決断



「アスラン・ザラは、私がいずれ結婚する方ですわ。優しいんですけど、とても無口な人」
 目の前でとらわれの少女が微笑みながらこう告げる。
 どうして彼女はこうして微笑んでいられるのだろう。先ほど、あんな事があったばかりなのに。
 彼女の言葉と笑顔は、それでも僕のささくれだった気持ちをいやしてくれる。おそらく、アスランもそうなんじゃないだろうか。と考えた瞬間、僕の心の中に安堵と嫉妬が広がった。
 彼女がいれば、何があってもアスランは大丈夫だろう。
 でも、いつかは僕のことを忘れてしまうかもしれない。
 ある意味、それが僕の望みでもあるはずなのに、どうしてこんなに胸が痛いんだろう。
「キラ様?」
 何か表情に出てしまったのだろうか。ラクスが不審そうに僕の顔を覗き込んでくる。
「僕のトリィもそうなんです」
 とっさに、僕は話題をすり替えた。
 少なくとも、まだしばらく彼女の微笑みを見ていたいから。
 本当は、あの歌声を聞きたいんだけど……ここじゃ無理だろう。彼女の声は本当に響くから、誰かが覗きに来る可能性が大きい。そうしたら、こんな風に話をすることができなくなるんじゃないだろうか。
「まぁ、そうなんですの?」
 邪気をまったく感じない微笑みが、ささくれ立っている僕の心を優しく慰めてくれる。
 だからこそ、彼女はアスランの側にいて欲しい。
 彼の心を少しでも和らげて貰うために……
 これからのことを考えれば、アスランの側には彼を慰めてくれる存在がいてくれた方がいいよね。何て、僕が考えるのはおかしいのだろうけど。彼を苦しめているのは、間違いなく僕であるからだ。
 でも、だからこそ彼の中には『僕』という存在が残るだろう。それが、どんな感情に基づくものかはわからないけど。
 気がついたときには、僕の唇の上にも微笑みが浮かんでいた。

 だけど、このまま月に向かえば、ラクスは間違いなく幽閉されてしまうだろう。
 そんなことになったらアスランが傷つく。
 今でも耳に彼の叫びが残っていた。
 それに、ラクスには僕と同じような思いをさせたくない。僕はある意味自分で選んだことだから仕方がないが、彼女の場合は突発的な事態で引き起こされた状況なんだし……
 やっぱり、彼女は仲間達の所へ帰してあげないと。
 でも、そのためにはどうしたらいいのだろうか。
 そう考えた瞬間、胸に走った痛みは何のだろうか。
 その理由がわからないわけではない。でも、そのことについて考えることは僕には許されていないだけで……
 そう、もう二度と僕は彼の手を取ることは許されない。
 だから、何が何でも彼女だけは彼の手に返そうと思う。
 そう、例えその結果、この身にどのような事態が待っていようとも……
 結果が出てしまえば気持ちは軽くなる。
 あとは行動するだけだ。
 僕はそのまま部屋を飛び出した。

 ラクスの身柄を無事にアスランへと戻すことができたのは、それから1時間ほど後のことだった。最も、完全に予想通りというわけではないけど……フラガ大尉が来てくれなかったら、間違いなく僕はここにいなかったろうな。
 でも、あのシグーは何故途中で動きを止めたのだろうか。
 考えても仕方がないことか。
 それよりも、僕の心を占めていたのはもっと別のことだった。
『お前は帰ってくるよな?』
『次にあったときには、俺がお前を討つ!』
 二つの叫びが、僕の脳裏でせめぎ合っている。
 心が二つに切り裂かれてしまったようだ。
 みんなを見捨てられない。
 でも、アスランとも戦いたくない。
 これは、僕がコーディネーターだから?
 それとも……僕がまだアスランを好きだからなのか。
 こんな事、誰にも相談することはできない。
 普通の場合だったら、間違いなく誰かに相談できるだろう。男同士だとか何だとか言っても笑うようなみんなではないことは知っている。
 でも……アスランは敵なんだ。
 認めたくなくても、それが現実。
 僕らの間には大きくて深い溝ができてしまった。
 だから、僕の心も同じように引き裂かれていく。
 友人達――ナチュラル――とアスラン――コーディネーター――とに……
 この傷はきっとふさがることがないだろう。
 永遠に血を流し続ける。
 君もそうなのだろうか……
 僕の脳裏に、いつまでも彼の叫びが響き渡っていた……