話を聞いたギルバートは自分も立ち会う、と口にした。もちろん、レイもだ。 「だが、それがカナード様が行われたことだ、というのであれば考えてみるべきだったのだろうが」 そう言いながら、彼は目の前の重厚な扉の鍵を開けた。その瞬間、どこか黴くさい空気が彼等に向かって流れ出してくる。 「……ここしばらく、開けていなかったからね」 すまないな……という彼に、困ったような表情でシンはレイを見つめた。彼であれば何かいいセリフを口にしてくれるのではないか、と思ったのだ。しかし、レイは小さく首を横に振ってみせるだけである。もっとも、ギルバートがまったく気にしていないからいいのかもしれない。 「それにしても……ここの中にあるものは一通り確認していたのだが……」 それらしきものは見つけられなかった、とギルバートは悩んでいる。 「あの文章と同じなのではありませんか?」 シンが気づかないうちは他の誰にも見つけられないのではないか、とレイが口にした。 「なるほどね」 その可能性はあるかもしれない、と頷くギルバートに、シンはどうでもいいが早めにどいてくれないかな……と感じてしまった。そうすれば、すぐにでも確かめられるのに、と。 「それならば、シンに任せてしまった方がいいのかな?」 彼であれば、すぐに見つけられるだろう。 まるでシンの気持ちを読んだかのようにギルバートがこう言った。そして、シンのために体をずらして通路を開けてくれる。 「失礼します」 はやる気持ちを抑えられないものの、それでも礼儀を忘れることなくシンは奥へと進んだ。 まるでそのシンを導くかのように何かが呼びかけてきている。 それを確かめようと手を伸ばしたときだ。 「うわっ!」 そんなシンの上に音を立てて物が落ちてくる。 その時だ。 シンの手が、何かを掴んだ。 「シン!」 「……大丈夫だね?」 そんなシンの元に二人が駆け寄ってくる。だが、それすらシンには気にならなかった。 「……これが……?」 シンの手の中にあったのは、一振りの剣である。だが、これが《運命》ではない。《運命》というのは、この剣の柄に埋め込まれている三種類の宝石のことだ、とカナードが書き残していた。 中央に埋められた、ひときわ大きな碧の宝石。 その両脇に埋め込まれた蜂蜜色の宝石。 そして、それらを取り巻くうす水色の宝石と刻まれた文様が《運命》を表しているのだと、カナードは書き残していた。 これを完成させるために、カナードはその人生の後半を費やしたのだとか。 ならば……とシンは思う。 これを使って、自分はキラを解放する。そして、その隣でキラを守って人生を終えるのだ、と。 「これが、運命を担う剣です、義父上!」 シンはそれら全ての思いをこめて、こう口にした。 「……どうやら、貴方のおっしゃるとおりになりそうですよ……」 部屋に戻った瞬間、ギルバートは微笑む。 「良かったこと」 そうすれば、彼女はこう言って微笑んだ。 「ですが、まだですわ。まだ、終わったわけではありません」 これからが本番なのだ。そういう少女に、ギルバートは小さく頷いてみせる。 「明日、シンはあの方の元に向かうと言っております」 あの子に貴方のご加護を……というギルバートに、少女はふわりと微笑んで見せた。 「……だから、なんで今日に限ってお前らが付いてくるんだよ」 シンは両脇を固めるようにしているレイとハイネに向かってこう怒鳴る。 「気にするな」 相変わらず、レイは一言でこう言い返してくるし、 「ここでお前にこけられたら、全部水の泡だからな」 だから、ドジらないようについて行ってやるだけだ、とハイネは笑うだけだ。 「そんなに、俺のことを信用していないわけ、お前ら」 だとするなら、来るな! とシンは怒鳴り返してしまう。 「ひどいな。俺がそんな風に考えていると思っているのか、お前は」 そうすれば、わざとらしいセリフが返ってくる。 「思ってるって言えば、どうするんだ?」 「ひでぇな」 シンの言葉に、ハイネはわざとらしい口調で言い返してきた。 こんな何気ない会話が、ありがたい……と思う時間があるとは思わなかった。それがシンの本音である。 やはり、自分は緊張しているのだろうか。 そんなことすら考えていた。 「ともかく、さ」 不意にハイネが口調を変える。 「お前にできる精一杯のことをすれば、いいだけだろう?」 シン以外の誰にもできないんだから。この言葉から、彼等は自分を緊張させないために付いてきてくれたのかもしれない、とシンは思う。 「わかってるって」 そう。 取り立てて才能がない自分にできることは、精一杯の努力をするだけだ。そうすれば、きっと、これは力を貸してくれるだろう……とシンは腰に付けた剣に意識を向ける。 「見えてきたぞ」 レイの冷静な声が、再びシンの意識を現実に戻した。 「お前が、あそこに足を踏み入れてしまえば、俺たちには手助けをしてやることはできない……それでも、ここでお前の帰りを待っていてやる」 だから、かならず帰ってこい。 レイはまっすぐにシンを見つめるとこう告げる。 「わかってる」 そんな彼に微笑み返すと、シンは馬を下りた。 「今度は、かならず二人でここから出てくるよ」 二人に向かって宣言をする。そして、いつもの通りの足取りで森の中に踏み込んだ。 「こいつのせいかな?」 今日はキラに触れていないのにまったく声が聞こえない。 だが、それはまずいのではないだろうか。 「……どこにあいつの媒介があるのか、わからないじゃないか」 それとも、と思い直す。キラ……なら、知っているのだろうか。 「ともかく……キラに会わないと」 優先すべきなのはそれだろう。そう考えてシンは周囲を見回す。そうすれば、見慣れた華奢な姿が確認できた。 「キラ!」 声をかけると共に、シンは駆け出す。 「シン?」 どうしたの、とキラは言葉を続ける。随分と大荷物だね、とも。 「調べてたら、さ。カナード様とミゲルの日記が見つかったから、キラに見せてやろうと思って」 あの二人がどのような気持ちでここから足を遠ざけたのか。こういいながらシンはもって来た袋の中からそれを取り出そうとする。だが、すぐにその動きを止めた。 「どうしたの?」 「長くなりそうだから……どこかゆっくりとできるところの方がいいかなって、思っただけ」 借り物だから、責任もって持って返らないといけないのだ。シンはそう言って苦笑を浮かべる。 「なら……僕が借りるより」 その人達が持っている方が……とキラは手を引っ込めようとした。 「だめだよ。キラには、これを読まなきゃいけない義務がある」 そのキラの手を、シンはこう言って止める。 「彼等が、どれだけキラのことを大切に思っていたのか」 それを知らなければいけない、とシンは、まっすぐにその瞳をのぞき込んだ。そうすればキラの瞳が不安そうに揺れる。 「俺の言っていることは、間違っているかな」 こう問いかければ、キラは静かに首を横に振った。 「でも……危険だって……」 「だから、キラが側にいてくれれば大丈夫だ、って今までも言っていただろう?」 触れていれば、呼ばれないんだから……と付け加えれば、キラはようやく納得したらしい。 「……僕が、いつもいる場所、でいい?」 おずおずとこう問いかけて来た。 「あぁ」 自分よりも年上だろうに、どうしてキラはこんなにも遠慮がちなのだろうか。そうも思う。自分の周囲にいる年上の連中は、もっとおしが強いのに。もっとも、キラの控えめなところも自分は好きなのだが。そう思いながら、シンはキラに導かれるがまま森の中を進んで行く。 やがて、小さな小屋らしいものが見える場所にたどり着いた。 「ここは?」 「ミゲルが……作ってくれたんだ」 まだ壊れずにあるね、とキラはかすかに寂しさをにじませながら呟く。 「その人は……キラのことが大切だったんだな」 パッと見ただけでも丁寧に作られていると思う。野営のための知識がある、とは言え、騎士がここまでできるとは思えない。それとも、キラのために努力をしたのだろうか、彼は。 「負けられないよな」 シンは思わずこう呟いてしまう。 「シン?」 「なんでもない。ともかく、それ、読みなよ。一応、キラのことが書いてある場所にはしおりがはさんであるから」 すぐに見つかるよ、とほほ笑みながら、シンは別のものを感じていた。 それは間違いなく《敵意》だ。 だが、誰の……と思う。もっとも、その答えはすぐに出た。 アズラエル。 キラをこんな目に会わせたあの男、だろう。 ここでは、キラを独占できた。しかし、そこに自分が入り込んで来たのが気に入らないのだろう。 ということは、だ。 あの男の媒介は、この側にあるのかもしれない。 それはどこなのだろう。 周囲の様子が気になる、という様子を作りながら、シンは周囲を眺める。だが、それらしいものはないように思えた。 だが、本当にそうなのだろうか。 巧妙に偽装しているだけかもしれない。そう考えて、改めて周囲を見回す。そうすれば、先ほどは見逃していたが、何か違和感を覚えるものを見つけてしまった。 それは、何の変哲もない岩のようではある。だが、これだけ緑が豊富なのに、どうしてそこだけが剥き出しのままなのだろうか。 「……シン……」 キラの細い指がシンの二の腕をつかむ。 視線を向ければ、キラがカナードのあの言葉を読み終わったのだ、ということがわかる。 「キラ」 それには直接答えずに、シンは別の疑問をぶつけた。 「あの石の回り、どうして草が生えていないんだ?」 苔も生えていないなんて、なんか埋めた? と無邪気な口調を作ってさらに言葉を続ける。 「あの石は……拾って来たんだ」 何故かと言われても、思い出せないけど……と 吐き出すキラの言葉に恐怖がにじんだいる。あるいは、自分が拾ってたものの正体に気が付いたのかもしれない。 「ふぅん」 こういいながら、シンはゆっくりと立ち上がる。そして、その石の方へと歩み寄り始めた。 「シン!」 キラの悲鳴が耳に届く。 大丈夫だ、というように、一瞬だけ視線を向けるとシンは剣の柄に手をかけた。 その瞬間、シンの視界に、今まで写らなかったものが見える。 石から沸き上がっている障気が、キラを搦め捕ろうとするかのように触手を伸ばして来ている。しかし、それらはキラがいる場所の周囲に植えられた花によって阻まれているのだ。あるいは、これもミゲルやカナード――ひょっとしたら、彼らにそれを指示したのはラクスかもしれない――のキラを守ろうとする気持ちのあらわれなのかもしれない。 しかし、それも万能ではない。 だからこそ、キラはあれを拾って来てしまったのだろう。 もう二度とそんなことがないように――そして、キラをここから解放するために――あれをどうにかしなければいけない。そのために、自分はこれを手にしたのだから。 ゆっくりと鞘から刀身を抜き出しながら、シンはそれを見つめる。 自分たちに剣の扱い方を教えてくれた師匠が言っていた。 金剛石だろうと、石の《目》とも言える場所に正確に拳をたたき込めれば、素手で割ることができるのだ、と。 この剣であれば、アズラエルの妄執ごと石を消し去ることが可能なのではないか。 そのためには、正確に石の《目》を見つけなければいけない。 一体どこなのか。 目をすがめながら、シンはそれを感じ取ろうとする。 その瞬間だった。 何かが小さな光を放つ。 「そこか!」 理由なんて分からない。ただ、それがそうだ、と感じただけなのだ。だが、そう認識した瞬間、シンはそこに渾身の力で剣を振り下ろしていた。 「シン!」 次の瞬間、断末魔の怒りがシンとキラを道連れにしようとする。 だが、何かがそれを阻んだ。 『もう、お前の勝手にはさせない!』 『キラは、私が……私達が守るんだ!』 宵闇と黄金が、二人を守ってくれたような気がしたのは、シンの錯覚だろうか。 「カガリ……アスラン?」 だが、キラの瞳には別の何かが見えたらしい。その唇が小さく誰かの名を呼んだ。 『幸せに、キラ』 『どこにいようと、私達はお前を愛している』 そのために、自分たちは子孫を残したのだから……という言葉の裏に、キラを不幸にしたらたたるぞと言う意味が隠されているような気がした。だからといって、いまさら自分はキラを手放せないだろう。そう思いながら、シンは最後の力を振り絞ってキラの体を抱き締めた。 「終わりましたわ」 鮮やかな桜色の髪がさらり、と揺れる。 「もう、キラは自由ですわ」 御苦労様でしたね、とほほ笑みながら、少女はギルバートを見つめる。 「もう、逝かれますか?」 そんな彼女に向かってギルバートはこう問いかける。 「これ以上、私の意志が表に出ていては、あなたの娘のそれが消え去りますわよ」 自分たちは目的を果たしたのだから、と彼女は笑みを深めた。 「ラクス様」 「私達は過去の存在。アスランとカガリも逝かれたのですもの」 私も眠ります、と彼女は続ける。 「ただ、忘れないくださいませ。私は逝くのではなく眠るだけです。キラが不幸せだ、と感じた時にはただではすみませんわ」 「わかっております」 ギルバートの言葉にほほ笑みを深めると、彼女はそっと目を閉じる。そのまま、彼女の体はその場に崩れ落ちる。 「それでも……」 そっとその体を抱きとめながらギルバートはつぶやく。 「私はあなたにもっと教えていただきたかったのですよ。父親としては失格かも知れませんが、ね」 その頬をギルバートは指先でそっとなでた。 意識が戻ったとき、シンは自分がどこにいるのかわからなかった。 それだけ、周囲の光景が変わっていたのだ。 「……ここ……って、キラ!」 だがすぐに腕の中の存在に気づく。 「終わったのか……全部」 だから、周囲の光景が変わったのだろうか。それとも、別の理由があるからなのか、と考えながら、シンは体を起こす。 「……光が、天に昇っていく?」 あれは何の光なのか……とシンは呟く。 「ここに……とらわれていた人たちの……魂だよ」 それに答えをくれたのはキラだ。 「キラ?」 「アスランとカガリが……彼等を連れて還っていくんだ」 でも、とキラは呟くように付け加える。 「僕は……連れて行ってもらえないんだね……」 どうして……とキラは呟く。 「そんなの、決まっているだろう?」 キラの体をそうっと抱きしめながら、シンはこう口にした。 「キラは、生きて幸せにならなきゃだめだって、みんなが考えているからだ」 そして、幸せにならなきゃ……と付け加えるシンに、キラは小首をかしげる。 「幸せ……僕の?」 「そうだよ……わからないって言うなら……それを見つけていけばいいんだ……俺も、手伝うから」 だから、といいながら、シンはキラの体を抱きしめる腕に力をこめた。 「シンが、側にいてくれるの?」 「キラが望むなら、ずっと……だから、安心して……」 俺がキラを守るから……とシンは囁く。 「……ごめんね……」 その言葉の意味がなんなのか、シンにはわからない。 「キラが謝ることなんてない……俺が、そうしたいだけだから」 だが、この腕の中のぬくもりだけは自分の手元に残して欲しい。シンはそう願っていた。 そんな二人の上に、月が優しい光を投げかける。 彼等はレイとハイネが二人を見つけるまで、そのまま静かに抱き合っていた…… 終 |