崖の下



「おい!」
 シンは目の前で起きた出来事に真っ青になってしまう。
「何でお前まで飛び降りるんだ!」
 こんなことがレイやアスランにばれたらどうなるか。
「俺に任せておけばいいだろうが!」
 そのための訓練も自分は積んでいるのだ。
 確かに、キラもコーディネイターだから、このくらいは何ともないのかもしれない。それでも、彼は守られるべき子供ではないか。こんなことを考えながら、シンは慌てて海面をのぞき込む。
「……って、あれじゃ無理だ」
 相手が泳げるようであればキラでも何とかできたかもしれない。しかし、パニックを起こしている自分の倍以上はある人間をキラ一人で助けられるわけがない。
「仕方がないな」
 どのみち、助けにいくつもりだったのだ。
 それに、キラは自分一人でも何とかできるだろうから、あの少女だけ助ければそれでいいだろう。後のことは、その後で考えればいいか。
 そう判断すると、シンもまた空へと身を躍らせた。

 キラの手も借りて、パニックがまだ収まらない少女を崖の下の岩場に引っ張り上げる。
「もう、恐くないよ。ね?」
 こう言いながら、キラが少女をなだめている。
「俺もキラも、お前を傷つけたりしないから……」
 さっき、自分が口にした『死にたいのか!』というセリフが少女のパニックをさらにひどくしたことをシンは覚えていた。だから、慎重に言葉を選びながら彼女に声をかける。
「……お姉ちゃん、ケガ、してる」
 キラがまた口を開く。
「あぁ……取りあえず、ハンカチで止血しておくか……後は、火、だなとりあえず」
 こう言いながら、シンはポケットからハンカチを取り出す。取りあえず、洗濯し終えたのを持ってきておいてよかったな……とシンは意味もなく考えてしまう。それでも、手の方は手早く作業を終えた。
「キラ。枯れ木を探すの、手伝ってくれ」
 そうしたら、たき火ができるから、暖まれるぞ、とシンはキラに声をかける。
「んっと……もっと?」
 しかし、その時にはもう、一抱えもある小枝を持ってキラが立っていた。
「……もう少しあった方がいいな」
 火を点けるには十分だが、服を乾かすには足りないかもしれない。そう告げれば、キラは「わかった」と言ってまた小枝を探しに行く。
「……ステラも、探す」
 そんなキラの後を追いかけるように少女も立ち上がった。
「……ステラって、名前なんだ」
 シンはこう呟く。それにしても、キラと同じような言動をしているような気がするが、ひょっとして……と思う。それならば、さっきのことも納得できるが。だからといって、肉体的には自分とそう変わらない年齢だから困るよな……とため息をつく。
「取りあえず、火を点けるか」
 それからどうするかを考えよう……と思う。どうやって上に戻るかも考えないといけないだろうし。しかし、キラはともかくステラが泳げないのは困る。それでは、ここを上るか、誰かに迎えに来てもらうしかないだろう。
「……まぁ、キラがいるから……いいわけはできるか」
 それよりも二人に風邪をひかせない方が先決だ。シンはそう考える。
「アカデミーで、何であんなレトロな方法を教えるのか……って思ったけど、実際役に立っているもんな」
 マッチも何も使わない方法で火を点けるなんてやることないだろうと思ってたのになぁ……と呟きながら、シンは手早く火をおこした。

「やっぱ、泳ぐのも上るのも無理だよな」
 自分一人じゃ、二人を安全に移動させることはできない。シンはそう結論を出した。
「誰かに来てもらうか」
 不本意だが……とシンは首に下げたエマージェンシー装置を引っ張り出す。
「シン、お兄ちゃん……」
 そんな彼に、キラが心配そうに声をかけてくる。
「大丈夫? 怒られない?」
「少しはな。でも、お前らを危険にさらすよりマシだって」
 気になるならフォローよろしく……と付け加えればキラは首を大きく縦に振って見せた。
「だって、僕のせいでしょう?」
 シンの言うことを聞かずに飛び降りちゃったから……とキラは口にする。
「そう言うところも気に入っているんだから、気にするなって」
 ただ、キラの場合、やろうと思っていたことと年齢があわなかっただけだ。誰かを助けようとする気持ちは大切だろうし……とシンは笑う。
「……シン……」
 二人の会話を聞いて何かを感じ取ったのだろうか。ステラが小首をかしげつつ彼の顔を見つめてきた。
「大丈夫。ちゃんとうちに帰してやるよ」
 ネオとかって言う奴の所に返してやるって……とシンは笑う。そして、その表情のままスイッチを入れた。
「多分、アスランかレイか……どっちかが来るだろうな」
 キラが一緒だから……とシンは呟く。
「……そしたら、僕が悪かったって言うから」
 だから、お兄ちゃんを怒らないでってお願いするね、とキラは口にする。
「そんなこと、気にしなくていいって」
 まぁ、そう言ってくれるからキラは可愛いんだけどな……とシンは笑う。そのまま、彼の体を抱き上げると遠慮なくその髪の毛をなでた。
「……ステラも」
「え?」
「ステラも、なでて」
 彼女はこう言ってくる。その言葉に、何か違うのではないか……とシンは思わずにはいられない。それでも、期待に満ちた眼差しを向けられればむげに返すこともできないシンだった。

「だからね……お姉ちゃんが落っこちて、それで僕が先に飛び込んだの」
 そんな自分たちをシンが助けに来てくれたのだ……とキラがアスランに説明をしている。その隣では、ステラが心配そうな表情でアスランの顔を見つめていた。
「……わかった……怒らないでおくよ、取りあえず」
「ちょっと話し合いは必要だがな」
 アスランの言葉の後を引き受けるかのようにレイがこういう。
「……お兄ちゃんを怒ったら、泣くからね、僕」
 それは何か違うのではないか。シンだけではなく他の二人もそう思ったらしい。だが、彼等がキラに泣かれるのを嫌がっているというのも事実。もちろん、その中に自分も含まれているのだが、とシンは心の中で呟いたときだ。一台の車とすれ違う。
「あっ!」
 その瞬間、ステラが急に声を上げた。
 相手の方も彼女の存在に気づいたかのように戻ってくる。
「お姉ちゃんのお知り合い?」
「そう」
 キラの問いかけに、ステラはこくりと頷いて見せた。
「……じゃ、お別れなんだ……」
 ちょっと寂しいかも……とキラは呟く。
「ステラも」
 そう言いながら、彼女は何かをポケットから取り出した。
「あげる」
 今日のお礼……と言いながら、キラの手のひらの中に何かを落とす。それを見て、キラはふわりと笑った。
「じゃ、これと交換ね」
 そして、自分のポケットから白い貝殻を取り出すと彼女に渡す。
「うん」
 きれいね……と笑う彼女にキラも微笑み返している。その光景が妙に幸せそうに見えてならないシンだった。

「取りあえず、これからは二人だけで出歩くのは禁止だよ」
 帰り道、アスランがこういう。
「二人だけだと、ストッパーがいない……というのがよくわかったからな」
 もっとも、出歩ける機会がこれからそうそうあるとは思えないが……とレイも口にする。
「お散歩、できなくなるの? シンお兄ちゃんと一緒だと楽しいのに」
「だから、どうして、シンが『お兄ちゃん』なんだ?」
 キラの言葉に、レイが今ひとつ気に入らないというようにこう口にした。
「キラのお兄ちゃんは、俺とラウだろう?」
 そういう問題なのか? とシンだけではなくアスランも悩んでしまう。
「でも、お兄ちゃんだもん」
 だからお兄ちゃんでいいの、とキラは言い返す。
「アスランもね〜、お兄ちゃんって呼ぼうと思ったの。そうしたら《アスラン》でいいって言うから、やめたんだ」
 自分より年上の人はみんなお兄ちゃんでしょうとキラは付け加える。それに反論をすることができない彼等だった。

 この鬱憤は、のこのこと現れたデュランダルへと向けられることになる。それはまた別の話であろう。




06.03.19 up



 と言うわけで、ステラ登場です
 そのうちネオさんにも出てきてもらおうかと思いつつ、なかなかチャンスがなさそうですね。難しい。