その日は、とても空が高かった。
「……カナード?」
 不意に目の前に姿を現した彼を見て、キラが驚いたように目を丸くしている。
「どうして……」
 もう来るな、といっただろう……と彼女はそのまま呟くように口にした。
「……今日は、ある方の頼みだったからな」
 キラの顔を見ても、素直に喜べない。それは、腕の中にある物のせいだろう、ということはわかっていた。
 これを渡せば、キラは悲しむに決まっている。
 それでも、と思いながらそっと彼女に歩み寄った。
「……誰が何を?」
 王である彼に頼み事が出来る人間がいるのだろうか。そう考えているのだろう。
「これ、だ」
 誰が、という部分はあえて口にしない。それでも、これを見れば誰のものかはわかるのではないか。
 そう考えながら手にしていた包みを、そっと彼女の手の上へとのせた。
「……中を見ても?」
 構わないか、とキラは言外に問いかけてくる。
「あぁ」
 これの中身を見れば、彼女は間違いなく泣くだろう。そんなときに、側に誰かがいるだけでもましなのではないか。カナードは自分の経験からそう考えていた。
 そんな彼の視線の先で、キラがおそるおそるといった様子で包みを開いていく。
 はらり、と音を立てて最後の一枚がほどかれた。
 次の瞬間、キラは荷物を持っていない方の手で口を押さえる。
 同時に、すみれ色の瞳が潤み始めた。
「……マルキオ様……」
 小さな呟きがその唇からこぼれ落ちる。
「マルキオ様の遺言だ。本はキラの手元に置いて欲しい。そして……遺髪は女神のご加護を受けている木の下に埋めて欲しいそうだ」
 キラがここから解放されるその時まで、その場で見守っているから。そういっていたのだ、とカナードは淡々とした口調で告げる。そうでなければ、自分も涙を抑えきれなくなってしまいそうだったのだ。
「知っている人が、僕を置いていく……と言うのは覚悟していたのに……」
 それでも、現実として見せつけられると辛いね……とキラは顔を伏せる。
 彼女の細い肩が震えていることから、泣いているのではないか、と思う。そういうときにどうすればいいのか、イライジャにでも聞いておけばよかったな……とカナードは心の中で呟く。
「それでも、お前の存在を覚えている人間はいる」
 それは、次の世代にも引き継がれていくはずだ。
「俺が、そうだしな」
 彼等の気持ちは、自分にも受け継がれていく。
 そして、自分の子供達にも、だ。
「……カナード?」
「全てを捨てて、ここに残れればいい。そう思う気持ちもないわけではない。だが、俺は王、だからな」
 王としての義務があるから……と付け加える。
「……そうだね……カガリもアスランも……そういっていたよ」
 個人の感情よりも義務の方が優先される、と。そういって、彼等はどれだけの物を諦めたのか。自分には推測するしかできなかった、ともキラは続けた。
「それでも、諦めきれない想いがある」
 彼等の場合、それは《キラ》に関することだった。そして、その気持ちは自分がしっかりと受け継いでしまったからな、とカナードは微苦笑を浮かべる。
「それだけではない。キラと顔見知りの神官に連なる者の中にも、同じような想いを受け継いでいる者はいる」
 それが誰のことか、彼女は知らなくていい。
 だが、とカナードは心の中で付け加える。
 自分と彼女の血をひく者の中から、きっと、キラをここから解放できる存在が生まれてくるに決まっている。
 自分が出来ないことは悔しいが、それはそれでしかたがないことだ。だから、自分はそのための下準備をする。
「……キラ……」
 だが、そのためには自分の気持ちにけりを付けなければいけない。
 いや、逆に未練が募るかもしれないが……と想いながら、そっと呼びかける。
「何?」
 言葉とともにキラは顔を上げた。その瞬間、彼女のまつげに絡んでいた涙が頬を伝い落ちていく。
「……抱きしめても、構わないか?」
 そうできなかった者達の代わりに、とカナードは告げる。
 本音は違う。
 自分が彼女の温もりを覚えていたいだけなのだ。
「……あなたが、そうしたいと言われるなら」
 自分は構わない。家族としてのそれでしょう? とキラは付け加える。
「すまない」
 言葉とともにカナードは彼女の体を抱きしめた。
 できれば、このまま時間が止まってしまえばいいのに。そう考えてしまう自分はおろかなのだろうか。
「……いつか……」
 その気持ちを振り切るかのように、カナードは静かに口を開く。
「いつか俺も……マルキオ様のようにここに戻ってきていいだろうか」
 想いだけでも、とそう続ける。
「……それは……」
「こうして、抱きしめることは出来なくなるが……それでも、お前の側にいたい……」
 全ての義務を終わらせてから、とさらに言葉を重ねた。
「……きっと、外の世界にいれば、僕のことなんて忘れるよ」
 その方がいいんだ、とキラは呟く。
「どうだろうな。俺は……あの四人の血をひく存在だからな」
 カナードは言葉とともに、そっとキラの体を解放する。
「だから、執念深いと思うぞ、俺は」
 この言葉を残して、きびすを返した。そのまま、森の外へと歩き出す。
 もし、自分が戻ってこられなくても、今のこの気持ちだけはここに残しておきたい。そんなことも考えていた。

 それから数十年後、彼は静かに目を閉じた。
 その時残された遺言の一つは、王家にいつまでも残されていた。
 しかし、もう一つの遺言はどうなったのか。それは誰も知らない。






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