バレンタインキラが棚の上の商品を買おうと手を伸ばしている。だが、後少しのところで届かない。 「……う〜〜っ……」 どうしようとキラがうなったときだ。 すいっと細い指がキラの背後から伸びてくる。そして、それを取り上げた。 「これが欲しいのですか?」 誰が、と思いながら視線を向ければ、桜色の髪をした女性がふわりと微笑んでいるのがわかる。 「お姉さん、誰?」 キラは思わずこう問いかけてしまう。 「アスランの知り合いですわ」 柔らかな声で彼女はこう言い返してくる。 「アスランの?」 本当、とキラは小首をかしげた。 「本当ですわ」 こう言いながら、彼女はどこからかピンク色の丸いものを取り出してはキラの前に差し出す。それと同じものをキラは知っている。 「ハロだ〜〜」 アスランが作ってくれると言っていたものと同じだ、とキラは口にした。 「そうですわ。これはアスランが私に作ってくれたものですの」 これが証拠になりません? と彼女は問いかけてくる。 「……そうかもしれないけど……」 でも、とキラは思う。 「アスランから聞いたわけじゃないし……」 あまりいい《お知り合い》じゃない可能性もあるのではないか。キラはこう口にした。 「ラウさんやレイお兄ちゃん達にも、知らない人には注意しなさいって言われているの」 だから……とキラが付け加えたときだ。 「キラ、欲しいものはそろった?」 こう言いながらアスランが顔を出す。 「……ラクス……」 しかし、彼女の顔を見た瞬間、思い切り目を丸くしていた。 「お久しぶりですわね、アスラン」 それにはかまわず、彼女――ラクスはきっぱりとこう言い切る。 「貴方がキラに会わせてくださいませんから、私から参りましたのよ」 ついでに、他のメンバーも同じ気持ちだ……とラクスは付け加えた。その瞬間、アスランの表情が複雑なものへと変化していく。 「……アスラン?」 どうかしたの、キラは彼の服の裾を引っ張る。 「何でもないよ……そうだな、厨房はアークエンジェルでも借りられるか」 もっとも、一応報告だけはしておかなければならないが……と付け加えながら、アスランはキラの体を抱き上げた。そうすれば、ようやく、キラは欲しかったものに手を伸ばす事ができる。 「あぁ……手が届かなかったのか」 気が付かなくて悪かったな……と付け加えながら、アスランは棚の方へと近づく。 「ありがとう」 キラはこう言うと、目的のものを目的の数だけかごに放り込んだ。 しかし、アークエンジェルの厨房も大人サイズで作られている。 「……えっと……」 どうしたら、自分は作業ができるのだろうか。キラはそう考えてしまう。 「いすの上で十分だろう」 こう言いながら、カガリが食堂の方からいすを運んできてくれた。 「ありがとうございます」 キラがこう言うと、 「気にするな」 とカガリは笑い返す。 「それよりも、ナイフは使えるのか?」 彼女は真顔でこう問いかけてくる。 「大丈夫です。アスランに使い方を教わったから」 でなければ、彼もレイも、今回のことを許してはくれなかったはずだ、とキラは言い返す。 「だろうな。二人とも、お前に関しては死ぬほど過保護だ」 気持ちはわかるが……といいながら、カガリは側に寄ってくる。 「手伝ってやろうか?」 これだけの量を刻むのは大変だろう? という言葉にキラはすぐに頷いて見せた。 「でも、僕が作らないと……」 「形を作るのを一人でやればいいだろう?」 このくらいは手伝っても大丈夫だ、とカガリは笑う。 「それよりも、ここで全部作ってしまわないと、後が大変じゃないのか?」 付け加えられた言葉に、キラはそうかもしれないと思い直す。 「じゃ、お願いします」 「任せておけ」 キラの言葉に、カガリもまたナイフを手に取った。そして、凄い勢いでチョコレートを刻み始める。だが、それに見ほれている場合ではないだろう。そう判断をして、キラもまたチョコレートを刻みだした。 二人でやればさほど時間がかからずにチョコレートは細かくなる。 「えっと……これを湯煎しないといけないんだよね……」 でも、湯煎って何だろう……とキラは小首をかしげた。わからないことは、アスランが教えてくれる……と言うことで調べてこなかったのだ。 「要するに、溶かしてしまえばいいんだろう」 だったら、鍋に入れて火にかけてしまえばいいだろう、と口にするとカガリはチョコレートをざらざらと放り込んだ。そして、そのままコンロにかける。 「大丈夫?」 「ダメだったら、新しいチョコレートを買ってきてやるって」 だから、心配するな……と言って、カガリは火を付ける。 数分後、厨房はとんでもない煙と甘ったるい匂い、そして焦げ付いた鍋の世界になった。 「……だから、湯煎にしろと書いてあっただろう……」 あきれたようにアスランは呟く。 「だって、だな」 そんな彼に、カガリがこう言い返している。 「直接火にかければ焦げるに決まっている。それさえ間違えなければ、チョコレート作りは難しくないんだが……」 カガリに料理は無理だったか……と彼は呟く。 「まぁ、私が買ってきた分で、キラの希望の数は確保できそうですもの。そこまでにしてあげてください」 苦笑とともにラクスが口を挟んでくる。 「ラミアス艦長にキラの面倒を見て頂いていますから、今度は大丈夫ですわ」 「……最初からそうして頂いた方が良かったですね」 そうすれば、キラを泣かせずにすんだのに……とアスランはため息をつく。 「仕方がないとはわかっているが……カガリだけではなく、厨房の誰かに頼んでおくんだったな」 「仕方がありませんわ。カガリがお菓子作りをしたことがないとは思いませんでしたの」 少なくとも、自分よりは料理になれているだろうと判断したのだ、とラクスは口にする。 「悪かったな」 こういうカガリの声にいつもの力はない。さすがの彼女も、自分のミスだとわかっているのだろう。 「ともかく、キラの目的は果たせそうだしな。それに関しては不問にしておくが……」 「キラは、まだあの姿なのか?」 一番気になるのはそれなのだろう。カガリがこう聞いてくる。 「そうですわね。あの姿のキラも可愛らしいですけど、やはりキラは《キラ》の方がよろしいですわ」 ラクスもカガリに同意をするように頷く。 「クルーゼ隊長が、議長に『早く何とかしろ』と圧力をかけていらっしゃるのだが、相手が相手だけにな」 この状況では、議長もゆっくりと対策を取っている暇はないのだろう、とアスランは好意的に考えることにする。 「第一、また失敗をされては困るしな」 キラが赤ちゃんになるとか……とアスランが付け加えた瞬間、二人の表情にすごみが加わる。 「カガリ」 「あぁ、わかっている、ラクス」 そんな二人の表情に、自分は何か失敗をしたのかもしれない、と思うアスランだった。 バレンタイン当日、プラントでのことだ。 「ラウ」 いきなりラウの執務室にギルバートが乱入をしてくる。 「おや。お忙しいのではなかったのかね、議長閣下?」 平然とこう言い返すと、ラウは皿に残っていた最後のチョコレートを口に運んだ。 「何を言っている! このような重要な事柄をどうして私に知らせてくれなかったのかね?」 何が何でも駆けつけてきたものを……と彼は言い返してくる。 「キラ君が自分で作ったチョコレートを送ってくれたそうではないか!」 どうしてそれを自分に知らせない、とギルバートは口にした。 「メールは送ったのだがね……それを読んでいなかったのかな?」 そんな彼に、ラウはからかうようにこう告げる。 「確かに、キラからのチョコレートは届いている。味見をしたが、おいしかったよ」 そして、歯形が付いたそれを指し示す。 「もちろん、お前の分もあるのだが……同時にラクス嬢達からのメールも来ていてね。私もそれに賛同をしただけだ」 くすり、と彼は笑いを漏らす。 「ラクス嬢?」 ギルバートの表情がかすかにこわばったのがわかったからだ。 「その他に、カガリ姫とアスラン、レイ……も連名だったよ」 さすがの彼も、彼女だけは苦手らしい、とラウは判断をする。 「キラを元に戻す薬を早々に作りたまえ、だそうだ。それが完成するまでは、君にキラの手作りのチョコレートは渡すな、ともね」 「ラウ!」 「あぁ、その代わりにお二人が自ら作られたチョコレートも同封してくれたよ」 それなら今すぐにでも渡すが……と付け加えた瞬間、ギルバートの顔が絶望で彩られる。 「せいぜい、がんばりたまえ」 それを見ることで、今は我慢しておこう。ラウは心の中でそう呟いた。 ギルバートが果たしてキラからのチョコレートを口にできたかどうか。それは別の話であろう。 「キラが作ったのか?」 うまくできているじゃないか、とシンがほめている。 「そうだな。甘さも丁度いい」 レイもまたこう言うと、また一つつまみ上げた。 「……女としてはちょっと複雑なんだけどね」 「ダイエットの敵だわ」 ホーク姉妹はまたホーク姉妹で複雑な表情でそれをつまんでいる。 「……あなた達の年齢でダイエットはしない方がいいわよ」 こう言っているのはタリアだ。その隣ではアーサー達が静かにチョコレートを口に運んでいる。 「ともかく、ホワイトデーには何かを考えないとな」 アスランはこう言うと、自分の膝に頭を預けて眠っているキラへと視線を向けた。その寝顔は穏やかだと言っていい。 ミネルバは、今日も平和だった。 終
06.02.13 up カガリとラクスは、絶対料理は苦手でしょう。 ちなみに、カガリ達から贈られたものは、最初に作ろうとしたあれです(苦笑)焦げたチョコレートって食べられるのだろうか…… |