歌姫登場



「あら……あらあらあら……」
 ピンクの髪の少女はキラの顔を見た瞬間、驚いたように声を上げる。
「あ、あの……」
 それがどうしてなのかわからずに、キラは困ったような表情を作った。
『……キラ?』
 どうしたんだ? と言う声と共に小さな手がキラの頬に触れてくる。それは、いつも彼の側にてくれる親友の姿を映したロボットのものだ。その声を聞いていると、キラは少しだけだが安堵してしまう自分に気づいていた。
「キラ様、とおっしゃるのですね」
 ちびアスの言葉を耳にした彼女は、ふわりと微笑みながら確認の言葉を投げかけてくる。
「あっ……はい。キラ・ヤマトと言います」
 彼女の言葉にキラは反射的にこう言葉を返してしまう。
「私はラクスですわ。まさか、地球軍の船で本物にお会いできるなんて……遭難もしてみるものですわね」
 続けられた言葉に、キラは思わず首をひねってしまう。
「……本物、というのは僕ですか?」
「えぇ。丁度あなたの肩に乗っていらっしゃるのと同じ大きさの『あなた』を見たことがありますの」
「ちびアス……と同じ大きさの『僕』ですか?」
 キラの心の中に、まさか……という思いが点灯し始める。だが、ちびアスをくれた『親友』であれば、そのくらいやりかねない。彼のパソコンの中に、自分に関するデーターがてんこ盛りになっていたことはキラ自身よく知っていたのだ。そして、自分が彼と離れて寂しいと思っていたように、彼も同じ思いを抱いてくれていたことも。
 だから、それに関して文句を言うつもりはないし、できないだろうともキラは思う。むしろ、彼がそう思ってくれて嬉しいとも……最も、今自分たちが置かれた状況を考えれば、彼の側にそれがいるとは限らないのだが。
 そんなキラの耳に、彼女の声が届く。
「えぇ……アスラン・ザラは、私がそのうち結婚をする方ですから」
 本人はどうでもいいが、あの子は欲しかったのだ……と微笑みながら囁く少女に、キラはとどう反応するべきか、本気で悩んでしまう。
「……そう、なんですか……」
 ようやくしぼりだしたのは、こんな言葉。
「でも、あの子よりも本物のキラ様の方がお可愛らしいですわ」
 天使の笑みを浮かべた彼女が告げたのは、まさしく悪魔の囁き。
「……僕……」
 逃げ出してもいいですか……というキラの言葉は、そのまま重ねられたラクスの唇に吸い込まれてしまった。

「坊主……ここはいいから、お姫様の所へ行ってこい」
 なんとか逃げ込んだストライクのコクピットの中。ほっとしたように安堵のため息をついていたキラの耳に、フラガのこんな無情なセリフが届く。
「フラガ大尉〜〜」
 はっきり言って、彼女の好意とフラガのセクハラとどちらの方がましだろうか。
 キラの中でははっきり言ってどちらとも言えないと言うのがその結論だった。
「頼む……あのお姫様の天然ぶりに、バジルール少尉が切れそうなんだ……ここで民間人を処分して……と言うことはしたくないしさせたくない……坊主が側にいれば、どうやら大人しくしてくれているようだし……」
 早々にあちらにお返ししたいよ……とフラガはため息をつく。
 彼がこうまで言うとは……本気でものすごいことをしているのだろうか、とキラは思う。あるいは、それが目的でラクスを放り出したのではないかとも。もちろん、彼女の身分を考えればそんなことあり得ないだろうが。
「僕は……人身御供ですか……」
 思い切りため息をつくと、キラはこう口にする。
「そんなつもりはないって! ただ、な。お姫様に何かあると、マジでやばいからさ」
 頼む、とフラガはキラを拝み倒す。
「……わかりました……」
 例え性格がなんでも、彼女はアスランの婚約者なんだし、とキラは思う。
 その彼女が傷を負えば、あの心優しい幼なじみは悲しむだろうと。
「その間の整備に関しては、非常時以外パスしてもいいからな」
 他の仕事も回さない、とフラガは断言をする。それは配慮というのだろうか、とキラは判断に悩む。
「……つまり、厄介事を一手に引き受けろと?」
「そう言うわけじゃない。坊主が適任だ、と思っただけだって……嬢ちゃん達もフォローに回してやるからさ」
 この通りだ、告げるフラガに、キラは盛大なため息をついてしまった。

「キラ様、私と一緒にプラントにまいりましょう?」
 ね、と可愛らしく小首をかしげながら、ラクスが問いかけてくる。
「……いえ、僕は……」
 一体どの面を下げて今更……という思いと、友人達を、そしてここで知り合った人たちを見捨てられないという思いがキラにそれを受け入れることを拒ませた。
「大丈夫ですわ。私がなんとでもしますもの」
 みなさまのお命も保証させていただきますわ、とラクスはさらに付け加える。この言葉に、一瞬キラの心が揺らぐ。
「ですから、キラ様は私とプラントに行って、楽しいことをいたしましょう?」
 その微笑みの裏に『自分のおもちゃになれ』と言う言葉が隠れているような気がするのはキラの気のせいだろうか。
 それが気のせいだとしても、このまま彼女の言葉に頷くことは、アスランと戦い続けることよりもまずい状況に陥ることになる。そんな想いからキラは首を横に振った。
「行けません……僕は……」
 できることなら、友人達と共に両親がいるであろうオーブに向かいたいから……とキラは言い返す。
「あらあら……残念ですわねぇ」
 ここではキラ様にお着替えをしていただくわけにはまいりませんし……と言う言葉を聞いた瞬間、キラは自分の洞察力に感謝をしてしまう。下手に頷いて、彼女と共にプラントに行っていたらどんな目に遭わされていたかわからない。
「……僕は、着せ替え人形じゃありませんよ?」
 ため息と共にこう言う。
「あら。せっかくお可愛らしいのですもの。その魅力をもっと引き出すべきですわ」
 だが、彼女は微笑みと共にこう言い返してきた。
「それが、アイドルとなる第一歩ですもの」
「アイドル!」
「えぇ、アイドルです。キラ様にはその素質が十分おありですもの」
 いっそ、その魅力でザフトと地球軍を終戦に導いてしまいませんか? といいながら、ラクスはキラににじり寄ってくる。彼女のその表情はあくまでも本気だ。
「僕には無理ですぅ!」
 ごめんなさい、と言い残すと、そのままキラは部屋から逃げ出す。
 背後で閉まったドアに背中を預けると、小さくため息をつく。
「アスランのばかぁ……さっさと迎えに来いってば」
 婚約者なんだろう? とぼやく言葉が誰もいない通路の壁にこだました。
『キラ、大丈夫だよ、キラ。僕がいるから』
 そんなキラの耳に、ちびアスの柔らかな声が届く。
「そう、だね」
 お前だけはいつでも側にいてくれるね、とキラはその頭を撫でながら微笑んだ。
「それに比べて、お前のモデルは……」
 だらしない、と言い切る。
「アスランなんか……アスランなんか……それでも好きなんだよなぁ」
 言葉と共にキラの頬を涙が流れ落ちた。それを、ちびアスが必死にぬぐっている。そのまま、彼らはキラの涙が止まるまでその場に浮かんでいた……

 数日後、襲ってきたザフト軍に対し、アークエンジェルから悲壮とも言える呼びかけがあった。
『プラント最高評議会議長令嬢、ラクス・クラインを保護している。さっさと引き取ってくれ!』
 と。
 その瞬間、そのまま預かっていてくれ、と心の中で叫んだ者が多数いたことは内緒であろう。

「残念ですわ」
 ラクスがため息混じりに言葉を口にする。
「もう少しでキラ様をこちらにお迎えできそうでしたのに……」
 いっそ、本気で拉致してくればよかっただろうか……と彼女は付け加えた。
 それは無理だったのではないか、と側で聞いていたアスランは思う。彼女があちらで何をしていたのかはわからないが、自分が受け取ったときの彼女は宇宙服の上からリボンで縛られた挙句、熨斗までつけられていたのだ。
「……あまり、あいつを追いつめないでやってください……」
 でないと、自分の努力が無駄になる……とアスランはため息をつく。
『アスラン?』
 どうしたの、と話題の人物を模したちびキラがアスランの髪に触れてきた。
「あいつは……追いつめられるととんでもない方法で爆発するんです……あいつを連れ戻すためにあれこれ手はずを整えている最中なんですから……」
 そのために、不本意ながらちびキラと幼年時代のキラの写真を最高評議会へ資料として提出したのだ。父はもちろん、強攻派穏健派関係なく評議会議員の中に熱狂的なキラファンを増やす結果になったのは良かったのか……
「わかりました。大人しくしておりますから……その代わり、私のお願いを聞いていただけまして?」
 にっこりと微笑みながら、ラクスが視線をちびキラに向ける。その瞬間、それがアスランの髪の中に顔を突っ込んだのは果たして偶然だろうか。
「この子は差し上げられませんし……もう作りませんから」
 アスランが先手を打つようにこう口にした。
「いえ。私を作っていただきたいんですの。そうしたら、キラ様に送り届けますから」
 あなただけキラ様のおそばにいるのはずるいですわ……と言う彼女に、アスランは小さくため息をつく。果たして、キラがそれをよろこぶか、と思ったのだ。
「わかりました。少々時間がかかりますけど、よろしいですか?」
 少しでも時間を稼いでおかないと、何をするかわからない。そう判断して、アスランはこう言い返す。
「仕方がありませんわね。お忙しいのでしょう?」
 こう言い返すラクスを、果たして信用していいものかどうか……その答えはわからない。
 ただ、キラが厄介な相手に見込まれたことだけは間違いない事実であろう。

 これが、この後キラに襲いかかる厄介事の幕開けだった。

ちゃんちゃん
03.09.25 up



ちょっと現実逃避中……