事前にラクスとニコルがリクエストを取っていたからだろうか。曲目はかなりバラエティに富んでいたと言っていい。 その中にはもちろん、ウズミの前で何度も演奏した曲も含まれている。 ニコルですら初めて聞いた、と言っていたその曲は、取り立てて難しい技巧が使われているわけではない。 それでも素朴で優しい旋律は、それだからこそ演奏者の技術を如実に映し出してくれる。だからこそ、難しいと言えるのではないか。 何よりも、自分にとってこの曲は特別だ。ウズミと違った意味で、レノアもそう思ってくれているはず。だから、レノアは懐かしさと寂しさ、そして悲しさをない交ぜにした表情をしているのではないか。 そんなことを考えながら、キラはそっと弦から弓を離す。 静かな余韻が周囲に広がった。 それが消えると同時に、拍手の音が聞こえる。真っ先にそれを送ってくれたのはウズミだった。 次第に、その拍手は他の者達にも広がっていく。その事実に、キラは内心ほっとしていた。どうやら、みんなに満足してもらえる演奏が出来たらしい。 自分が満足できる演奏と聞く人が満足できるそれは微妙に異なる。もちろん、どちらか片方を優先すべきものでもない。 だから、どちらも満足できるそれは嬉しいのだ。 そんなことを考えながらさりげなく視線を下手に控えていたニコルへと移動させる。それに彼は小さく頷いて見せた。 「では、次はわたくしの歌ですわね」 さりげなくラクスが簡易ステージの上へと上がってくる。彼女に場を譲りながら、キラはニコルの方へと歩み寄っていった。 「大丈夫。アスランにはまだ気付かれていませんから」 にこやかな表情でニコルがこう囁いてくる。 「でも、本当にいいんですか?」 だが、直ぐに彼はこう問いかけてきた。それにキラは微笑みながら頷き返す。 先日、ウズミが色々と教えてくれた。その言葉で、自分の中にあった様々な感情が整理できたと思う。 だからこそ、一歩前に進まなければいけないのではないか。 流石に、外に出る、というのは難しい。 でも、このくらいなら大丈夫ではないかと自分の中で思えることに挑戦してみよう。 その中の一つがニコルに頼んで準備をして貰ったことなのだ。 「アスランは喜ぶでしょうが……」 自分は少し面白くない。彼はそう続ける。 「でも、キラさんがそれで前に進めるというのであれば、いくらでも協力しますよ」 結果的にアスランを喜ばせることになったとしても、と笑いながら付け加えた。その代わり、とニコルはさらに言葉を重ねる。 「キラさんが大丈夫になったら、その時は僕と一緒にリサイタルをしてくださいね」 彼はしっかりと自分の要望を口にした。 そんなニコルに向かって、キラは小さく頷いてみせる。 二人の傍にあるスピーカーから柔らかな音が流れ出した。これは、ニコルのアレンジを元にキラが打ち込んだラクスの新曲だ。どうやら、一足先にここでお披露目をするつもりらしい。 「では、僕たちも次の準備をしましょうか」 言葉ととにニコルが手を差し出してくる。キラはためらうことなくそれを握りかえした。 「気付いておられる方は多いと思いますけど、この曲を実際に皆様の前で演奏するのは初めてになります」 ラクスの言葉に頷いているのは、主に自分たち幼なじみ組とその母親だ。男性陣は訳がわからないという表情を作っている。このあたりは、彼等の音楽に対する興味関心を表しているのではないだろうか。それとも、彼等にはそれだけの余裕がないと言うことか……とアスランは悩む。 もっとも、自分にしても似たようなものかもしれない。 キラの演奏以外は――それがラクスやニコルのものでも――耳を通り抜けていくのだ。 こんなことを考えながら、アスランはステージの上の三人へと視線を向ける。 次の瞬間、彼の目が大きく見開かれた。 「……キラ……」 無意識に唇から彼の名前がこぼれ落ちる。それが聞こえたのだろう。キラはふわりと微笑んで見せた。 「どうかしたのか?」 ディアッカがそっと問いかけてくる。 「……キラが持っているのは、俺の作ったバイオリンだ……」 そんな彼に、アスランはまだどこか信じられないという口調でこう言い返す。 「マジ?」 「あぁ」 自分が見間違えるはずがない。でも、キラがこんな風に人前であれを弾いてくれることはなかった。いや、引いても直ぐに手放していたのに、とアスランは思う。 「……あいつも、何か吹っ切れただけだろう」 驚くことではない。イザークが冷静な口調で言葉を綴る。 「それよりも、いい加減黙れ」 演奏が聞こえなくなるだろう、と彼は続けた。 そうかもしれないが……と思いつつ、アスランはステージの上へと視線を戻す。そんな彼の前で、キラの手の中のバイオリンが高らかに音を奏で始めた。 終 |